たかぽんへ・・・ ありがと!

[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/24(04:43)]

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[脱帽] 1090. たかぽんへ・・・ ありがと!

お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2007/3/12(23:56)

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たかぽん、ひさしぶりに直接対決で、うれしいなあ!

〉さかぽん、こんばんは! (威圧的な人?なので、さしずめ、アル・サカポ〜ン かな(笑))
〉まったく場違いに、たかぽんです。

古いことはわからない人のために・・・
「アル・カポーン」またの名を「アル・カポネ」ですね。

〉「こども式」って大事だなーと、このごろひしひしと感じます。
〉(あ、私が「こども式」を正確に理解しているかというのは問題でありますが…)
〉それは、やっぱり、偉い学者先生でも、おそろしく誤読していることがあるということを
〉知るようになったからです。(気づくのが遅いかな…)

いわゆる学者先生たちが翻訳をやると悲惨なことになります・・・
もう泣きたくなるくらい・・・

そのへんは「待たれよ、次回作!」

〉いま、飛田茂雄という、現代アメリカ文学の研究者が書いた『アメリカ合衆国憲法を英文で読む』(中公新書)
〉という本を読んでます。
〉各条項について、原文・日本語試訳・解説・従来の訳の問題点、が並んでいるのですが、
〉う〜ん、法学者の訳がかなりまずかったりするというのが、よくわかります。
〉訳し方というよりも、明らかに誤読やろ、というのがたくさんあります。
〉かなり重篤な感じがします…

重篤でしょうね、おそらく。
瀕死の重篤だろうと想像します。

〉その間違い方というのが、なんといいますか、学校で習うような、「この単語にはこの日本語」
〉というような間違い方。several Statesとあれば「数州」と訳してしまう、みたいな。

〉法学者の人たちって、英語もすごく勉強して、たくさん英語で書かれた本も読んで、
〉留学もしてる人たちだと思いますのに、なんでこんな間違いするんだ…ってな、
〉シロウトにもわかるようなポカをやってるんですよね。

はい、よくあるのです、そういうこと。
別宮貞徳さんがかなり長い間そのことを槍玉に挙げていましたね。
ほんとに悲惨としかいいようのない英語の捉え方なんだ、学者先生たちは。

みなさん、どれくらい悲惨か、ぜひぜひ図書館で別宮さんの翻訳批評を
読んでみてください。章ごとに分かれていて、どれ一つでも読めば
悲惨さはわかります。

〉で、やっぱりこれは、「こども式」でやってないからなんじゃないかと思ったりしたわけです。

〉言語って、「もやもやのところ」がすごく大きくて、このもやもやのところを、
〉もやもやのままどっぷり受け取ろうというのが、「こども式」だと私は思っています。
〉ことばって、もやもやしてるんですよね。目に見えない、まっくろくろすけみたいな精霊を
〉いっぱい引き連れてるといいますか。
〉そのあたりが、日本語の一対一対応単語集だと、もやもや部分がごそっとカットされて、
〉非常に良くないなー、という感じは、多読を何年かやってきて、とってもよくわかってきました。

もやもや部分の大切さが納得できるための条件て、なんだろうね?
語数だけではなさそうなんだな、これが・・・

〉英語の本でボキャビルもいいけれど、その対応する英語・英文のもやもやをカットした受け取り方をしてる場合は、
〉あんまり良くないだろうなーという感じがします。
〉もやもやが大事なんですよね。
〉偉い学者先生でも、結局、もやもやしない一対一対応単語集のところから積み上げた英語だと、
〉いくら英語で書かれた本を読んでも留学しても、頭の中は「壮大な日本語訳」なので、
〉だからとんでもない誤読をしてしまうのかなーと、まぁエラそうに言ってみます。(笑)

「もやもや」は大事!
たかぽんの専門分野にやすやすと引き込まれそうだけど、
目に見えている部分以外に、人間も世界もたーくさんのものを
抱えているんだよね。いわゆる学問の浅薄なところは
そのうちの見えるところだけを相手にしようとしていることかな?
自然科学だってどうも素粒子まで行くと「見えない、理屈に合わない」
ものがいっぱいあるらしい。

それなのに、はるかに複雑だと思われる人間や社会のことを
学者先生たちは自然科学の方法を真似して説明しようとする・・・

あー、たかぽん、これね、ぼくのツボなんだよね、地雷を踏んだね!

でも、もうお風呂だから、突然やめるよ。あしたまた長い仕事が
待っている・・・

〉(シマウマ読み?は、いいかなと思っています。ただその場合は、あんまりコン詰めて精読しないで、
〉ぼや〜っと読むのがいいような感じがします。なるべく「もやもやオーラ」の重なりを浴びるような感じ。
〉誤訳もあるでしょうが、そのあたりあまりこだわらず。
〉わけわからんこと言うてますかね・・・)

〉ほんとにねー、私はぜひとも、若い人たちに、こども式で言語を学んでもらって、
〉ほんとにあちらの知識をつかんでほしいなーと思っています。
〉そうじゃないと、ほんとに日本はあかんようになる、と、ほんとに思っています。
〉あ、もちろん、われわれのような若くない人も「こども式」で。(笑)

若い人に「こども式」がいいというのは、ほとんど確定だとおもー。
いまのテーマはむしろ、若くない人のための「こども式」を探すこと。

〉てなわけで、お呼びでなかったですね(汗)。こらまた失礼しました。では〜

とんでもない! わたしゃ、としぃとっても、まだまだがんばるからね!
たかぽん、また突然出てきてねー!

きょうはひさしぶりにうれしかったよー!
(みちるさんに、さかぽんとじっくり話したよーって、いっといて)
また待ち伏せしたいねえ・・・


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1092. Re: たかぽんへ・・・ ありがと!

お名前: 間者猫 http://www.k2.dion.ne.jp/~spycat
投稿日: 2007/3/13(06:03)

------------------------------

"酒井@快読100万語!"さんは[url:kb:1090]で書きました:
〉たかぽん、ひさしぶりに直接対決で、うれしいなあ!

どーも、御無沙汰しています。
先生、自分ウェブにはやく掲示板作ってくださいね(笑)。

〉古いことはわからない人のために・・・
〉「アル・カポーン」またの名を「アル・カポネ」ですね。

アンタッチャブルですな!(スペルが思いつかないよ)

〉〉「こども式」って大事だなーと、このごろひしひしと感じます。
〉〉(あ、私が「こども式」を正確に理解しているかというのは問題でありますが…)
〉〉それは、やっぱり、偉い学者先生でも、おそろしく誤読していることがあるということを
〉〉知るようになったからです。(気づくのが遅いかな…)
〉いわゆる学者先生たちが翻訳をやると悲惨なことになります・・・
〉もう泣きたくなるくらい・・・

書かれてある背景やものの考え方を理解しないで書くとえらいことになりますな。

〉そのへんは「待たれよ、次回作!」

ホンマたのんまっせ!

〉〉で、やっぱりこれは、「こども式」でやってないからなんじゃないかと思ったりしたわけです。
〉〉言語って、「もやもやのところ」がすごく大きくて、このもやもやのところを、
〉〉もやもやのままどっぷり受け取ろうというのが、「こども式」だと私は思っています。
〉〉ことばって、もやもやしてるんですよね。目に見えない、まっくろくろすけみたいな精霊を
〉〉いっぱい引き連れてるといいますか。
〉〉そのあたりが、日本語の一対一対応単語集だと、もやもや部分がごそっとカットされて、
〉〉非常に良くないなー、という感じは、多読を何年かやってきて、とってもよくわかってきました。
〉もやもや部分の大切さが納得できるための条件て、なんだろうね?
〉語数だけではなさそうなんだな、これが・・・

たくさん読んでいるうちに、もやもやがすーっと晴れるような気がするんですよね。

〉「もやもや」は大事!
〉たかぽんの専門分野にやすやすと引き込まれそうだけど、
〉目に見えている部分以外に、人間も世界もたーくさんのものを
〉抱えているんだよね。いわゆる学問の浅薄なところは
〉そのうちの見えるところだけを相手にしようとしていることかな?
〉自然科学だってどうも素粒子まで行くと「見えない、理屈に合わない」
〉ものがいっぱいあるらしい。

〉それなのに、はるかに複雑だと思われる人間や社会のことを
〉学者先生たちは自然科学の方法を真似して説明しようとする・・・
〉あー、たかぽん、これね、ぼくのツボなんだよね、地雷を踏んだね!

ワシも尻尾踏まれましたわ。
さしずめ、自然科学を社会科学へ適用するさいの注意点としては
マックスウェーバーが”理念型”という方法で提示してくれていますので、参考までに。
ただ恐ろしく分かりにくい本ですな。ウェーバーが分かりにくいというのは訳が悪いからじゃないかと私常々思っているのですが。
ウェーバーはドイツ語はちょっと無理だからとりあえず英語版で読もうかと考えております。
英語版は意外に安いんです。

〉〉(シマウマ読み?は、いいかなと思っています。ただその場合は、あんまりコン詰めて精読しないで、
〉〉ぼや〜っと読むのがいいような感じがします。なるべく「もやもやオーラ」の重なりを浴びるような感じ。

野球の打者もボールをみているのではなく、ピッチャーの全体をぼやーとみているそうです。

”奥村宏:エンロンの衝撃”を読み終えたのですが、
やっぱり、”スミスとミルは読まなあかんなあ”と感じました。
もう手元にあるんですけどね。
”「諸国民の富」の新訳期待しています”とお伝え下さい。
では。


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1095. さかぽん 猫ぽん!

お名前: たかぽん
投稿日: 2007/3/13(23:36)

------------------------------

こんばんは! たかぽんです。
猫ぽん、ご無沙汰しとります!

さかぽん。別宮さんはタイムリーすぎます・・・
実は、ルソーとかマルクスとかのことを書いてる、Paul Johnsonという人の「Intellectuals」という本に興味があって、
その日本語訳が、別宮貞徳って人かー、ふ〜ん、と思ってたところだったんです。
さかぽん、あんたって人は・・・ (さかぽんに「あんた」は不遜であるが・・・)

〉"酒井@快読100万語!"さんは[url:kb:1090]で書きました:
〉〉たかぽん、ひさしぶりに直接対決で、うれしいなあ!

〉どーも、御無沙汰しています。
〉先生、自分ウェブにはやく掲示板作ってくださいね(笑)。

そうですねー。われらに遊び場を(笑)。

〉〉古いことはわからない人のために・・・
〉〉「アル・カポーン」またの名を「アル・カポネ」ですね。

〉アンタッチャブルですな!(スペルが思いつかないよ)

デ・ニーロがよかったですな。オペラ見ながら泣き笑いしてる顔がなんとも。

こども伝記シリーズDead Famousの、Al Caponeはこちら

[url:http://www.amazon.co.jp/dp/0439011205/sss-22]

〉〉〉「こども式」って大事だなーと、このごろひしひしと感じます。
〉〉〉(あ、私が「こども式」を正確に理解しているかというのは問題でありますが…)
〉〉〉それは、やっぱり、偉い学者先生でも、おそろしく誤読していることがあるということを
〉〉〉知るようになったからです。(気づくのが遅いかな…)
〉〉いわゆる学者先生たちが翻訳をやると悲惨なことになります・・・
〉〉もう泣きたくなるくらい・・・

〉書かれてある背景やものの考え方を理解しないで書くとえらいことになりますな。

けっこう、大変な状況のようですな。

〉〉そのへんは「待たれよ、次回作!」

〉ホンマたのんまっせ!

ホンマホンマ!

〉〉〉で、やっぱりこれは、「こども式」でやってないからなんじゃないかと思ったりしたわけです。
〉〉〉言語って、「もやもやのところ」がすごく大きくて、このもやもやのところを、
〉〉〉もやもやのままどっぷり受け取ろうというのが、「こども式」だと私は思っています。
〉〉〉ことばって、もやもやしてるんですよね。目に見えない、まっくろくろすけみたいな精霊を
〉〉〉いっぱい引き連れてるといいますか。
〉〉〉そのあたりが、日本語の一対一対応単語集だと、もやもや部分がごそっとカットされて、
〉〉〉非常に良くないなー、という感じは、多読を何年かやってきて、とってもよくわかってきました。
〉〉もやもや部分の大切さが納得できるための条件て、なんだろうね?
〉〉語数だけではなさそうなんだな、これが・・・

〉たくさん読んでいるうちに、もやもやがすーっと晴れるような気がするんですよね。

そうですね!
(晴れるっていうか、もやもやがしっくりくるというか・・・まぁ細かい問題ですが(笑))

ただ、私は、せっかちというか、がまんが足りないというか、プライドが高い(?)というか、
もやもやがもやもやのままだと、耐えられないところがあるんですよね。
なので、こども辞書読んだり、英英辞書引いてお勉強したりといった、
一見「効率のよい」ことに走りがちです。

それ自体は別に悪いことじゃないと思います。ただ、自分の場合それは、
不幸な選択というか、仕方なしにやっている感があることなんですよね。

それはけっきょく何かというと、本の好みがうるさいからなんですよね。
これでも実は頑固で、異常にうるさい人なんです。(あ、知ってた?)

いちど読んだ本を、すぐに再読するのはつまらない。でも、好みがうるさいと、
読める本の範囲がせまいから、最近読んだ本を再読することになる。
でも、それはつまらない。読書が進まない。いきおい、もっと「効率のよい」方法で
学びたくなってしまう。

(また、このような読書ですと、早く内容を理解したいとか、精読するといった傾向も生まれてしまいます。
 2回目読んでるのに、まだよく理解できないと、なんだかガッカリするからです。
 他の本を大して挟まず、すぐ再読してるんだから、理解度が急に上がっているはずもないんですが・・・)

私は、英語でこの小説を読んでみたい!っていうのもあまり無かったし、
こども本でも、これは内容がイヤだ、これは趣味に合わないとか言って、
読めるものを、とっても狭めてしまってます。
このあたりの「素直じゃなさ」が、多読の足を引っ張ってるなーと、自覚あります。
読むものを選びすぎるから、読む量が減って、気持ちよいブレイクスルーも起こらなくなり、
不満から「お勉強」してしまう、という事情です。私の場合。
それが証拠に、面白い本が見つかると、お勉強なんてしませんもん。(笑)

なんでも楽しんで、おもしろいおもしろい!って、どんどん飲み込める性格っていうのが、
「こども式」には有利かなと思います。
理解度1割でも、楽しかったらいい、どんどん読もう!というのが、多読の奥義というか、
最大のコツだなーと思いますから。
そういう読み方(聴き方・歌い方・踊り方?)が、いちばん伸びると思う。

また、好みや性格に応じた、多読メニュー・多読環境が充実することが、
やっぱり大事なんでしょうね。そういう意味で、古川さん達のご尽力には頭が下がります。

〉〉「もやもや」は大事!
〉〉たかぽんの専門分野にやすやすと引き込まれそうだけど、
〉〉目に見えている部分以外に、人間も世界もたーくさんのものを
〉〉抱えているんだよね。いわゆる学問の浅薄なところは
〉〉そのうちの見えるところだけを相手にしようとしていることかな?
〉〉自然科学だってどうも素粒子まで行くと「見えない、理屈に合わない」
〉〉ものがいっぱいあるらしい。

あるらしいですねー。
見る人が見たいことを、見たいように見せるってこともやるらしいですね、自然ってやつは。

〉〉それなのに、はるかに複雑だと思われる人間や社会のことを
〉〉学者先生たちは自然科学の方法を真似して説明しようとする・・・
〉〉あー、たかぽん、これね、ぼくのツボなんだよね、地雷を踏んだね!

〉ワシも尻尾踏まれましたわ。
〉さしずめ、自然科学を社会科学へ適用するさいの注意点としては
〉マックスウェーバーが”理念型”という方法で提示してくれていますので、参考までに。
〉ただ恐ろしく分かりにくい本ですな。ウェーバーが分かりにくいというのは訳が悪いからじゃないかと私常々思っているのですが。
〉ウェーバーはドイツ語はちょっと無理だからとりあえず英語版で読もうかと考えております。
〉英語版は意外に安いんです。

ヴェーバー。プロ倫ですか。(笑)
英語のほうが読みやすいってこと、あるみたいですねー。
英語のほうがより正確でもあるでしょうし。(日本の学者さん、ほんとすみません…)

〉〉〉(シマウマ読み?は、いいかなと思っています。ただその場合は、あんまりコン詰めて精読しないで、
〉〉〉ぼや〜っと読むのがいいような感じがします。なるべく「もやもやオーラ」の重なりを浴びるような感じ。

〉野球の打者もボールをみているのではなく、ピッチャーの全体をぼやーとみているそうです。

おー! それは面白い話です。
脳から筋肉に伝達するのにけっこう時間がかかるから、少なくとも、
最後までボール見て打ってるわけではないですもんね。
あるていど「当てずっぽう」なんですな。

〉”奥村宏:エンロンの衝撃”を読み終えたのですが、
〉やっぱり、”スミスとミルは読まなあかんなあ”と感じました。
〉もう手元にあるんですけどね。
〉”「諸国民の富」の新訳期待しています”とお伝え下さい。
〉では。

ほんとに、新訳、楽しみですね♪
経済学に詳しいわけでもないのに、なんだかわくわくします。
古典がねー、重要だと思うんすよ、古典が。
あちらの人の考え方の基盤になってるんですよね。早く開国して、そのあたりを探らないと・・・

ふー。楽しかったです。また遊びましょう♪ (あ〜んど、飲みましょう!)


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[かみなり] 1096. 【横レス】Re: うわーーーっ、いつもはおさるの…

お名前: ako
投稿日: 2007/3/14(16:15)

------------------------------

ジョージ扱いしててゴメンナサーーイ、横レス失礼いたしますのakoです。

あるかぽ〜〜んだとか、たかぽ〜〜〜んだとか、
いろいろお忙しいところお邪魔しますが…

〉いわゆる学問の浅薄なところは
〉そのうちの見えるところだけを相手にしようとしていることかな?
〉自然科学だってどうも素粒子まで行くと「見えない、理屈に合わない」
〉ものがいっぱいあるらしい。
〉それなのに、はるかに複雑だと思われる人間や社会のことを
〉学者先生たちは自然科学の方法を真似して説明しようとする・・・

カミナリマーク、バチバチバチ〜☆!★!☆!★!!
酒井暴走ジョージ先生が、一瞬、
湯川秀樹先生(今年生誕100年)に見えました〜
 (自分の好みを当てはめたとは言え、ほめすぎか…)

ついでにその話、世界史クラブも同じでございますの!!!!!

英語に限りませんの〜!ってことだけ付け加えさせてくださいませっ!

〉でも、もうお風呂だから、突然やめるよ。あしたまた長い仕事が
〉待っている・・・

前々から予告してる本、はやいとこ、出して下さいっっ!

ついでに…

〉もやもや部分の大切さが納得できるための条件て、なんだろうね?
〉語数だけではなさそうなんだな、これが・・・

語数だけだったら、アタシ、非常に困りますーーーっ!!
1年目30万語、以来ずっとスズメの涙リーディングなんすから〜っ


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1138. quantum leap

お名前: たかぽん
投稿日: 2007/3/18(20:44)

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さかぽにあん、猫ぽにあん、akoぽにあん、ごろごろにゃ〜ん!(こんばんは!)
たかぽめらにあんです! (犬?)

一部のことですが・・・

〉「もやもや」は大事!
〉たかぽんの専門分野にやすやすと引き込まれそうだけど、
〉目に見えている部分以外に、人間も世界もたーくさんのものを
〉抱えているんだよね。いわゆる学問の浅薄なところは
〉そのうちの見えるところだけを相手にしようとしていることかな?
〉自然科学だってどうも素粒子まで行くと「見えない、理屈に合わない」
〉ものがいっぱいあるらしい。

〉それなのに、はるかに複雑だと思われる人間や社会のことを
〉学者先生たちは自然科学の方法を真似して説明しようとする・・・

〉あー、たかぽん、これね、ぼくのツボなんだよね、地雷を踏んだね!
 
 
関係ある話かわからないのですが・・・昨日読んでた本の読んでたところに、
こんなのがありました。 (Deepak Chopra 「The Spontaneous Fulfillment of Desire」p.168)

... As it happens, the great pioneers of quantum physics also
advanced the cause of spirit by questioning the deeper meaning of
life. Some of these remarkable scientists include Wolfgang Pauli,
who along with Carl Jung first spoke about synchronicity. Erwin
Schrodinger, Paul Dirac, Werner Heisenberg, Max Planck, David Bohm,
and John Wheeler are others who felt that quantum physics could
never be understood unless we included consciousness as a primary
component of fundamental reality.

まぁ、こんなのが書いてあって嬉しかった、というだけの話なのですが・・・
 
 
あ、それからakoさん。
akoさんの書く英語とか見てると、ほんとに、必ずしも語数ということではないんだなと思います。
いえ、皮肉で言ってるんでなく、本気で。
なんなんだろうなーこれは。akoさんの持ってるもので、私に無いものは何だろうか。
う〜む、なんだろう、なんだろう、と、なにげに考えています。 (なにげにか!)
学べるところがあったら学びたい。
そういう目で見られてると思って、ひとつよろしく。 (威圧的?)
 
 
ではでは、なにはともあれ、Enjoy!!


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1239. Re: 語数も、語数以外も。

お名前: ako
投稿日: 2007/3/25(01:36)

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たかぽん、akoです。しばらくここに返答できなくてすみません。
できるだけ、ここの掲示板主旨に沿うように、
でも、たかぽんに書きたい返答は端折らずに、なんとか書いてみたいと思います。

「多読による外国語教育」という観点で、この投稿を有益にできるとすれば、
それは、タイプの違う二人のタドキストが、
互いの相違点を認識しつつも、多読という方法の中で共存できる、という点、
つまり、多読という方法は、
異質な人間同士をも魅了するだけの広範な魅力と可能性をもった方法だ、
ということがわかる良い事例になるかな、といったところでしょうか。

ただし、成人同士の体験談が、
児童・生徒に多読教育をしている先生たちにどのくらいプラスになるかはわかりません。

投稿はたかぽんへの返答という形をとりますが、
人間の多様性という面では、成人も子どももないという部分があると考え、
多読教育関係者ではない者同士の会話の中にも、
子どもさんたちの教育に活かせる要素が文中にあれば、と願って書いています。

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たかぽん、このたびの呼びかけ、どうもありがとう!

わたしが初めてこの掲示板に投稿を始めた頃(3年前です)、
ちょうど1000万語を100万語ほど超えた語数を読んだ、というたかぽん(だったかな)の報告を読みました。

わたしは、そのころ酒井先生の『快読!』を読んだ直後だったから、
100万語という数字自体に驚愕し、「これから読むぞーっ」と思ってはいたものの、
それは、はるかな遠い目標でした。
だから、たかぽんが読了した11,111,111語は、私にはめまいを感じるほど神々しい数字でした。

それだけ大量に読んだ人にとって、英語ってどういう存在になっているんだろう?
自分の中で第二の母語になっているんだろうか?とか、
もはや外国語とは感じてないんだろうか?とか、いろいろ勝手な空想してました。
遠い前方を旅している縁の無い人物だと思ってました。

以前、わたしが10万語報告を書いた時、
あなたはその数値に奢ることなく、
異質な人間かもしれないわたしの多読報告について、公平な感想を書いてくれました。
その文脈はもちろん、わたしの多読体験への励ましであり、肯定でしたから、
わたしはすごく励まされたものです。

格別だったのは、それがわたしの10万語投稿へのお祝い投稿じゃなく、
別の掲示板でのことだった、という点。
1千万語も読んだ人が、わたしの10万語報告なんて読んでないだろうと思ってたから、
ますます嬉しかったんで、忘れないです。
あ、これ、だいぶ前のことだから、たかぽんは忘れてたってかまいません。
こういうことは嬉しかった方が覚えていればいいことだから。

今回いただいた言葉も同様です。
なんだか自分に秘められた才能があるかのような気がして有頂天になってしまいそうですが、
節度を失わない程度に、でも、思いっ切り喜んでます。

〉あ、それからakoさん。
〉akoさんの書く英語とか見てると、ほんとに、必ずしも語数ということではないんだなと思います。
〉いえ、皮肉で言ってるんでなく、本気で。
〉なんなんだろうなーこれは。akoさんの持ってるもので、私に無いものは何だろうか。

うーん、ここに返答するのは野暮なんだけど、
何が違うんだろうって改めて考えるのは難しいですね。

「たかぽんにあって、akoにない」ものが大量にあることも確実だし。
人間の多様性って、そういうものなのでしょう。
それに多様なタイプが集まる集団のほうが、サバイバルできるという話もあります。
いろんなタドキストがいてもいいようにね。

〉う〜む、なんだろう、なんだろう、と、なにげに考えています。(なにげにか!)
〉学べるところがあったら学びたい。
〉そういう目で見られてると思って、ひとつよろしく。 (威圧的?)

ききき、キンチョー。威圧的に見られてるとなると、こんな恰好でいるわけには…。(方向違う…)

…といった冗談、今日はこの掲示板では書きません。

酒井先生には、「語数だけじゃ非常に困ります〜」なんて書いたわたしですが、
自分に関し、自分なりに考えていることはあります。

語数を多く読もうとしてないわたしではありますが、
だからといって、わたしのゆっくり読みは、ぜんぜん確信でも戦略でもなく、
単純に、苦痛を回避した結果です。

わたし自身も、「量が解決する」という言葉は確信を持って賛同していて、
ハッキリとまとめると、こういう感じ↓です。
*********************************************
読了語数量で得られるものがあるのは確実だ、しかし、さらに、
それとは別の要素として、多読には、
語数だけではないところで、得られるものがある。
(あるいは、得られるタイプの学習者もいる、としたほうが正確かもしれない)
*********************************************

英語にまったく触れない日々(1ヶ月よまないことなどザラ)がありますが、
そういった中断期間があっても、読む力が落ちた感じがしないです。
自転車や水泳のように、長いこと中断して多少下手にはなっても、
たいしてできなく「ならない」ものってありますよね。
別に、選手ってわけじゃないんだから、高度なことができなくたっていい、
という意味で、です。

むかし、高校受験問題集で英語学習した時は、こういう感じになったこと、なかったんです。
(「大学」受験用じゃないってところはイタイのか?(笑))
学習をやめると、英語なんてどんどん忘れてしまって、
やってたことが無駄になった…、って感じだった。

これが今は違う。
すこし中断した後、久しぶりに英語読書を再開すると、
独特の浮揚感(急に上達したなぁという感じ)が得られたことがあります。
毎日毎日、頑張って英語を読み続けた期間には感じられない類の感じです。
(この3年間の中で、もちろん頑張って毎日よんだ時期もあるので、当社比です)

でも、わたし、いつまでも、こういう読み方をしていよう、と決めてるわけじゃないんです。
あくまで今の状態は、自分の過渡期の一局面に過ぎないのではないか、と感じています。
つまり、毎日読んでこそ上達感を実感できる局面も来るのではないか?と思ってるんです。

古代生物の進化の過程に、そういう時期がありませんでした?
アロマノカリス?とか出た頃。
長距離マラソンにおけるランナーズハイのようなもの、と言ってもいいかもしれない。

たかぽんは、そういう時期はありませんでした?
きっとあったんではないかと確信してます。
ふだんの投稿を拝見してればわかります。

わたしは今、語数ではない部分で得られるものを、先に得ている最中なんだと思う。

だから、今、得られるものは、今、十分に得たい。
一冊当たり語数の少ない絵本の多読から得られるものが楽しい。
「楽しい」というか、充足感があるんです。

そしていずれ、語数でこそ得られるものを得る時期が来ればいい、と楽観してます。
そのうち怒涛のように大量に、それこそ語数ひとすじー!という読み方をしたくなるかもしれない。もしかしたらある日突然。

たかぽんが酒井先生宛に引用されたDeepak Chopra氏の英文抜粋部分、
わたしには難しかったです。
知らない単語もあるし、文章も長くて一度で読めない。返り読みしてしまう。
内容は興味津々だけど、多読3原則の「投げ」原則発動です。

通常なら、「一度で読めない〜(泣)」とか「返り読みしてしまう〜(泣)」と表記したくなるところです。
でも、今、この文に「カッコ泣き印」をつけよう、という気持ちが起きなかった。

それは、わたしが、これまでの多読経験を通じて得てきた、
自分の新しい英語力に幻滅を感じてないからだと思います。

子ども時代に、少年少女世界文学を楽しく読んでいた時、
将来、大人になった時の自分の日本語力・読書力のことなど考えたこともなかった。何も考えず、楽しい読書をしてた。
それと同じ心境です。

これって、生意気でしょうか?
それとも、多読の効用を信じすぎている単なるお人好しなんでしょうか?
3年も経過してるのに、コイツ、この程度もロクに読めないのかー、と、
多読を開始したばかりの投稿参加者の人を幻滅させてしまうでしょうか?

語数でないところで得られたものの内容について、
わたしはこれまでずいぶんたくさん、こういう発見があった!という投稿をしてきました。

それらの自分の体験を思い出してみて、今、考えているのは、
「語数の量から得られるもの」と「語数でないところでも得られるもの」には、
あまり違いはないんじゃないか、というものです。
結局、同じものが身についていくんだと思ってるんです。
量で得られるものというのは、わたしにはまだ未体験ゾーンだけど、
それは、今、わたしが得ているものの延長線上にあって、
断絶したものではない、という気がするんです。
線路は続いているんです。どこまでも。

わたしの乗っている多読電車はスピードが遅い分、
(=年間読了語数が、掲示板投稿者の中では比較的少ない30万語)
周囲の風景の詳細がよく見えるっていうだけと思います。

それと、わたしは多分、自分の中の微細な変化を観察するのがすごく好きで、
それを書き記したくなる性分で、
車窓の風景(多読による自分の変化、発見)を、詳細に書きたくなってしまうんです。

書きたい時って、本が読めないです。
易しい英語本を読んで発見したものを観察しているほうが楽しい。
それを書くことが楽しい。
アサガオの観察記録つける楽しさです。(理科好きです)

これまでSSS関係でakoが出会ってきた印象では、
書くより読むほうが好き・ラク、っていう人のほうが多かったですが、
多読開始から特急に乗れる人は、そっちのほうがラクだったってことかなと思いました。
だからどんどん進んでいけばいいと思う。新幹線に乗ったっていい。
誰が一番先に遠くへ行けるかっていう競争って、正直、楽しいから。

でも英語学習は、団体戦で勝つためにしているレースではないから、
競争が面倒くさくなった時は、ぱっと切り換えて各駅停車に変更すればいい。
いつでも、どこからでも。
たくさん読んだ割には得たものが少ない、という人もいるかもしれないけど、
それってもしかして、一時的にホームに降り立ってみないと、
体感できないことなのかもしれないと思う。

動いている列車に乗っている時って、
列車の中にいる自分は静止してる、としか感じられないのに、
地面を基準に考えれば、乗ってる自分はものすごい速度で動いているはずだから。
わたしは、各駅停車を一駅一駅下りるのが楽しいだけかもしれないです。
「読むだけ」ってのをずーっと続けるのは苦痛だけれど、
読んじゃぁ書き、読んじゃぁ書き、って繰り返すのは楽しいです。

(もちろん「書く」というのは、英語を書くというだけじゃなく、
 日本語で発見体験を書くことも含んで)

みな、到達したいと思う方向は、けっこう共通している。
ただ、到達するまでの経路や乗り物の種類が、多少ちがうってだけなんだと思いたい。

なので、この話をこの掲示板の主旨「多読による外国語教育」に応用するなら、
学習者の一人一人が、どんなことならストレスを感じないで外国語を楽しめるのか、
多読だけしたい、多聴は苦痛、という人もいるだろうし、
シャドウイングは苦痛だけど、聞くだけなら楽しめるっていう人もいる。
聞くだけより、シャドウイングが楽しいっていう人もいるかもしれない。
自分にはないが、○○さんにはありそう、といった個々の違いを、
感情的にならずに、
「わたしはアナタとは違います」なんて淋しい言い方をせずに、
人との違いが気になる時は、素朴な謎が発生しただけだと思って、
その違いをどう見つけていって、どう尊重し合えるのか、ということが大事になってくるんでしょうね。

ガンガン読んできたたかぽんが、
一度にスズメの涙しか読めないakoのようなタイプの人物と、
論争も摩擦も起こすことなく、こうして共存できているようにね。

では、たかぽん、いろいろ考えさせてくれるきっかけをくれて、
どうもありがとうございました。
自分はどうだと楽しいのか、自覚的になれたので、とっても満足です。
この満足感が、Happy Readingにつながります。

なので、やっぱり、基本にかえって、Happy Reading !


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