[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/25(08:08)]
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お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2006/5/13(01:16)
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つむぎさん、こんばんは!
酒井@快読100万語!です。
〉>酒井先生
〉ご返信ありがとうございます。反応が遅くなってしまって申し訳ありません。
〉実はちょうど2年前の今ごろ、先生の授業を見学させていただいたんですよ!
〉学生さんがとてもよく先生になついていたのが印象的でした。
しまった! わすれてしまいました・・・
どなただったか・・・?
実は毎年凄い数の方が授業見学に来てくださいます。
最初は忘れもしないメイさんで、4年前になると思います。
昨年度は「教室で読む英語100万語」のおかげか、
特に先生方の来訪が多くて、50人以上の方がいらっしゃいました。
(こんなところで、授業見学歓迎の宣伝をしております。
もうしわけない・・・)
〉私は当時は都内で非常勤で教えていましたが、今は地方に来ています。
遠いかもしれませんが、またぜひ来てください。
今年はまた変身しつつあります。一人一人の学生ともっと
近く接したいと思っています。南無三!
〉>つむぎさんは、なぜ語数を評価に反映させたいと思うのだろう?
〉>そこを知らせてくださいますか?
〉はい。授業で評価する以上、何らかのできれば客観的な基準が必要だと思いました。
〉その際まず考えられるのは、出席、語数、実力テストあたりでしょうか。
語数で知ることも、実力テストで知ることも不可能ではないかな?
語数で知ろうとすると古川さんのいうようにcheatingを誘発します。
実力テストは二つ具合の悪いことがあります。
一つは学生がテストのために読む姿勢になってしまいかねないこと。
(これは先生とのあいだで揺るぎない信頼ができていれば避けられます。)
二つめは多読で育つ力を計るテストがまだ苦付されていないこと。
なかでも先生と学生・生徒の信頼関係は一番大事ですね。
これさえあればどんなことをしても大丈夫。
(ただし拷問に近いようなことはせっかくの信頼を崩します。)
〉語数を評価することには、学生が正直に記録すればという前提でですが、
〉主に以下の二つのメリットがあるのではないかと思います。
〉1、学生の努力自体を評価できる
〉レベルは無視して語数で評価すれば、英語が苦手が学生でもがんばればそのこと自体が
〉評価されることになります。実力テストでこれが測れればよいのですが、
〉それだけで成績をつけられると思えるほど多読でついた力を測れ、かつ手軽なテストを
〉個人的に知らないので、実際がんばったけれどテストが伸びなかったということが
〉起こりそうで、外部テストだけで成績評価することに踏み切れずにいます。
努力自体を評価すると、人間性の評価になりかねませんね。
(努力は主観的なものだと思います。学生は努力したつもりでも
先生がそれを努力と認めないときの心の傷はとても大きいのでは?)
〉2.たくさん本を読もうという動機になりうる。
〉これはいわゆる「外的動機」というもので、純粋に本を読みたいとか実力をつけたい
〉といった気持ちによる「内的動機」ほどは望ましくないですが、実質7ヶ月の
〉授業という短い期間である程度成果を出すには、もともとの動機が成績であっても
〉それで多読の良さとか効果を実感してもらえば、その後続けてもらいやすいのかなと
〉思います。
なるほど・・・
それはぼくもいつも使っている「手」ですね。
きょうも授業でいいました「みなさんは成績のために、
楽に単位がとれるからこの授業を選んだかもしれません。
それはちっともかまいません。いままで何人も、そういう人が
単位のためにこの授業をとって、英語の読書をおもしろいと
おもいはじめました」って。
〉出席で評価した場合、授業には出たけれどおしゃべりばかりしていたり、寝ていた
〉ということがありえます(それはそれでよいという考えももちろん理解できますが)。
おしゃべりはよくないですね。ほかの人の読書の邪魔になる。
多読三原則のほかに、教室では4原則目があるのをご存知でしょうか?
いわく「ほかの人の読書を邪魔しないかぎり、なにをしてもいい」。
この原則を実際に使っているのは電通大だけのようですが、
電通大ではこの4原則目のおかげで多読を自らの意思ではじめる人が
かなりいると思います。
(半年くらいほんとに寝てばかりいて、それから読みはじめて
おどろくような変貌を遂げた学生は五指に余ります。まずは学生を
信じること!)
〉また借りて読もうという動機としては、語数で評価するのよりも弱いと思われます。
それは逆です。語数で評価すれば借りて読むだろうか?
いや、読まない!
評価のために借りて、評価のためににせの申告をするだけです。
それは無理ないとぼくは思うな。
学生のことを考えていない、文部科学省式の「人材育成」のための
授業をいーっぱい受けていれば、自己防衛のためにさぼる手を
考えるのは生存のために必須の知恵でしょう。
つむぎさんの授業がそういう授業だといっているわけでは
ありません。ほとんどのほかの授業はそういう「人材育成」のための
評価をしているわけだから、つむぎさんの語数による評価も
そういうものだと学生が考えて当然だということです。
〉もちろん出席や実力テストも評価基準として使えないというわけではなく、
〉私自身も語数以外の半分の成績基準を出席と実力テストとしています。
語数が半分というのはcheatingを招くに十分な割合です。
メイさんやyksiさんの「語数評価」の割合を参考にしてください。
たしか10%以下のはずです。 (ちがった?)
〉だたし以上のような考えは、学生の申請している語数が実際のものという
〉前提でなりたっているので、不正を行なう学生が増えれば、古川さんもおっしゃるように
〉語数による評価はむしろアンフェアなシステムになりかねないのですよね…。
〉私の授業では、多読をとおして自立的学習態度のようなものを身につけてもらいたいという
〉気持ちから、ちょくちょく自己評価や今の感じなどを簡単に書いてもらったり
〉しているのですが、そういうコメントや授業中の態度を見ることで、
〉語数はかなり増えているけれど不正はしていないと確信ができる学生もけっこういました。
〉また逆に、不正をしているとわかる学生も何人かいましたが、全体としては
〉少数派だと感じていました。ナイーブ過ぎると言われてしまいそうですが…。
〉でも今でも、一般的にどうかは別として、実際に自分が見てきたクラスに関しては、
〉記録された語数がそれほどひどい偽りのものだったとも思っていないのです。
ひどい偽りかどうかは、つむぎさんと学生さんの信頼関係次第です。
けれども、つむぎさんはとても心の素直な方のようだから、
ひどくはなくてもかなりの偽りである可能性はあると思います。
つむぎさんがそんな風に楽観的(?)だとすると
学生をcheatingへと誘うだけでなく、
正直な学生にも「cheatingしようかな、どうしようかな?」という
誘惑になるかもしれません。
〉ただし、やはり語数を成績に直接結びつけることが、不正を助長するものだと
〉いうことはこちらに相談させていただいたおかげでかなりよく理解できましたし、
〉成績についてももっとおおらかに考えてよいのかなと思うようになりました。
〉なので来年度以降の成績評価については、考えなおす必要があると感じています。
〉今年1年 学生の様子を見たり、掲示板・学会・交流会などでSSSの皆さんとお話し
〉させていただきながら、じっくり考えたいです。
はい、それがいいと思います。
けれども心配なのは、そうやって、つむぎさんが学生を
「cheatingしているかな、していないかな?」という眼で見るだけで、
学生との信頼関係は崩れていくと思います。
〉長くなってしまってすみません。ご質問のお答えになっていればよいのですが…。
長くなるのは当然です。おもーい課題ですからね。
学生との信頼関係を作っていこうと思うと、これまでとはまったく
ちがうやり方、ちがう心の持ち方が必要だと思います。
そして、それはひじょーーーーーーーに、むずかしい・・・
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