[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/25(05:45)]
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918. 「多読を[中心/主力]にして」というのはどうでしょう?
お名前: momiji
投稿日: 2006/4/3(19:11)
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酒井先生こんにちは。 momijiです。 "酒井@快読100万語!"さんは[url:kb:909]で書きました: 〉「ほとんど多読だけで」と訂正します! 〉どうでしょう、みなさん? 「多読を中心として」とか 「多読を主力として」 なんて言い方もありなのかなあと思いました。 それじゃあ、弱いかな?? 〉SSSとして定義するほどのことはないと思いますが、 〉ぼくとしては次のように一応定義することにしました。 〉いわく 〉「多読だけで受験のためにわざわざ書かれた本、講座を利用していない。」 〉あらゆる定義とおなじでこの定義にも灰色部分がありますね。 高校によっては、そもそも高校の授業そのものが 「受験のためにわざわざ書かれた本、講座」になっていることも よくあるのではないかなーと思ってます。 私の高校時代の記憶では、 高校3年次の英語の授業と塾の講座などの内容にほとんど 変わりがなかったです。 つまり、教材も「受験のためにわざわざ書かれた本」でしたし、 授業も、「受験のための講座」となってたなあ。 ひたすら模擬試験みたいな問題を解いては、 いかに点を稼ぐか?ミスしないか?なんてことを していましたし、頻出イディオム・文法などの受験用参考書を、 ひたすら覚えさせ、一定範囲の小テストなんてのも やってましたしね。 私が知る地元の高校では、 大学合格進学率を売りにしている「進学校」は、 遅くても高校3年の一学期までに、 高校3年分の内容を超特急で終わらせて、 あとは受験対策の授業(塾などと変わらない内容)をやるっていうのが 多かったですね。 えっと、それを言い出すと、 「多読だけで」って使うのは難しいですね・・・。 ま、要するに、意地悪な見方をする人からみれば、 「進学校」にいってる人が合格した場合、 「多読だけで」とは見てもらえない可能性があるということです。 というわけて、「多読だけで」を使うのは、 結構危険なのかもなーと思ったのでした。 参考になれば幸いです。
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