「多読を[中心/主力]にして」というのはどうでしょう?

[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/7/17(10:02)]

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918. 「多読を[中心/主力]にして」というのはどうでしょう?

お名前: momiji
投稿日: 2006/4/3(19:11)

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酒井先生こんにちは。

momijiです。

"酒井@快読100万語!"さんは[url:kb:909]で書きました:
〉「ほとんど多読だけで」と訂正します!
〉どうでしょう、みなさん?

「多読を中心として」とか
「多読を主力として」
なんて言い方もありなのかなあと思いました。
それじゃあ、弱いかな??

〉SSSとして定義するほどのことはないと思いますが、
〉ぼくとしては次のように一応定義することにしました。

〉いわく
〉「多読だけで受験のためにわざわざ書かれた本、講座を利用していない。」

〉あらゆる定義とおなじでこの定義にも灰色部分がありますね。

高校によっては、そもそも高校の授業そのものが
「受験のためにわざわざ書かれた本、講座」になっていることも
よくあるのではないかなーと思ってます。

私の高校時代の記憶では、
高校3年次の英語の授業と塾の講座などの内容にほとんど
変わりがなかったです。
つまり、教材も「受験のためにわざわざ書かれた本」でしたし、
授業も、「受験のための講座」となってたなあ。

ひたすら模擬試験みたいな問題を解いては、
いかに点を稼ぐか?ミスしないか?なんてことを
していましたし、頻出イディオム・文法などの受験用参考書を、
ひたすら覚えさせ、一定範囲の小テストなんてのも
やってましたしね。

私が知る地元の高校では、
大学合格進学率を売りにしている「進学校」は、
遅くても高校3年の一学期までに、
高校3年分の内容を超特急で終わらせて、
あとは受験対策の授業(塾などと変わらない内容)をやるっていうのが
多かったですね。

えっと、それを言い出すと、
「多読だけで」って使うのは難しいですね・・・。

ま、要するに、意地悪な見方をする人からみれば、
「進学校」にいってる人が合格した場合、
「多読だけで」とは見てもらえない可能性があるということです。

というわけて、「多読だけで」を使うのは、
結構危険なのかもなーと思ったのでした。

参考になれば幸いです。

▲返答元

▼返答


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