議論を歓迎します

[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/7/1(05:30)]

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714. 議論を歓迎します

お名前: yksi
投稿日: 2005/10/1(14:13)

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ロックフェラー綾さん yksiです

御返答くださり、ありがとうございました。嬉しいです。

〉〉SSSのやり方は、学校英語のうち、
〉〉1)大学の教養英語、高専の英語のかなりの部分には、完全に取って代われると思います。

〉そもそも大学の「教養英語」なるものは全廃すべきだと思います。自分の専門の英語が読めるようになることが第一です。そのために多読は有効だと思いますが、一部のエッセイや学術論文に見られるような凝った文体の英語には「やさしい英語を大量に読んで」というやり方ではいつになったら読めるようになるか心もとない。そういったものへは「文法」を活用することが有効でしょうね。

ここでは、大学の「教養英語」を廃止して、どのようなプログラムを具体的に組むのがよいかを検討したいと思います。

1) 専門分野の英語を読むためには、多読の効果は限定的ではないか?もしくは、時間がかかりすぎるのではないか?という疑問だと思います。
私は、多読で読む本を児童書-> 一般書 -> 専門書とシフトさせることが結果的には早いのではないかと思っていますが、私個人の体験以外は、まだ実践例がありません(実践された方がみえたら、お話しを聞きたい)。

2) 「文法」を活用する ことにイメージが浮かびません。この部分、もう少し具体的に活用方法(のイメージで結構ですので)を書いてみて下さいませんか?

〉〉(少なくとも、学生が、期末試験で英文テキストの日本語訳を一夜漬けで覚えて単位を取ろうとする科目は、すぐにでも変えた方がよい。)

〉賛成です。

この点は、合意成立ですね?

〉〉ですが、このことを公言したら、「詐術」ということになりますでしょうか?

〉いいえ。ただ「文法無用論」は検証が十分でありません。酒井氏は直感的ものいいに終始していて論証がありません。「詐術」的な部分は酒井氏の著作やその言動に多く現れていますが、それを丁寧に指摘せずに強い表現を使ったことは問題でした。

ここは、少し誤解があると思います。酒井先生も「文法無用論」を唱えている訳ではありません。「多読を先に、文法は後に」を主張されていると思います(これは、私の個人的な解釈かもしれませんが)。

私のイメージは、文法は中学3年間(もっと短くても良いかも)で十分。高等学校以上は、(大量の)多読や多聴で英文に慣れ、自分で発言、執筆するのが苦痛でなくなってから(もう少し早くてもよいけど)文法を再学習するのがよいのでは?というものです。

〉〉SSSのやり方を非難されるだけでなく、ロックフェラー綾さんのやり方(英語学習法・教育法)を御紹介下さり、SSSより優れている点を御説明下さる方が建設的かと考えます。

〉sssより優れているというよりintensive readingとextensive readingはそれぞれ相互補完的なものであると考えています。多読の効用は当方は十分理解しています。ただ、酒井氏は自らの優位を示すために他教師や従来の方法論への誹謗中傷を行っている点に当方は憤慨しています。

相互補完的と言われますが、どのように補完させるかは、大きい問題です。例えば、私の現場では、多読学習を始めた1年目の学生は、同時に行われている精読(英文和訳です)や文法の授業との折り合いをつけるのに苦労しています。多読初期の目標として、(日本語に翻訳せずに)英文のまま理解するように読む、というのがあり、私は、とても重要な目標だと思っていますが、この目標は、精読授業とほぼ正反対の主張になり、学生はどちらを行ったらよいのか困ってしまいます(使い分けは、多くの学生には困難です)。
そこで、多読と精読は、学校では、学習時期を(年単位で)ずらすことが必要ではないか?と考えています(高校生くらいの年では、多読が先、精読が後がよいと思っています)。

また、酒井先生の言行については別の問題ですので、コメントを差し控えます。

〉また、そもそもSSSの方法論自体彼の独創ではありません。
〉多読プログラムは中東のイエメンで80年代半ばにはじめられたものと記憶しています。そしてその際に「辞書を引かない」「好きなものを読む」等の原則は全て示されています。他人からアイデアを剽窃した上でS(酒井)S(SEG)S(シュリーマン)などと自らの頭文字をあてがう神経が理解できない。

SSSの方法が全面的に独創的だとは思いません。しかしながら、
1) 日本人学習者に必要な多読の量を明確にしたこと
 私の現場でも、累積20万語までは、試験では効果を確認できませんが、100万語以上読んで、効果のなかった学生は居ません(事例は、まだ6人)。ただ、周囲の英語教員の方々は数万語程度の読書も多読と認識している人が大部分です。
2) 多読の開始レベル(YL)を明らかにしたこと
 私の現場でも、初年度、YL1レベルの本から始めて失敗しかけ、大慌てでYL0.3〜0.6の本 (ORT)を補充した経験があります。通常、高等学校等で多読に使われている本は、YL2くらいと聴いていますが、それでは効果を期待できないと(SSSの方法と私は)考えます。
3) やさしい英文図書の情報が整備され入手しやすくなったのはSSSの功績です。

すなわち、独創的かどうかではなく、教育の現場で実践できるか/しているか?が問題だと思います。この実践方法を普及させようと、いろいろな苦労をされている酒井先生とSSSの皆さんには、敬意を表したいと思います。

もちろん、SSSのやり方以上に、教育の現場で実効の上がる方法があれば、私はすぐにでも乗り換えを検討しますから、教えてくだされば嬉しいです。


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