[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/23(07:11)]
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お名前: たかぽん http://dandelion3939.blog38.fc2.com/
投稿日: 2009/4/27(23:44)
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Oh!Mah!Ah!さん、こんばんは。たかぽんです。
えー、非常に個人的なことなのですが、すさまじくシンクロニシティーでした。
吉田松陰、聖賢、阿らぬ、福沢、憤慨・・・
驚愕です。ありがとうございました。(と、礼をされてもお困りでしょうが…)
〉また、英語を使う人々は常に説明と議論(外野席の議論は除外して)を怠らないようです。昔16歳の不良だった私は、ある日図書館で、日本の思想「吉田松陰」中央公論を開きました。「経書を読むの第一義は、聖賢に阿らぬことが要なり」。。。幼稚園か小学科1年生くらいの幼児に、当時の海外情勢についてどう思うか本気で聞いたといいます。
吉田松陰先生のこと、よく知りませんでした・・・
「経書を読むの第一義は、聖賢に阿らぬことが要なり」 すごいことをおっしゃってたんですね。
「聖賢に阿らぬこと」が「第一義」の「要」とは・・・
修行していて、仏の姿が現れれば、槍で突き殺せ、という教えがありますが、
それに似通った精神を感じます。
偉い者に阿るのも、ひとつの傲慢であります。虎の威を借りようということであります。
頭の下がる思いですが、松陰先生は、崇められることも、良しとされなかったのでしょう。
相手がいわゆる偉い偉くないに関係なく、学ぶべし、ということなんでしょうね。
・・・本論とは違うところに反応してしまいましたが、ご容赦ください。
いいお話を、ありがとうございました。
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