[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/24(05:01)]
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お名前: 酒井@tadoku.org http://tadoku.org
投稿日: 2007/3/21(01:42)
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yamasinaさん、こんばんは!
〉こんばんは。おつきあいありがとうございます。
〉"酒井@快読100万語!"さんは[url:kb:1166]で書きました:
〉〉(英語の獲得とは母語の獲得とおなじです。母語でできることを
〉〉 英語でもできることをいいます。)
〉〉〉私自身の考えるところの「英語の獲得」とは、簡単に言うならば
〉〉〉相互に思いや考えをやり取りできるようになる、ということです。
〉ここは、大きな違いはないようで、安心しました。
〉〉〉相手の発したメッセージをどれだけ受け止められるか、自分の
〉〉〉いいたいことをどれだけ伝えることができるか、で獲得の進み具合を
〉〉〉量ります。
〉〉量ることは、どうでしょうね?
〉〉言葉というものがわかっていない以上、量ることはむずかしいと
〉〉思いますが・・・
〉言葉を量るわけではありません。
〉「英語の獲得」は、ゼロからある日突然母語と同じ状態になるのでしょうか?
〉どちらかと言えば、「獲得した状態」ヘ向かってだんだん進むのではないでしょうか。
〉「比べるのは昔の自分」という言葉が示すように、あるいは昔理解できなくて投げた本が
〉やがて読めてしまうように、「英語の獲得」の進行状態は比較できるものです。
〉比較できる訳ですからある種の「量」と呼んでもよいと思います。
まあ、「呼んでも」いいとは思いますが、
呼ばなくてもいい・・・
それこそ、量と呼ぶからには「量る」ことができないと、
量と呼んでも意味ないような気がしますが・・・
これはもう言葉遊びの範囲ですね。
〉とりあえず、量る話だけまず。
〉ではでは。
ということで、
ではでは・・・
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