Re: 多読と受験と立証責任(笑)

[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/24(04:57)]

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1168. Re: 多読と受験と立証責任(笑)

お名前: たかぽん
投稿日: 2007/3/20(23:41)

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yamasinaさん、こんにちは!

〉こんにちは。

〉1121の投稿は別に証明を求めてないですけど、証明の話が出たので。

〉〉さぁ、どちらが証明しなければいけないのでしょうか?(笑)

〉証明(というか実証)はしたいほうが、することになるでしょう。

証明または実証する、ということになれば、立証責任というものがつきまといます。
立証責任とは、判定者が、どちらとも決められない場合に、当事者の一方が受ける不利益、
というような意味です。
たとえば刑事裁判で、被告人が犯罪をしたのかしていないのか、裁判官が決めかねた場合に、
被告人に有利に、無罪とすることになっています。(建前としては。。)
これを、「検察官に立証責任がある」といいます。

ここで、「多読だけで受験に対応できるかどうか(英語ができるようになるかどうか)」、
という問題を考える場合に、それを証明なり実証なりしなければならないということであれば、
「多読だけで受験に対応できる」と主張する側が立証責任を負うのか、それとも
「多読だけでは受験には対応できない」と主張する側が立証責任を負うのかが
決まっていなければなりません。つまり、どちらとも決められない場合に負けるほう、
を決めておかなくてはなりません。

しかし、今はこの問題が裁判になっているわけでもなく、「英語学習法審問所」(笑)
にかかっているわけでもないので、そもそも証明とか実証が要求されているわけではありません。

それで、「さぁ、どちらが証明しなければいけないのでしょうか?(笑)」→
どちらに立証責任があるのでしょうか?(笑)→そんなものはありませんよね、と
反語的に申し上げたのでした。

(なお、証明が難しいことは、「証明します」と言ったほうが不利になります。
自ら、立証責任を負いますと言っていることになっているからです。すなわち、
どちらとも言えない場合は負けにしてください、と言っていることになるからです。)

そして、ここまで言ったことでおわかりかもしれませんが、証明や実証には、
誰が?という、判定者の問題があります。誰に判定してもらう問題なのでしょう?
また、何をもって実証されたことになるのでしょう? そんな基準はあるのでしょうか?

要するに、私は、判定者や判定基準も無いような問題に証明も実証もナンセンスであり、
結局のところ、各人の「納得」しか無いのではないかと思います。
証明も実証もしようがないけれど、それぞれの人が、酒井先生の話を聞いたりして、
「多読はいいぞ!」と思えば、それでいいんではないかと思います。

〉「学校英語なしのほうが良い」が実証されれば、古川さんだって
〉中1に文法教えないでしょうし、多くの中学高校で導入が促進され易くなります。
〉実際問題、実証することは役に立ちます。

だから、実証はできないと思います。

〉「多読多聴だけでは受験英語はできない」を証明するのは難しいですが、
〉「多読多聴だけで、できるようになる」は、実証できると思いますよ。

そうでしょうか?
「多読多聴だけで、できるようになった人がいる」ということを提示できるとは思います。
しかし、「多読多聴だけで、できるようになる」ことを実証できたことにはならないと思います。
「できるようになった人がいる」例を聞いて、「納得」する人が出てくるということだと思います。

〉例えば、おっしゃるとおり他言語の試みによって、あるいは小学生とか。

そうですね。ただ、「実証」はできません。

それと、英語の場合は、大学受験までのどこかの時点で必ず「習って」しまうようになっているので、
「純粋に多読だけで大学受験ができる」例が出てくるのは難しいと思います。

〉〉結果を出さないといけない人が、100%身をゆだねられるような要素は、
〉〉酒井先生の言ってる多読には無いし、これからも無いでしょう。

〉怪しい壺の購入効果は測定不能ですけど、英語力が伸びるってのは、そこまで
〉測定不能なことではないですから、「これからもない」ってことはないんじゃない
〉でしょうか?

「絶対に多読だけで大丈夫ですか?」と聞かれて、「絶対に大丈夫です」と保障できることは
永遠にないでしょうという意味でした。
「英語力が伸びる」ぐらいのことだったら、既に多くの人が体験済みなのではないですか?
それでも、多読で必ず英語力が伸びることが「実証された」とは思いませんけれど。

それと、怪しい壷の購入効果ですけれど、これも、心の底からありがたいと思って買った人は、
幸せになれるのかもしれません。
「怪しい」壷だと思っている人には、ありがたくなくて、幸せをもたらさないでしょう。
その人の気の持ち方というか、心の問題がすごく大きいんですよね。
言語習得にしても、主観的な要素がとても大きいと思います。
「ことば」は、そう簡単に測定できるものではなくて、ものすごく曖昧模糊としたもので、
何を良しとするかという、本人の満足感とか幸福感なども絡んでくるので、
ほんとに一概に言えないです。

〉酒井先生はもうちょっと確たるものをもってはるように思いますけど。

そうですね。
酒井先生の理論というか、センスというものは、多読多聴が良いということを
確として嗅ぎ取って、いわゆる学校文法はダメであると断固として言っておられます。
私も、酒井先生のおっしゃることに、なるほど、そうだろうなぁと、
自分の英語経験に照らして感じています。
しかし、この問題は、「実証」になじまない問題だと思います。
それに、これはほんとうにひとりひとりの問題で、どう思って、何を選択するかは
最終的には各人の勘みたいなものになってくると思います。
酒井先生は、ご自身の考えから、You don't know what you're missing!!とばかり、
こんなふうにすればもっと楽しくラクに英語ができるようになるんだよー!!
と訴えておられるわけですが、よけいなお世話だよ、という人は、それでいいんだとおもいます。
人それぞれ性格も違えば、何もかも違いますからね。

ただ、物事にはプラシーボ効果というか、それを信じてるとどんどん効果が上がるってこともあります。
ただの粉を飲んでるのに、薬と思ってるから、病気が治るようなものです。
なので、あんまり何でも疑ってかかると、自分の上達の妨げになる面はあるのかもしれません。

〉ではでは。

私の思うところをきちんとご説明できているか、はなはだ心もとありませんが・・・

ではでは!


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