[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/24(04:29)]
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お名前: yhiroaki http://hilog.net/eigo/
投稿日: 2007/3/13(22:58)
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酒井さん、こんにちは
>おおざっぱな意味が辞書に書いてあればいいのですが、
>かならずしも書いてないですねえ・・・
>yhiroakiさんは英和辞典をお使いですか?
>だとすると、おおざっぱな意味はまず書いてないと思います。
>英英辞典にもめったに書いてないですねえ。
辞書は英和も英英も使っていないですね。英英は
買ったことがないし、和英は中学生の時に買ったやつが
本棚にあるのはありますが。
あそうだ、ごくごくたまに読了後まで良く出てきた
単語のspellingを覚えていたら、アルクの英辞朗で調べる
ことはあるので、英和を使ってることになりますね!
でも、読了後まで覚えてることはほとんどないです。
多読と平行して単語本によるvocablary buildingを
やっていても、辞書を使わないこととは相反しない
ですよね?
>あ、「おおざっぱな意味」ってどういうものかによりますね。
>yhiroakiさんのいう「おおざっぱな意味」というのは
>たとえばどんなことでしょう?
おおざっぱな意味と僕が言っているのは、例えば、
"head"は「頭」とかです。
例えば、今日読んだMagic Tree House #9にもheadは
"Where we headed, boss?"というセリフで出てきます。
これはあるグループが馬に乗って走っていて、ところで
何処に向かってるんだっけ?ボス、という状況(だと
思うのですが)で使われています。
この時、headが頭だと知っていて、ニヤッとそういう
使い方もするんだねーと思うのが今の僕の読み方です。
そういう気づきを読書の目的にしているわけではない
ので、一瞬こころによぎる、くらいの感覚ですが。
でも本当にまれに、headって頭だけど、そういえば
後頭部じゃなくて、おでこのイメージだよなあ、
プロレスのヘッドバット(!)にしても、と思う時も
あります。
ですので、僕にとっては、単語本に求めるものの中で、
英英辞典のような"単語の定義"は必須ではありません。
あったらあったで、それを読んだだけでほぅっとイメージが
広がるのでしょうけれど、僕はイメージを広げるのは
読書を通じてでいいかなと今のところ思っています。
単語本で「おおざっぱな意味」の知識を増やさず、
読書を通じてだんだんとheadが形作られる、というのも
頭ではわかるのですが、
"headは頭"から入って膨らましたり修正したりしていく
やり方もありなんじゃないかと思っています。
というか、僕は後者のほうが効率がいいのではないか
と思って、今のところを後者を選択しています。
>ぼく自身、語彙増強をすすめることがあります。
>それは試験や資格取得対策のドーピングとして、ですね。
>そういう切羽詰まった状況でない場合は、懸念が残ります。
試験や資格取得という意味で切羽詰った状況にはないです。
ざっと20年以内にnon-nativeとして英語圏で生活できる
ようになりたいと思っているので、本当は切羽詰っているの
かもしれないですが。
▲返答元
▼返答