[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/11/24(01:27)]
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お名前: れな
投稿日: 2004/2/7(21:41)
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タドキストの皆様、こんばんは。れなです。 このところ、色々な議論が盛んで、痛いお話もありました。 たくさんの方のご意見を聞けるのはとても嬉しい反面、本当に色々あるんだなって 考えさせられました。一番驚いたのは、この私が「すごい人」の1人にカウント されていたことですが(笑)。でもここで私が「すごくないです」と言うのは それはそれである種の無責任なのかもしれないですね。ちょっと複雑です。 さて、今日出てきたのは、先日Rockmanさんへの投稿でちょっとだけ書かせて いただき、みちるさんも言及されていた「日本語読書のスキルと英語読書」 について、もうちょっとちゃんとお話ししてみようかな、と思ったからです。 このテーマ、実は去年の後半から地道に考えていて、(別にどこかに発表 しようか思っていた訳じゃなくて、ただ単にそういうことを考えるのが好き) でもまだ全然まとまってはいないのですが、どんなことがあって私がそう考える ようになったかとその理由をお話してみようかな、と。 このテーマって、あまり言葉にされてなかったのかもしれません。 もともと読書スキルの高い人間は、大抵は重度の活字中毒者で、読むことに 夢中になってる場合が多いですし(笑)。 以下の例は、SSS方式で読んでいる方の例ではありません。私自身と、 私の周りの普通の人々の例です。皆様のお役に立つかどうかはわかりませんが、 よろしければおつきあいください。 私は自他共に認める「本の虫」です。実は職業もそっち系です。 タドキストというよりは、「趣味は読書(英語も含む)」の人。 なので、私の周りには今も昔も大勢の類友がおり、現在は洋書読みも数人います。 私があんまり簡単そうに読んでいるのでその気になった人もいれば、もともと 読んでいたのが私という仲間を得ていっそうその気になった(?)人もいます。 ずっと続けて読んでいる人もいれば、もう読んでいない人もいます。 彼女たちを見ていて、話を聞いていて、私は自分だけが例外というわけではない のだと知りました。でも、自分とは全然違う人もいるのだと知りました。 私の中では、読み手のタイプは大体以下の3種類に分かれています。 まず、私と同じタイプの人。重度の活字中毒者。 私の友人で、とても英語が苦手な人がいます。本当に苦手です。 ところが、その彼女は私につられて(?)、更に人からプレゼントされたせいも あってハリポタを原書で(日本語では未読)読み始め、そのまますっかりはまって しまいました。それも、すごい勢い。5巻など、読んでいない私に、 見てきたように語ってくれました。彼女曰く「だって、本当に言いたいことって わかるじゃない」。 彼女は私以上の読書家です。日本語だったら読むのはとんでもなく速いし、 守備範囲も広いです。でっち上げ話も得意(爆)。文章そのものより、その先に ある、書かれていない何かを読みとって理解する、そういう力を持っている人です。 ただ、細部に関しては甘いところもあります。読み飛ばしてしまうから。 それから、基本的に精読の人。活字中毒だけど、量を必要とはしない人。 もともと勉強が好きで、ちゃんと読まないと気が済まない人もやっぱりいます。 そして、そういう人は、日本語で読むときも一字一句ちゃんと読まないと 嫌だって思ってる感じです。読むのはゆっくり。ひとつひとつの言葉の意味を考え つつちゃんと読む。これはこれですごく羨ましかったりもするんですが、瞬間的 に行間を読んで理解するってことをもともとあまりしないできているので、 英語読書も同じ道をたどってます。 読書そのものが好きで、深く考え、理解するという意味でのスキルがとても 高い分、わからない部分があることに対する嫌悪感・拒否感が強くてつらそう です。と言っても、私の友人達はそこまで気にしてないか、「自分はこれでいい」 って言ってますが。 そして、あんまり本を読まない人。 本を読むのは嫌いじゃないけど、常に読んでいるという程でもない人。面白い本が なければ、探してまでは読まない人。このごろ、周囲に多いです(笑)。 私は誰かを面白い本にはめるのが大好きなので、はめては楽しんでます。 で、よく聞かれます。「面白い本ない?」「何を読んだらいいかわからなくて」 ちなみに、自分の読みたい本を知っていること、もしくは自分の読みたい本を 探すことができること、も重要な読書スキルの一つです。日本語読書の段階で このスキルを身につけているかいないかも、結構重要なポイントなのでは? 自分が何を読みたいかは、結局、自分にしかわからないものですもんね。 と、ちょっと話がずれてしまいましたが、このタイプの人は、読むこと自体の スキルもそんなに高くないみたいです。だから、とばし読みをすると、瞬く間に 内容がわからなくなってしまい、途方に暮れてしまうように見えます。 どこにどうポイントを置いて読めばいいのかわからない。言葉になっていない 部分は見えない、そういう感じ。それでも読んでいれば自然に読めるようになる んですが、いきなり自分の読みたい本に挑んで玉砕してしまうことも(泣)。 面白い本にはまると、どんどん読んでくれて嬉しいんですけどね。 そう、つまりこういった事例を見ていることが、私が「日本語読書のスキルがものを 言う」と思っている一番の理由です。すべての人に当てはまるとは思いません。 こちらの皆さんに当てはまるかもわからないです。でも、少なくとも、私の周りでは こんな感じなんです。あ、ちなみに、「全然本を読まない人」はさすがにいない ので、ちょっとわかりません(汗)。 それから、もう一つ、「行間を読む」ということについてのこんな経験をしました。 去年の終わり頃、"Monkey's Raincoat" を読んでいた時のことです。 この本はバリバリのハードボイルド。洋書でハードボイルドを読むのは初めて でした。日本語では色々読んでます。そして、日本語で読んでいる時にはよくある ことなんですが、読んでいる途中(本を閉じて電車を降りたときとか)、 気がついたら「ハードボイルドな思考形態」になっていたんです。 びっくりしました。 ええと、どう説明したらいいんでしょう? つまり、「主人公の語りと同じ 文体で、主人公と同じように現実を思考している」状態、なんですよね。 こういったことは、日本語で、印象の強い一人称の文章を読んでいると(村上春樹 とか)よく起こるんですが、私自身はずっと、それは「文体に反応している」 んだと思っていたんです。ところが、それが英語でも起きた。 私はもちろん英語ではものを考えられません(笑)から、考えそのものは 日本語です。でも、明らかに本の中と同じハードボイルドタッチ。自分の周りの 現実を、主人公の視点で語っています。私が反応していたのは、文体や文章 ではなく、その先にある主人公(作者)の思考そのものだったんですね。 というような経験をしてから、もう一度よく考えてみたら、自分がどうやって 読めないはずのPBを読んだのか、わかったような気がしました。私は最初から、 1ページの半分くらいわからない部分があっても読めました。今だって、本当に 語彙が少ないですが、読みたい本であれば何でもめげずに読みます。 前述の友人もそうです。文章の中の本当に重要な部分だけを見つけ出し、その先に ある、文章になっていない部分を読むことができれば、そして、作者が書きたかった ことを感じ取ることができれば、たとえわからない単語ばかりであろうとも 私たちは読めてしまう。それは、英語力とは全然別の、日本語読書で培った 能力によるものです。私と友人はそれを「納得力」と呼んでいます。 もちろん、英語で本を読めるようになるために日本語読書が必要だと思っている わけではありません。でも、日本語での読書スキルが一定レベルに達している 人であれば、かなり無茶なレベルの本を読んでも読めてしまう場合がある、とは 思うのです。実際の英語力はそれほど高くなくても、いきなりでも、読む気さえ あれば読める。そして、一旦、英語回路ともともと持っている読書回路が結びついて しまえば、後はそのまま読んでいくだけなんです。だから、読めるようになるのは 早いし、端から見るといかにもすごい人のように見えてしまう。実際の英語力は、 別問題なんですけどね(笑)。 私はずっと自分の読みたい本だけ読んできて、それはほとんどファンタジー小説で、 だから基礎的で日常的な単語ははっきり言って壊滅状態です。カタカナ語には致命的に 弱いし、名詞関係では例えば生き物は、それが現実に存在する生物の名前なのかその 小説オリジナルの化け物なのかもわからなかったりします(でももちろん、文脈から、 それが恐ろしい生き物であることはわかる)。英語を書いたり話したりは全然 できないし、ぱっと出された書類を読むことなど、とってもとっても怪しいです。 でも、好きな本だったら読めるし、後で翻訳本を読んでみても、別に内容が間違って いることもない(細部はまた別の問題ですが)。 恐るべし私の納得力。 というわけで、英語力とは別のところで、別の力を使って洋書を読んでいる人は、 それなりに存在する、と思うんです。もちろん、それをずっと続けていれば、自然と 英語力もついてくるのですが、最初の段階での英語力は、「とりあえず英文に耐えら れる」程度っていうこともあるでしょう。もともとの読書スキルが高ければ高いほど、 英語力は低くて済んでしまいます。もっともこれには、「本人の性格」が絡んで くるので、スキルが高いからと言って、すべての活字中毒者がさくっとPBを読むわけ ではないのですけれど。 なんだかどんどん長くなってきてしまいました。どうしよう……。 もう少しだけ、許してくださいね。 日本語読書で培った能力のうち、私が洋書を読むのに役立っているな、と思っている のは主に次の3つです。 ・読解力 これに、先ほどの「納得力」も含まれます。 どこまでわからなくても読めるか、というのは、ひとえに「あるものだけで 結論を導き出す」力にかかっているのかも。 ・持久力 本を読み続ける力です。活字中毒者はこれを無限に持っているので、そうでない 人のことはあまり考えられないのですが、実際にはとても重要だと思います。 この力があれば、どんなにぶあつい本でも、何十時間かかっても、楽しんで 読むことができます。 ・選択眼 自分の読みたい本を見つけ出す力、自分にふさわしい本を選び出す力です。 とても無理だ、という人はせめて「自分がどの本が好きか、どういった分野の 本なら興味が持てるか」を常に意識して、人にも伝えるようにすると、向こうから 本が来てくれるようになります。 他にもないわけではないですが、大体、この中に含まれるかな、と思います。 これらの能力が高い人は、性格的に読み飛ばしがOKならば、結構早くPBを読める のかもしれません。英語力とは別のところで、力業で、ですが(笑)。 あ、でも、一応申し開きをしておきますが、それだけ読み飛ばしても、どんどん 読んでいればやっぱりそれなりに語彙は増えていくみたいです。昨年末から今年に かけて、私がこれまでの色々な時点で読んだPBが相次いで文庫になったので 読んでみたところ、PB3冊目で読んだ本は「そういえばこことここがわからなかった のよねー。こういう場面だったのかー」でしたが、去年の今頃読んだ本は「あ、 ここがなんだか不思議だったのよね。でも、やっぱりちゃんと書かれてなかった んだー」でしたし、去年の秋に読んだ本は「うわー、これ訳が嫌ー。次の巻は英語 だけでいいや」でした。それぞれの本の英語レベルは多分そんなに違いません。 変わったのは私(爆)。 なので、私と同じ、「読めるなら読んじゃえ」の方々、ご安心ください。 大丈夫です。読んでれば読めるようになります。きっと。 こんな感じなのでした。 なんだか言葉足らずなのに文章ばっかり長くて申し訳ありませんー。 おつきあいいただいた方、どうもありがとうございました。 まだまだ結論の出ていない考えですし、そのうちまた考えが変わってくるかもしれません。 でも、今の私はこんなふうに思っています。そして、相変わらず好きな本を適当に 読んでいます。基本的に「納得力」で(笑)。 では、どうか皆様、楽しい読書を。
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