友は野末陳平の脇の下

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8063. 友は野末陳平の脇の下

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/22(04:43)

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杏樹さん、こんばんは。
真夜中に子供のゲロ騒動で叩き起こされて、目が冴えてしまって眠れない道化師です。

〉こちらこそとことん相手にしてくださってありがとうございます。

とことんお付き合いしたいのですが、どうやら私の元から浅い教養が底をついて来たようです。(悲)

〉今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)

ごめんなさい。解りません。本当に解りません。
秋男さんのように知ってて知らぬふりじゃありません。
私、そんな事しません。
(知らないのに知ってるふりはしますが←恥)
ここは、聞かぬは一生の恥で、お願いします。
「おせーて!」

〉道化師さんの夢を壊さないよう隠れておきます。

先程から杏樹さんについての「夢」が出来上がりました。
上でまりあさんが「美女と野獣」となぞらえたので、
「やや?」と思い、杏樹さんに対する人物評をあちらこちらで探し読みしてきました。
どうやら、「大阪」「ツッコミ」の文字上のイメージで上沼恵美子を想像してたんですが、だいぶ違うと言う事が解りました。
「美女」なんですね?
(美女マニア心をくすぐるなぁ。恋しそう!!)

因みに私は多分、文字上のイメージとおりです。
「野獣」じゃないでしょ?
(ねっ、東京の皆さん!)

以上、本当に書きたい事はここまでで、後は余談です。

〉アメリカから守ってもらわなかったらどうするんだとか…。ソ連の脅威がなくなったら「北朝鮮がテポドンを撃ってきたらどうするんだ」と言うようになったし。

やっぱり、そうか。

〉当時のドイツは第一次大戦の補償金で経済が行き詰まって極端のインフレに悩まされ、国民の間に不満が広がっていました。そういう時、「敵」を作って注意をそらせるというのは為政者がよくやることです。ブッシュも9.11テロのショックを受けたアメリカ国民をなだめるために「敵」を攻撃しなくてはならなかったのです。それに引っかかる方も愚かなのは確かですけれど。

「愚か」なふりですね。
「愚か者」を装うのは、性質の悪い「知恵者」のよくやる手です。
愚か者を装い、引っかかったふりをして、抜け目なく立ち回り、ほくそ笑む。
多分、ロスチャイルドなどはその類でしょう。
日本で言えば・・・おっと、これを言っては東京湾に沈められてしまう。

〉知らなかった、というのは確かに贖罪にはならないでしょう。しかし当時のものの見方、考え方からすると、現代人と同じ「良心」を持てといっても難しい面があったとは思うのです。ただ、それを言い訳にするのではなく過去に起こしたことを「過ち」であることを認め、二度と起こさないよう意識を変えていく努力をするのが贖罪になると思います。その「過ち」すら認めないで「知らなかった」「当時の情勢からすると仕方がなかった」と逃げを打っている人がたくさんいるのは悲しいことです。

今から50年後の人達が、「あの当時では仕方なかった」と言うかも知れない、
今、現在、ここで「知らない」で済ましている私の「過ち」が何なのか?
環境への無配慮か?資源の浪費か?我が子への心ない言葉か?
それは「今」は、解りませんが、将来「仕方なかった」と逃げを打つ事はしたくないものです。

〉どの民族も多かれ少なかれ自画自賛しますからね。「中華の民」はもちろん、「日いづる国」「日ノ本」とか、「朝日のように鮮やかな」とか。自国、民族に誇りを持つのはけっこうですが、差別につながるのが困りもの。

困った事に、人間の集団は、結局排除(=差別)される者があって、はじめて確立されると言う構造を持っていると思います。
「○○ではない私達」と言うことで、繋がり合うのです。「○○でない」事に誇りを持つのです。
異端分子があって、はじめて同質性が維持されるのです。
だから常に「○○な者」を認識出来る程度に手近に置いておく必要があるのです。
歴史的には杏樹さんが詳しく書かれたユダヤ人がヨーロッパでその役割を担ったのでしょうし、開国前の日本が被差別部落を村の周辺に置き、近代日本が朝鮮を差別的に扱ったのも、この構造があるからだと思うのです。
アメリカが建国以来、常に「敵」を持ってきたのも、「移民による他民族国家」と言う性質上、自らが「国家」としてまとまる上で必要だったからだと思います。
(と、この理屈は今をさること十数年前の私の卒論のテーマでした。進歩が無いなぁ)
あっ、誤解が無いように付け加えますが、だから「差別の構造」は必要悪なのだと言いたい訳では無いのです。いかに必要悪をゼロに近づけていくかを考えなければならないと言うことに本意があります。

〉ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

でも、その前は戦争とは兵士同士の闘いであり、戦闘の横で農民は黙々と農作業をしていた時代があり、その前は、こんどは兵士と一般人の区別も無く、負けた国の民はみな殺されるか奴隷にされた時代がありと、行ったり来たりにも感じます。
現に、湾岸戦争当時より今回のイラク戦争では遙かに情報統制が行き届いていて、また戦争の実態が解りにくくなりました。

〉私はアメリカ人が「原爆のおかげで戦争が終わった」という評価に異議を唱えるためにも、原爆が落とされる以前に日本中が空襲で焼き尽くされていたことを伝えることは意義のあることだと思います。アメリカ人は突然落ちてきた原爆に驚いた日本が慌てて降参した、みたいなイメージを持っているんじゃないでしょうか。日本が無条件降伏を受け入れたのはソ連の侵攻があったためでもありますが、きっとそれも知らないんですよ。だから原爆の功績を必要以上に美化するんです。

なるほど。杏樹さんの意図はそこにあるのですね。納得です。

〉確かに日本も戦争がうまくいっていたら同じようなことをしたでしょう。しかし日本はボロボロになって負けました。だからこそ戦争は悲惨なもの、というインプットができあがりました。アメリカは戦争に負けたことがなく、自分の住んでいる町が爆撃されて一般市民が炎の中を逃げるような経験をしたことがないため、いつまでたっても戦争に対してダーティーなイメージよりも栄光とか勝利とかのイメージを抱いてしまいます。そしていつまでも「アメリカン・ドリーム」を夢見てる。日本は「大日本帝国」の夢から覚めてよかったと思います。二度と見ないようにするために、国民一人一人が気をつけなくてはいけません。

アメリカも南北戦争という悲惨な国内戦をやって、その反省の上に建国した筈なのですが、その記憶も英雄伝説のようになってしまい風化したんでしょうね。
杏樹さんの言われる日本のインプットも、だいぶ賞味期限が切れて来ているようです。戦争体験者が現役の一戦にいた30年前では、イラク派兵なんて決して可決されていなかったでしょう。

〉それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

うーん。
ツッコミの杏樹さんにツッコミを入れるのは恐い気がするのですが、はまこさんの書き込みに「どんどん入れて」とあるので、入れますが・・・。
それに所詮、東京から離れた事の無い人間に本当の「ツッコミ」が解る筈も無いので、ご容赦を願って・・・。
(5.6人まとめてかかっても、投げ飛ばしていただけるようなので)
「戦争責任」と言うのは、言葉として存在しても、実態の無い言葉の典型だと思うのです。為政者の「戦争責任」と言う時、それは「敗戦責任」なんですね。勝てば決して責任は問われない。それは東京裁判でもニュールンベルグ裁判でもそうでした。チャーチルだって、トルーマンだって、スターリンだって戦争責任は問われなかったのです。更に、国民が為政者に問う物ではなく、戦勝国が敗戦国に突きつけるものです。戦争に勝ったか負けたかでどちらに転ぶか解らない責任を問うというのは、はなはだ矛盾に満ちているのです。確か東京裁判でも、インドの判事(パール判事と言ったかな?)が「国際法上、戦争は責任が問えるのか?」と同様の主旨の事を問うていたと思います。
じゃあ、既存の「戦争責任」に実態が無いのならば、国民が為政者に問う「戦争責任」が実態として作れるのかと言うと、これも難しい。もし、勝って国に利益をもたらし、国民生活が豊かになった時、それでも国民は為政者に責任をとれと言えるのか?と思うのです。やはり「戦争を起こして負けて、こんな悲惨な目に遭わせた責任を取れ」と言う「敗戦責任」になってしまうと思うのです。となると、次の論理の展開は「戦争は負けない戦争であれば責任は問われない」となり、弱小国への侵略となって行くと思うのです。
私が「反省」と言わず、多分に形而上的に「罪」と言うのはこの点なのです。「反省」は、どうすれば次は失敗しないか、どうすれば「負けないか」に繋がりかねないのです。贖罪されない「罪」を背負い、それでも、それを贖っていこうとする姿と自ずと違うと思うのです。
責任と反省は失敗しない道を歩ませ、罪はより良き道を歩ませると思うのです。随分と宗教的な言い方ですが、人間一人一人が自らの内にある「罪」を意識しない限り、他者への寛容、譲歩、共感は生まれないと思うのです。この考え方は、「りんごを食べてエデンの園を追われて以来、人間が抱える原罪」というキリスト教の発想に似ているかも知れません。が、このキリスト教の「原罪」という意識を「弱者のルサンチマンである」として否定し、「力への意志」を説いたニーチェの哲学は、ハイデカーを経由して間違いなくナチス・ドイツの思想へと繋がったのです。
良く言われる事に「犯罪」としての殺人より、「正義」の為の殺人の方がはるかに大規模で残虐であると言うのがありますが、真実であると思います。
犯罪としての殺人は殺人者に「罪の意識」がありますから、最小限の殺人に留まりますが、「正義の殺人」は「正義」のより完全な実現の為に最大限の殺人を行います。
「戦争責任」を裁く側に「罪」の意識無く「責任」を取らせるという「正義」を振りかざした時、それは戦争に一歩近づいた事になると思うのです。
そして「罪」を考えた時、それは為政者と一般国民にその軽重があるとは思えないのです。これは為政者の立場にある人の罪を軽くすると言うのではなく、一般国民の罪もまた為政者と同じ重さであると思うのです。そのくらいの「罪の重さ」を感じて初めて真剣に為政者の、いや国の戦争への道を厳しい目で監視し、阻止出来るのではないでしょうか。

〉まさしくそうです。歴史の解釈や見方はどんどん変わっていきます。絶対的な歴史的事実というものはないといってもいいです。歴史をどう解釈するか、ということは、現在自分がどのように生きるか、世界をどのように見るか、ということに深くかかわってきます。

今の私は、真夜中にガキのゲロ世話して生きています。トホホ。
でも、そんな日常から見えてくる世界もまたあります。

〉〉ガクッ・・・。
〉〉以上杏樹さんの腕に抱かれながら、往生際の台詞でした。
〉〉(うーん、ミュージカルのように往生際が悪い)

〉瀕死なのに歌を歌ってるとか?

そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

〉イタコにでもなって霊を呼び出したりして。

子供げろに呼び出されるよりは、イタコに呼び出される方がましですね(笑)
さて、杏樹さんの胸に抱かれる夢を見ながら、もう一眠りします。


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