[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/11/23(17:55)]
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初めまして、海と申します。
速さ、と理解は同じ土俵に乗るものなのでしょうか? その方のはじめの前提からして疑問。。
速く読んで理解していることもあれば、遅く読んでも理解できないこともあるような。
速さについて
私自身は速く読めないのですが、速く読めるならばそれにこしたことはない、と思って
います。読みたい本がこんなにたくさんあるのに遅いのです。でもそれはしかたのない
こと、人それぞれと諦めています。優香さんは速く読めるのですから、どんどんご自分に
あったペースで読まれていかれるといいと思います。読速と理解は関係が無いと思います。
理解について
お楽しみの読書についての理解は、人それぞれの経験や感情、考えが反映されるものだと
思います。自分のフィルターを通した理解がその人の理解、だから理解も人それぞれ、と
考えて良いのではないでしょうか?
それだからこそ読んだあとの他の人との会話は格別。自分とは違ったフィルターでもう一度
本を楽しむことができるのですから。違った視点で自分でもなるほどと受け入れられる感想
を聞くとすごく得した気分、理解の幅が広がり嬉しくなります。
だいたい作者と読者は違う人間なのですから作者とまったく同じ理解などできるはずがない
と思うのです。作者の意図から随分と離れた深読みさえも読書の楽しみのような。極論かも
しれませんが「本当の理解」は存在しないと言いたいのですけれど、迫力不足かな。。
「腑に落ちる」というのが、この場合の「理解する」に近いように思います。
マニュアルの説明文を理解しそれに添って間違いなくやるとPCが操作できる、という場合
には「本当の理解」が存在するのでしょうけれど。
その方に「本当の理解」ってなに? とお聞きしたいような気がします。
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