Re: 祝1周年記念

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7382. Re: 祝1周年記念

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/3(02:13)

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こんばんは、杏樹さん、道化師です。

"杏樹"さんは[url:kb:7368]で書きました:
〉昨年の11月2日に多読を始めてちょうど1年になりました。現在256万語です。
〉多読を始めたきっかけや英語歴については100万語報告で詳しく述べたので、1年経った感想など。

1周年おめでとうございます。
多読(による英語習得法)には、先日来、たこ焼さんとの「停滞裁判」を通して、
語数の経過と時間の経過の二つの側面があると最近思う事もあり、
時間的経過のくぎりでのご報告を興味深く読ませて頂きました。
(1ヶ月で100万語と1年で100万語では、自ずと学習者として抱える問題もまた違う部分があるでしょうから)

〉とりあえず書評のレベルに従いました。しかしレベル3のうち、これはレベル3にしては難しいのではないかと思うものがありました。この間「ダレン・シャン」の3巻を何とか読みましたが、2巻の時よりはわかりやすくなった気がしますし、終わりの方はかなりわかったので、少々レベルが上がったかな〜と思いました。しかしその直後に読んだ本がレベル3にしては読みにくかった。

杏樹さんは、今読んでいる本のレベルを意識されながら読まれるのですね。
レベル査定者向きですね。
私には「読めるか」「読めないか」があるだけで、「レベル○だから」と言う意識が無いものですから、感心します。
(もっとも、象のような歩みで読んでいるのもので、「読めない」もあまり解らないのですが)

〉1周年を迎えて
〉とりあえず、ここまで行き詰まったり悩んだりはありましたが、停滞はしませんでした。おそらくこれは、多読を始めた動機が、英語の本が読める方法を探していたこと、本を読むのがとにかく好きでしょうがないからでしょう。そこに本があるだけ読みたい」と思いますから。この前の行き詰まりは未読本を積み上げたら解消してしまいました。

「行き詰まったり悩んだり」と「停滞」には違いがあるのですね。何だろうなぁ?
行き詰まったり悩んだりしても、日々読むペースには変わりが無いと言う事でしょうか?

〉そして多読を始めた一番の動機は「指輪物語が読みたい」でした。しかし1年経ってもまだ読めません。それを考えると気が遠くなるような気がします。「快読100万語!」が出た当時はそれでペーパーバックが読めるレベルになるように書かれていましたが、最近はレベル3で100万語通過が標準とされるようになりました。ペーパーバックまでには相当本代はかかるし、時間もかかる。

例えば英語圏に「100万語読めばあなたも日本語の文庫本が読めるようになる」と言う本があったとして、
その時、どんな文庫本が想定されているかによりますよね。
現代の流行作家にしても赤川次郎の三毛猫ホームズみたいなものもあるし、京極夏彦みたいな作品もある。
どちらも「同じ文庫本」として括るには、学習者としては無理があるような気がします。
それとペーパーバックも同じなのでしょうね。
きっと試されていないだけで、シェルダンの簡単なものくらいなら、杏樹さんなら読めるのでしょう?
(シェルダンを読みたいと思うかどうかは、別問題ですが)

〉では多読法の利点とは?
〉まず費用の点では、英会話学校に通ったり英語教材を買い込むことを思えば、安くはないにせよ決して割高ではないでしょう。ブッククラブや貸し借りに頼らず自費購入をすると大変ですが、他の英語教材で英語を勉強する費用を本の購入に回すと考えればいいわけです。

ブッククラブを利用するとは圧倒的に安いですよね。私はいまだにブッククラブ3期分の会費36000円と、
20冊程買った書籍15000円しか費用的には多読にかかっていませんから。
(オフ会参加のために、妻のご機嫌伺い用の費用は、それ以上にかかってるかもしれないですけれどね)(笑)

〉効率の点では決して「いい」とは言えないでしょう。1年経ってもレベル3〜4をウロウロしてるなんて。しかし、表面の暗記学習ではなくて英語が自然に体にしみこんでいるはず。何年かかっても、語数を重ねれば重ねるほど本当の効果が出てくると思います。対症療法で即効性のある現代西洋医学に対して、体質から徐々に改善していく漢方療法と言っていいかもしれません。

効率の善し悪しは、学習者が持つ目標と言うか、どういう状態を「英語が出来るようになった」と思っているかによるのでしょう。
英語の本を読む事に関しては、「多読法」によること以外に、他に方法があるのでしょうか?
受験英語は実際に英語の本を読むのに役に立たないと言うのは、皆さん言われていることですが、
それでも酒井先生が多読を提唱されるよりも、ずっと以前から英語の本を読んで楽しんでいる人は何人もいた筈です。
(例えばsakigoroさんですね。)
だから、「酒井先生が提唱し始めた多読よりも先に、英語の本が読めるようになる方法があったはず」と考えがちで、
その「あったはず」の架空の方法との間で、効率が良いのかどうなのかを考えてしまうと思うのですが、
そんな「あったはず」の架空の方法なんて、現実には存在しないと思うんです。
英語の本を読めるようになるには、酒井先生が生まれるずっと前から「多読」しか方法はなかったし、
実際読めるようになった人たちは「多読」をする事で、読めるようになったのだと思うのです。
ただ、その読めるようになった人達が「多読」をしたから読めるようになった事に自覚的であったかは別問題です。
多読したから読めるようになったと思った人もいたでしょうし、
地道に単語を丸覚えしたから読めるようになったと思った人もいたでしょう。
でも、その人達が読めるようになった理由をどう考えているかとは別に、
読めるようになった人が皆、「多読」をしている事は事実なのだと思うのです。

余談ですが、以前からオフ会で酒井先生にお会いすると話していたのですが、
酒井先生が英語教育者に嫌われる理由も、まさにここにあると思うのです。
つまり、実際読めるようになった方法が「多読」であると自覚的な人は、
今実際に自分がしている教育が「読めるようになる事」と無縁な事を知っていて、教育している訳ですから、
自分のしている教育の矛盾をあからさまに指摘される事になるでしょうし、
「多読」に無自覚に読めるようになった人は、「そんな事は言われなくても知ってるし、それよりも重要な事が・・・」
と思うでしょうし、
「多読」の経験の無い英語教育者は、自らが「英語の本を読んで楽しむ」事が出来ない事を白日に晒される訳ですから。
とにかく「一子相伝の秘伝」をばらまいたように受け止められているのが、嫌われる理由なのだと思います。

〉それから、これからの多読法のあり方についてですが、もともと多読は「ペーパーバックが読める」というのがうたい文句になっているようですが、それを見直してもいいのではないかと思います。
〉というのは、まず多読を始めた人には、今まで英語学習に挫折してきた、英語が苦手だった、という人が多く、そんな人でも楽しく英語の本が読めるのが、効果を上げているポイントです。最初からはっきりとした目標本があるならともかく、必ずしもペーパーバックを「ゴール」とか「最終目標」にしなくてもいいのではないでしょうか。むしろ自分のレベルにあった本を選び、「英語の本を楽しく読む」ことを目標にした方がいいのではないかと思います。

これは人によって様々ですね。私のような生意気な中年親父は、
「児童書だったら、英語の本でも楽しく読める」では食いつかなかったでしょうから。

〉先日書店で「Big Fat Catの世界一簡単な英語の本」の隣に「世界一簡単な英語の本」という帯をつけられて「Charlie and the Chocolate Factory」が積んでありました。思わず「うそやー!!」とツッコミ入れたくなりました。「世界一、ってそんなことあるかい!」って。
〉また、ペーパーバックの読み方の本があり、辞書を引いて引いて引きまくれ、とか「辞書は引かなくてよい」などと書いている本があるが信用するな、とか書いてありました。もちろん中身は難しいPBがゾロゾロ。

「辞書を引いて引いて引きまくれ」の本の奥義は、そうすれば辞書をひきまくっても解らない事がいずれ悟れるから、
そうすれば読めるようになると言う事なのでしょう(笑)
とにかく「辛い」「苦しい」事を克服しないと何事かを達成出来ないぞと言う方法論は、
自分の「辛い」「苦しい」経験へのルサンチマンなのでしょう。
そしてそのルサンチマンの中に他者も引きずり込みたいと言う、ルサンチマン特有の傾向があるのだと思います。

〉結局今までの英語学習教材はある程度英語ができる人向けのものだったのです。「中学・高校で英語を6年間勉強していればできるはず」という前提でもあるのかもしれません。しかし、学校英語は結局は試験のための勉強です。6年間かけてドーピングを教えているようなものです。
〉なにしろ「受験」というものがありますので、それに対応しなくてはなりません。先生も受験英語を教え込まないとやっていけないようになっているのです。前に教師を対象に多読の説明をしたらさんざんな反応だったようですが、教師の立場からすると受験に直接結びつかないものを教えるわけには行かないのでしょう。

学校教育と言う制度自体が、「人間的により良き人間を生む」事を目的にしている訳ではなくて、
「課題に対して何の疑問も無く、素早く解答を示す」訓練の場だと言うことは、
歴史に造詣の深い杏樹さんなら、既によくご存じの事と思いますが、
とにかくたかだかそういう場なのですから、「学校英語」云々を、そこで生計を得ている教師の方に言っても詮無いことでしょうね。

〉で、多読です。これの画期的なところはレベル0から始めることです。多読を始めた人で「チョコレート工場」が「世界一簡単」と感じる人はめったにいないでしょう。そういうレベルの人でも英語を読むことが出来るのです。そして「そういうレベルの人」が実はとっても多いんです。しかし今までの英語教材はそういう人の存在を無視してきたようです。あるいは英語の本はそんなに簡単に読めるものではない、という思い込みが支配的だったからでしょうか。

無視と言うより、そこには「選別」があるのでしょう。
選別し、残った人により教育を与える為の教材と言う事なのだと思います。
選別され権力構造の支配の中に入ることを許された人のみが、
特権的に「英語が分かる」事を許され情報を共有でき、
被支配者は、それを許されないと言う「構造」が、いまだにあるのだと思います。
英語に関しては、明治維新以降、特に戦後の歴史は、その構造そのものでしょう。
(「フルブライト留学生が、戦後の日本を造った」と言う説は、あながち大袈裟とは言えないと思います)

〉そりゃー私だって多読前でも辞書を引きながらがんばれば「チョコレート工場」は読めたかもしれません。つっかえながら、1日に数ページずつ何日も何日もかかって。そしてそれが英語読書と言うものだと思っていたでしょう。そして「英語の簡単な本、ってこんなに難しいんだ」と思ったでしょう。
〉しかしそんな苦行をしなくても、もっと易しいレベルから読む方法があることを、酒井先生以前には誰も考えませんでした。本当に画期的な英語習得法だと思います。

「易しいレベルから読む方法」であれば、特権的な方法であった「多読」が「誰でも」出来ると言ってしまったのが、
酒井先生の功罪ですね。(罪とは、勿論、あちら側から見た見方です。)

〉また、原則の一つ「辞書を引くな」というのも今までの英語学習の常識を破るものです。多読を始める前の疑問として、辞書なしでどうやって単語を理解したり増やしたりできるのか、というのはよく言われることです。それに対しては「辞書を引いても読めない本は読めない」と言っておきましょう。
〉私は多読前に辞書を引きながら英語の本を何冊か読みましたが、文章丸ごとわからない時は、いくら辞書を引いてもわかるようになりません。辞書を引けば本が読めると思うのは幻想です。辞書を引く心配よりも、自分が理解できる範囲の文章を読むことが大切です。

書物を読む、つまり「読書」と言う行為そのものが、書物を読んでいるようでいて、実はその行為の本質は、
その書物によって照らし出されて行く「自分の心」を読む行為なのだと、私は思っています。
だから、その書物によって照らし出される物が心に無ければ、
「辞書を引いても読めないし、読めても、解らない」事になるのでしょうね。
優しい児童書から読む、と言うのは、この点からも優れているのだと思います。
例えば、ヘッセの「庭いじり・・・」の本がどんなに優しい言葉で書かれていても、
今の私には理解は出来ないでしょうから。

〉それから多読の効果を客観的に示す資料として、「ハリー・ポッター」を読んだ人を対象に統計を取るのはどうでしょう。「ハリー・ポッター」を翻訳が出る前に読みたいと思っている人は多いでしょうし、実際多読で読めるようになった人がかなり出るようになりました。
〉その人たちを対象に、まず多読前のレベルを調査します。
〉PGR0が
〉「楽に読めた。簡単だった」
〉「ちょうどいいレベルだった」
〉「難しかった」
〉「PGRよりORTで始めた」
〉ぐらいに分類しておきます。
〉そして何万語、何ヶ月で読めるようになったか調べます。
〉それをまとめると「これだけの人が多読法で「ハリー・ポッター」が読めるようになった」という資料が出来上がり、多読のプレゼンテーションに活用できるのではないかと思います。

ウワッ、これはきついなぁ。ハリー・ポッターを読まなくちゃいけなくなりそうで。

〉ということで、多読について思うことをつらつら書き連ねてみました。
〉2年経ったら何が読めるようになってるでしょう。

ということで杏樹さんの書かれていることと、噛み合っているのか心配ですが、
読んで思った事をつらつら書き連ねてみました。

それでは、楽しい2年目を!!


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