Re: 言葉の最小単位は「物語」

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/23(10:53)]

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10929. Re: 言葉の最小単位は「物語」

お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/13(23:27)

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久子さん、こんばんはー。たこ焼です。
もしかすると、はじめましてでしょうか?

〉このところの掲示板は、読むだけでいっぱい それでも全部読めていません。
〉自分のなかで消化しきれていないのですが、たこ焼さん の提言から考えたことを
〉ちょっと書いてみます。

あー、
たこ焼はまだ表現し切れていないように思います。ですから
必ずしも、久子さんが消化し切れていないのではないと思いますよ。

〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。

〉「言葉の最小単位は物語」そうなのかもしれませんね。
〉言葉は流れていくものなので、それぞれの単語ひとつひとつ切り離して考える
〉ことは、私にはとても難しいことです。同様に、文という単位もしっくりきま
〉せんでした。単語と同様に文ごとに切出してしまうと、別のものとなってしまう
〉そんな感じがしていました。

そうなんです。
SSS以前にはあまり感じなかったのですが、最近のたこ焼は
孤立した文に少々違和感を感じるようになりました。
いい辞書の例文は、1つの文だけで物語性を持とうと努力してありますが、
それでもなんか違和感を感じることがあります。

〉私はSSSに出会う少し前から、ほぼ同じ方法で児童書を読んでいました。
〉レベルはかなり上のものでしたので、知らないところは飛ばしてましたが
〉不思議と内容はわかり楽しめました。でも、この本から単語や文を切出してきて
〉読んでも、まったく理解できなかったと思います。言葉の流れのにのって
〉進んだから、物語として自分のなかに入ってきたのでしょう。
〉この「言葉の流れのにのる」ということを、たこ焼さんは、「連想力」と
〉表現されているのではないかと思います。

「流れ」というイメージでいえば、鉛筆でグニャグニャと曲線を書いたとします。
この曲線を虫眼鏡で拡大すると、小さな矢印の集合体が見えます。
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→ という感じです。
このひとつひとつが「連想力」で、「語・文」と「語・文」をつないでおり、
曲線が「物語」なのです。

あるいは、
道化師さんの仰る「場」には起伏があって、水を流せば、
低いところを「流れる」のですが、この「流れ」が上記の曲線であり、
ひとつの「物語」なのです。
彼が「予測能力」といったのは、この曲線の流れ方を、
「場」全体を見渡してその起伏を見極めて推測する能力と、
たこ焼はとらえております。たこ焼の「連想力」は、この「場」の局所局所での
起伏の傾斜加減のことです。
重力場、電場、磁場
というような用語がわかる人には。ピンと来ると思うのですが・・・。
(う〜ん、道化師さんの「場」とたこ焼の「連想力」をつなぐ、
何かいいイメージは他にないものでしょうか?)

〉〉文と文は「連想力」でつながっているのです。
〉〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。

〉「連想力」の源は、各人の人生経験ですね。それをもとに書いてある言葉から
〉読んだ人がそれぞれ自分の物語を生みだしているのではないでしょうか?
〉たとえば、歳をとってから、若いころに読んだ本を読むとまた違った感じがする
〉のは、このためなのだと思います。

まったくそのとおりだと思いますよ。
例えば、「多読」「辞書」「理解」といった語がもつ「連想力」は、
SSS的多読という人生経験により、新しい連想が生み出され、
大きく変化したのではないでしょうか?

〉この部分を、もしかすると道化師さんは、「知っていることしか読めない」と
〉したのかとも思いますが、私は、「知っていることを元にしてしか読めない」
〉と言い換えたほうがいいかなと考えています。
〉そうでないと、未知の領域についてまったく読めないような印象を与えてしまい
〉ます。

まさにそのとおりだと思いますよ。
「予想外の展開」とか「どんでん返し」とは、
比較的連想力の弱いところへと流れていったからこそ、
「予想外」と感じるんだと思います。
連想力が0ならば、理解不能となるわけです。
「知っていることしか読めない」とは、
連想力によりつながる流れの物語しか読めない
ということです。

〉〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉〉そのような理由からではないでしょうか?

〉「物語」のなかで何回も出会ううちに、その語や文の2、3枚の平面写真を持つ
〉のではなく、どの方向から見ることができる3D画像を持つようになるのでしょ
〉う。これまでの学習法だと、写真の数を増やしていくような感じを受けます。
〉多読は写真ではなくて、そのものを自分の中に取り込んでいくような感じがします。

「語」の図形的イメージですが、こんな感じです。
「愛」という語を例とします。(^^)
仮に、「愛」という語を1つだけ含む10個の「物語」を読んだとします。
先ほど「物語」を曲線と表現しましたが、ここでは長さ30センチぐらいの紐だとします。
つまり、10本の紐があるわけです。
個々の紐に、「愛」という語があるところをマジックで印をつけます。
そして、この印を結び目にして、10本の紐を結ぶのです。
「愛」という語を含む「物語」を読めば読むほど、紐の数は増えます。
「物語」は、本だけとは限りません。自分の経験も「物語」なのです。
紐の数がドンドン増えると、チアリーダーが使うボンボンのようなものになります。
このボンボンの中心が、「愛」という語です。
紐の微小部分は小さな矢印「連想力」です。
「愛」という語とそれから発散する「連想力」の図形的イメージは、
ウニです。あるいは栗です。
(語をこのようなイメージで表現した図をなんかの本で見たことがあるような・・・)
このウニの針には粘着力があって、特定の「語」「文」を
引き寄せて吸着するのです。そうして、どんどんと数珠つなぎに
ウニが連なった曲線が「物語」なんです。
「物語」を読めば読むほど、紐は増え、
「愛」という語から発散する「連想力」は、いろんな方向に向くようになります。
すると、「愛」という語に、連想力よって結びつく「語」「文」はますます多様になります。
そうなればなるほど、「愛」という語を含む多様な「物語」が理解できるようになるし、
自分でも多様な愛の「物語」を語れるのです。

〉まとまりなく今の考えをつらつら書いてしまいまったので
〉みなさんに突っ込まれると破綻しそうですが....
〉それでは また

まとまりなど、あまり考えなくてもよろしいのでは?
とても楽しくレスを付けさせてもらいましたよ。
ありがとうございました。

ではでは〜♪

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