[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/23(11:03)]
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お名前: 久子
投稿日: 2004/3/13(16:21)
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たこ焼さん こんにちは
このところの掲示板は、読むだけでいっぱい それでも全部読めていません。
自分のなかで消化しきれていないのですが、たこ焼さん の提言から考えたことを
ちょっと書いてみます。
〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。
「言葉の最小単位は物語」そうなのかもしれませんね。
言葉は流れていくものなので、それぞれの単語ひとつひとつ切り離して考える
ことは、私にはとても難しいことです。同様に、文という単位もしっくりきま
せんでした。単語と同様に文ごとに切出してしまうと、別のものとなってしまう
そんな感じがしていました。
たこ焼さんの以下の部分と同じですね。
〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない
〉などと考えていましたが、
〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない
〉のです。
私はSSSに出会う少し前から、ほぼ同じ方法で児童書を読んでいました。
レベルはかなり上のものでしたので、知らないところは飛ばしてましたが
不思議と内容はわかり楽しめました。でも、この本から単語や文を切出してきて
読んでも、まったく理解できなかったと思います。言葉の流れのにのって
進んだから、物語として自分のなかに入ってきたのでしょう。
この「言葉の流れのにのる」ということを、たこ焼さんは、「連想力」と
表現されているのではないかと思います。
〉文と文は「連想力」でつながっているのです。
〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。
「連想力」の源は、各人の人生経験ですね。それをもとに書いてある言葉から
読んだ人がそれぞれ自分の物語を生みだしているのではないでしょうか?
たとえば、歳をとってから、若いころに読んだ本を読むとまた違った感じがする
のは、このためなのだと思います。
この部分を、もしかすると道化師さんは、「知っていることしか読めない」と
したのかとも思いますが、私は、「知っていることを元にしてしか読めない」
と言い換えたほうがいいかなと考えています。
そうでないと、未知の領域についてまったく読めないような印象を与えてしまい
ます。
〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?
「物語」のなかで何回も出会ううちに、その語や文の2、3枚の平面写真を持つ
のではなく、どの方向から見ることができる3D画像を持つようになるのでしょ
う。これまでの学習法だと、写真の数を増やしていくような感じを受けます。
多読は写真ではなくて、そのものを自分の中に取り込んでいくような感じがします。
まとまりなく今の考えをつらつら書いてしまいまったので
みなさんに突っ込まれると破綻しそうですが....
それでは また
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