[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/23(11:13)]
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お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/12(00:30)
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islaverdeさん、こんばんは。道化師です。
〉またまた勝手に私の考えです。
私こそ、勝手な考えなので、どうぞお気にせずに。
〉児童書語を選んでいく過程で私の思い込みかもしれませんが英語にダイレクト
〉に触れられる楽しみを感じたのに対して、あるのかどうかもわからない未知語
〉からのアプローチは根本的に多読を否定するものだと感じました。根本的に日本語
〉を通じての理解から離れきっていないとも思いました。KYOさんの
〉書き込みかから多読精神と逆の思いをいつも感じてしまっていたのも
〉遠因かも?
何回か、一連のスレッドを読み返したのですが、
KYOさんも未知語を数えて、その数と「読める」事は比例しないって事を、
最終的に論証しようとしたんですよね。
ただ、未知語を数えてみましょうって言った時に、
未知語と理解は関係ない事を論証したいと思いますみたいな、
募集意図をはっきり書かなかった。
(タドキストの皆さんの多くが感じている「単語に着目する」事の危険性に
少々無頓着だったって事もあると思いますが)
それが、「やっぱり従来の英語教育の枠の中での発言だなぁ」って、
皆さんに感じられてしまったのでしょうねぇ。
KYOさんの意図は、いつも最後には多読礼賛にあるのですが、
それを後に回して、「従来型の英語教育では」的な前フリから、
論考が始まってしまうのが、誤解の元かも知れません。
〉もう終わった話題のかもしれません。でも深刻な問題だなあと
〉思います。
単語に引きずられたり、日本語に引きずられたりは、
ずっと付き合っていかなくてはならない、成人病みたいなもんかも知れませんね。
ではであ。
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