Re: 語彙の問題について・・・KYOさんとMOMA親爺さんの何処が違う?

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/23(11:04)]

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10792. Re: 語彙の問題について・・・KYOさんとMOMA親爺さんの何処が違う?

お名前: islaverde
投稿日: 2004/3/11(01:08)

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道化師さん、こんばんわです。

またまた勝手に私の考えです。
言葉を拾う、という点では確かに同じだしそういう疑問
が出るのも非常に自然な流れだと思います。

個人的にはMOMA親爺さんのアイデアは面白そう、と思い参加しました。
(理由は上のほうでちょこっと書きました。)KYOさんのものに対しては
非常に反発を感じてしまいました。自分だけの勝手な思い込みかなあと
思ってたのですが大きな話題になってきて、理由もその人その人様々で、
私の思いも書かせてもらっていいかなあ、と。他の方が言われた焼き直し
かもしれませんが。

さっき書いたことと重複するようですが、同じ言葉を選ぶ作業でも私は
対極にあるように感じました。未知語という概念が存在している、という
前提で話が進んでいくことにも違和感を感じました。未知語があるからには
既知語があるのだと思われますが私はhaveという単語だって満足に知ってるとは
思っていません。すこしづつ理解度が上がっていく(といいなあ)過程でどこから
が知っている、という状態になるのか。初見で意味がわかった場合は読む前は
未知語、読んだあとは既知語?作者の造語は?日本語では知っている言葉だけど英語では知らないものと、英語でも日本語でも知らない全くの初見語は一緒にくくられているのか?日本語(母国語)では何が未知語?
児童書語を選んでいく過程で私の思い込みかもしれませんが英語にダイレクト
に触れられる楽しみを感じたのに対して、あるのかどうかもわからない未知語
からのアプローチは根本的に多読を否定するものだと感じました。根本的に日本語
を通じての理解から離れきっていないとも思いました。KYOさんの
書き込みかから多読精神と逆の思いをいつも感じてしまっていたのも
遠因かも?

もう終わった話題のかもしれません。でも深刻な問題だなあと
思います。

ではではです。


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