[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/23(10:37)]
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お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/10(02:45)
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杏樹さん、こんばんは。道化師です。
久しぶりに投稿したら、硬派な所からビシビシレスが付いて、
たじろいでいます。
(NMSのせいで、文章が短くなりがちですので、誤解があったらスミマセン)
〉多分「未知単語率何パーセント」っていうデータを集めると、じゃあ未知単語率を下げればこれだけの本が読める、という結論を導いてしまうからです。未知単語を減らして○○語習得すればこれだけの本が読める、とか。
それは、そういう議論になっていったらの話だと思います。
でも、発言者のKYOさんを含め、そういう方向には
(少なくても、ここのSSSの掲示板では)
ならないと思います。
実際、未知の単語割合と理解度の非対応の発言も出ていたし。
だから、KYOさんの発言の結論を気にする必要はないと思うんですね。
(もし、気になるなら、議論を続けて、非対応の結論に持ち込めばいいし)
それよりも、気にすべきは「未知の単語への意識」という影響から見た時の、
二つの議論・企画の同質性なんです。
私自身は、この二つともあっていい議論、企画だと思っています。
「未知の単語へ意識を向かわせてはいけない」では、
あまりに過保護というか、ひ弱なタドキストを育成しようとしているのでは?
って思ってしまうのです。
「意識するな」って言われても、知らないものは意識しますよ。
その意識と、どう折り合いを付けて、多読をしていくかが、
タドキストの身に付けるべきスキルのひとつだと思うんです。
それと、杏樹さんからレスをいただいたので、もう一点。
(杏樹さんのみならず、多数の方からボコボコにされる危険性を覚悟の上で、
書いちゃいますね。それが、「議論」ですから。)
杏樹さんが「文章処理能力」「文章読解力」って言葉を使われていましたが、
私は、この言葉に「語彙力」と同じような危険性を感じるんです。
「語彙力」が「語彙力」を求めて身に付かないように、
「文章処理能力」「文章読解力」と言ってしまうと、
それを追いかけていけば、身に付くような気がしてしまうと思うんです。
私たちが多読を通して身に付けるのは、
果たして「文章処理能力」「文章読解力」なのか?って事です。
確かに、大量に読むことで、この二つの力は向上するでしょう。
でも、それはボキャビルことで「語彙力」が多少は増強する事に
似ているんじゃないか?って思うんです。
じゃあ、「文章処理能力」「文章読解力」が主なスキルアップじゃなくて、
多読して「読める」ようになるのは、何が原因か?というと、
「予測能力」なんだと思うんです。
こう書くとまた「知らない単語の意味を推測できる能力」って思われがちですが、
そうではなくて、もっと大きい単位で、
言ってしまえば、その小説を読む前に、何が書かれているか、
予測できているって、事だと思うんです。
(日本語で読んだ本を、原書で読むって言うのは、
この力を育成する為の方法でしょう)
正確に内容が予測出来ていれば、出来ているほど、
知らない単語、構文、文、があっても、意味を汲み取れるって事だと思うんです。
だから、好きなジャンル、好きな作家は、多く読んでいるから読みやすい。
GRも、児童書も、多読でたくさん読めば、
その内容の予測が立つようになるから、読めるようになる。
GRは、2時間ドラマのようなミステリーが多いですし、
児童書でいきなり「世間には抹殺しても良い人間がいる」なんて内容は、
決して出てきませんもん。
れなさんが書かれた納得力も、この予測と実際に書かれていることとの、
すり合わせる力なんだろうなぁって言う気がするんです。
予測能力だから、知らないジャンルは、やさしい単語で書かれていても、
意味がつかめないのだと思うんです。
文章処理能力、文章読解力だったら、読めるはずですもん。
(勿論、誰だって、常識ってものがありますから、知らないジャンルだって、
ある程度は「読める」=予測が立つでしょう)
文章処理能力、文章読解力と言ってしまうと、やっぱり、
たくさん読んで、あの文もこの文も覚えて、みたいな、
違う意味のビルディングが起きてしまうような気がして、
あえて書いてみました。
ではであ。
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