[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/23(10:49)]
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10733. Re: 語彙の問題について・・・KYOさんとMOMA親爺さんの何処が違う?
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/10(00:48)
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マリコさん、皆さん、こんばんは。道化師です。
いやー、なんかとっても掲示板ではお久しぶりです。
(オフ会とか、アンダーグラウンドな世界では、そうでもないですが。)
情けない事に、NMSになってしまいまして、
キーボードも満足に打てない状態なもんですから、
すっかりROMってる状態になってしまいました。
註:NMS=ナイス・ミドル・シンドローム(日本名「四十肩」)(笑)
さて、冗談はさておき、(って、私の書く事は、全部冗談の領域ですが)
ちょっと、疑問があります。
今回のKYOさんの「未知の語彙がどれだけあっても多読できるのか?」
と言う問いかけと、
2月末に締め切りになったMOMA親爺さんの、
「試験に出ない単語集」プロジェクトとの、
道義的な違いが、私には解らないんです。
MOMA親爺さんのプロジェクトは、マリコさんを始め、
多数のタドキストの皆さんの賛同を得られて、
その研究成果もじき発表されるようです。
これはこれで、めでたいです。
でも、児童書らしい単語に注目する行為と、
未知の単語に注目する行為とで、
どれほどの差があるのでしょうか?
結局、試験に出ない単語と言う事は、
受験勉強の英語を主にしてきた人には「未知の単語」であるから、
注目をしてしまうって、ことなんじゃないかなぁって思うんです。
だとしたら、単語に捉われずに、文を理解すると言う視点から見れば、
KYOさんの企画への批判が、そのままMOMA親爺さんのプロジェクトにも
当てはまってしまいそうな気がするんです。
でも、そうではないわけですよね?
うーん、どう違うんだろう?
まさか、MOMA親爺さんが一般的タドキストで、
KYOさんが英語の教師であるという、
(KYOさん=英語教師=多読を理解しない、という偏見?)
違いだけで、道義的差が出ている訳ではないはずです。
いや、もしかしたら、この「未知の単語割合」研究は、
そもそも酒井先生が発案らしいから、
「英語教師」独特の発想なのかも知れませんが。
だとしても、私にはこの二つの違いが判然としません。
(解らないのは、私が偽タドキストだからかなぁ?)
上で、古川さんの投稿の趣旨は解ります。
モルモットと研究者の間には、モルモット側には、
研究者の研究内容に対する疑義の権利はありませんから、
水平な関係での対話と異なるでしょうし、
それはこの広場の趣旨とは違うものになってしまうでしょうから。
でも、現実には、素直にご自分のデータを提出する方もいれば、
反発される方もいる。
やっぱり水平関係は、保たれていると思うんです。
ですから、ここはまず、「未知の単語割合」を知ることで、
それが多読に有効か?を、道義問題抜きに、議論すべきなのでは?って、
私は思いました。
(この場合の議論は、勿論、勝ち負けを競う性質のものではなくて、
建設的な新しい見解を得る為の議論です。)
だから、KYOさんにも、すぐに謝罪って形でなくて、
「未知の単語割合と多読」を発想した考え方を、
もうちょっと頑張って、語ってもらいたかったなぁって思います。
やっぱりダメかなぁ?
ではであ。
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