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お名前: sakigoro
投稿日: 2004/3/7(17:12)
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KYOさん、はじめまして。 sakigoroと申します。
KYOさんの書き込みはいつも興味深く読ませていただいてますが、今回の書き込みも色々考えさせられる話題です。
私なりに考えた結論は、語彙が少ないから読めないということあまりないだろうというものでした。
英語を読めるかどうかで最も重要なのは、重要な語彙を生きた文脈の中で、どれだけ深く、その言葉のコアまで感覚的に理解できているかだろうなと感じてます。
こんな風に思ったのは、大学で受けたタイムを読む授業からの経験です。
高校でたての学生にとって、タイムの英語はやはり手ごわかった。
でもわからない原因は、構文の複雑さでもなく、また、話によく出てくる文化的な理解の欠落というよりも、ちょっとした重要単語の語感を理解できないでいることの方が多かったような気がします。
意外な感がするので、多かったような気がするのかもしれません。
具体的な例は遠い昔のことなのであまりおぼえていないため、今あげることができず、ちょっとはがゆいのですが、上記のような印象は強烈に残ってます。
こいつばかりは辞書をいくらひいたってなかなかわかりません。
これからちょっと自慢話です。
私は高校3年の時からSSSの方法によく似たやりかたで多読を始めていたのですが、
同期の友人に比べて、それなりにタイムが読めたんです。
語彙力も似たようなものだし、文法力についていえば、友人たちの方が明らかに私よりも優っていたのに....
訳文を発表し、先生に褒められたりしたことがあった後、友人たちと話をしました。
その中で友人たちが解釈に苦しんでいたのは、あたり前のように目にする単語であることが多かった。
周りに比べ、自分は英語ができないと劣等感をもっていた私にはとても意外でした。
私は辞書もひかない、わからないところは飛ばす、読みたい本だけ読むということしかやっておらず、自分の勉強方法にコンプレックスをもってました。
今のようにSSSもありませんでしたので、自分のやりかたに自信がもてなかったのです。
机にむかって参考書や問題集をやらない自分は勉強がきらいな怠け者だと思っていたし、まぁ、それは事実なのですが、多読については、これなら続けられるし、何もやらないよりはましだろうくらいにしか思っていなかったのです。 おかげで希望したのと近いところの大学には入れたのだけど、まんざら効果がないわけではないくらいにしか思っておらず、自信があったわけではない。
どちらかというと勉強をしているつもりはなく、ちゃんとした勉強から逃避して、趣味の世界に遊んでいる気持ちでした。
ちゃんと参考書やボキャビルをやらなくちゃいけない、それができないことへの後ろめたさをぬぐいきれないでいました。
そんなコンプレックスが、ひょっとしたら英語を読むだけだったら、自分のやりかたはバカにできない効果があるのではないかとの自信が、ささやかながらもてた一瞬です。
知っている単語の数の多寡は、本が読めるかどうかにはそれほど関係ないとは思いますが、それでも数が少なすぎるとさすがに問題。
うろ覚えですが、私がPBを読み始めたころの語彙力は5000語くらいじゃなかったかと思います。
KYOさんの表にだいたい一致しますね。
語彙力がついてきた今の自分からすると、どうしてPBを飽きることなく読めたのだろうと不思議な気がします。
ではでは、
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