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お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/3(23:10)
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横レス失礼しますー。
秋男さん、こんばんはー。たこ焼です。充電ほぼ完了かな?(^^)
ネルさん、はじめまして。
〉〉その番組によると、バイリンガルが英語を話すときと日本語を話すときでは、脳の全く違う場所が反応していました。秋男さんがおっしゃっている格納庫が変形していくという感じよりは、むしろ脳の違う場所に別の格納庫が出来上がっているような感じでした。番組ではそれぞれを「英語の言語野」「日本語の言語野」と称していました。
〉 なるほど! 違う場所なんですね!
〉 (そういえば、Julieさんもどこかでそういうこと言ってくださってたけど、
〉 すっかり忘れてた・・・)
そうですね。日本語と英語、ちがう場所なんですよね。
しかし、「容れものの変形」と、
ひとつの場所のように秋男さんが表現したのは、おそらく、
秋男さん自身がご自分のこころを覗いたとき、
ひとつの場所のように秋男さんが感じたということでしょう。
たこ焼は、この事実をとても面白いと思いました。
そういえば以前どこかで、
「言葉はこころだ」みたいなことを書いたことがありました。
もしかすると、秋男さんのこころのなかで、
「日本語のこころ」と「英語のこころ」との間で
摩擦が起きているのかもしれません。
つまり、たこ焼が考えていることは、こういうことです。
秋男さんが感じた「痛みや不気味さや気持ち悪さ」は、
「英語の言語野」つまり「英語のこころ」を新しく作るときの苦しみではなく、
既存の「日本語のこころ」との、
統合・折り合いをつけるときの苦しみなのではないでしょうか?
だから、日本語と英語ごちゃ混ぜの、
ひとつの入れ物のように感じたのかもしれません。
そして、統合・折り合い以前には、何も違和感を感じなかったとすれば、
「英語の言語野」が新しくできること自体には、
「痛みや不気味さや気持ち悪さ」と形容されるような苦しみは
無いのではないでしょうか?
だとすると、
「英語の言語野」ができても、「痛みや不気味さや気持ち悪さ」を
感じない人もいることを説明ができます。
人のこころの中に矛盾する2つの要素が同居することはよくあることです。
結構ちぐはぐなものをこころの中に抱えていても、
案外とぜんぜん平気だったりします。
ただ、どの要素に関して、矛盾が平気か、折り合いを必要とするかは、
人それぞれなのでしょう。
また、矛盾への感受性も人によって大きく違うと思います。
(統合・折り合いの、上手下手も関係するかも。つまり、
とても上手だと苦しみを感じる前に統合しちゃうとか・・・)
つまり、秋男さんにとっては折り合いが必要な要素で、
その矛盾の統合への過程で苦しみを感じたとしても、ある人にとっては、
その要素の矛盾は統合・折り合い自体を必要としないので、苦しみ自体もない・・・
ということなのかもしれません。
また、「異質なものへの恐怖」というごく自然な感情だけでなく、
異質なものとの矛盾の統合・折り合いによって
「日本語のこころ」が大きく変質するのではないか・・・
という恐怖を無意識が敏感に予感してしまって、とても不安になり、
中国語に対する「漢文」のように、外国語を
あくまで日本語枠の中に取り込むことしかできなかった・・・
というのが「今までの」日本人?
(おっと、これは勇み足? でも、この表現なら大丈夫。あははっはh。)
う〜ん、よくわからんけど・・・。ぶつぶつぶt・・・
以上、たこ焼の【こ理屈】でしたー。(^^)
(おそらく、秋男さんが考えていることと本質的には一緒やね。)
ではでは〜♪
(あまり考えすぎて、また、引き込まれることのないように注意してねー。)(^^)
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