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お名前: たこ焼
投稿日: 2004/2/11(00:14)
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秋男さんが目の前にいたら、思わずhug hugしちゃうぐらいのショックでした。 タイトルの「ドッカーン!」は、たこ焼の心の爆発音です。 超っ素晴らしい書き込みでした。秋男さん、ありがとうございます。 ■ドッカーン!その1。『すごいー!』 まず、ひとこと、感想を・・・。 すごいーッ! 〉 ガビーン、でした。 すごい。すごすぎる。 〉 気持ち悪くなりました。 〉 私は、英語のリスニングとか読書とか、すごく順調にダーッとできてるときほど、 〉 気分が悪くなってきます。 〉 なんとも言い難いのですが、なんというか・・・「この文化を背負うのはイヤだー!」 〉 とカラダが悲鳴を上げてるというか・・・ 〉 ただ、こんなにイヤな気分になるのに、ものすごく惹きつけられてしまって、 〉 読んでしまう。クセになる。何度も何度も音読したくなってしまう。 〉 ただ、私にはつらい。 〉 マザーグースも、ものすごい魅力を感じるので読んでたんですが、今は毒気にあてられてお休み中です。 たこ焼も最近、はまこさんに勧められて、この本を読みました。 まだ、秋男さんの半分ぐらいなので、英語力が足りないのか、 あるいは、そもそも感受性の問題なのか、 たこ焼は秋男さんのようにはショックを受けませんでした。 う〜ん、 秋男さんがすごいのか、1000万語がすごいのか、 おそらくどっちもすごいのでしょう! rockmanさん、1000万語ってすごいんだと思いますよ。 ■ドッカーン!その2。『日本人、英語ができないホントの理由』 日本人の無意識は、英語を拒否したいのですね。 英語なんてできるようになりたくはないのですね。 KYOさんと道化師さんの投稿に、こんなレスをつけました。 [url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=e&id=10130] ■ドッカーン!その3。『サイエンス in マザーグース』 人生七不思議の中の、ひとつの謎が解けたようなショックでした。 ********************************************************************* サイエンスとは、ひとつの世界観。 つまり「この世界をどう見るか?」ということだと思います。 そして、「見る」とは、自分の無意識を通して見ているのです。 したがって、ひとつの世界観は、それを生み出した「無意識の構造」を反映します。 世界観が「無意識の構造」と類似してくるのです。 ********************************************************************* (1)プロローグ ★ サイエンスと柔道。 数年間、アメリカに留学していた知人(研究者)の話。 たこ:「アメリカに留学されていたのですね。」 知人:「はい。」 たこ:「で、どうでしたか? アメリカのサイエンスは?」 知人:「? アメリカのサイエンスといいますと?」 たこ:「日本は基礎科学が弱い、などとよく言われますよね? 日本のサイエンスとは、何か、こう、質的に違うのではないか、という疑問です。」 知人:「・・・。あー、ひとつ感じたことがありますね。」 たこ:「どっ、どういうことです?」 知人:「サイエンスは彼らのものだ、ということです。」 たこ:「彼らのもの・・・?」 知人:「例えば、日本人は柔道をやっていない人でも、 柔道ってどんな感じかって、分かりますよね。 それは柔道が日本のものだからです。 それと同じように、サイエンスは彼らのものなのです。」 たこ:「日本の柔道・・・」 知人:「ええ、そうです。外国人には柔道の理解が難しいように、 われわれには、サイエンスを本当に理解するのは大変だということです。」 ★ 柔道着の国際規格。 以前にニュースで、聞いた話。 柔道の国際会議で、柔道着の国際規格が変更され、 白だけではなく、カラーの柔道着もOKになったとか。 日本人委員は、「白」の意味する精神性を理由に猛反対したが、 他の西洋人委員は、テレビ観戦での分かりやすさ等などの理由をあげ、 変更案が可決されたそうです。 ★ マザーグースの中にサイエンスがある。 ニューベリー編童謡集の序文のさいごの文 「何人といえども、この古い唄のかずかずについて不敬の言をはいてはなるまい。 それらは科学と知識の曽祖母とみなしてもいいのだから」 (平野敬一著・中公新書『マザー・グースの唄』、32ページ) ★ 秋男さんの投稿。 〉 マザーグースを読むと、まさにこの、英語民の意識の底流というか脊髄というか深層というか 〉 暗黒部分みたいなものがムキ出しになったところにモロに触れてしまったような、 〉 不快感を催すのです。ほんとに胃のあたりがモヤモヤしてきます。わけもなく 〉 腹立たしくさえなってくるのです。 (2)昔からの疑問 たこ焼は、昔からずーッと不思議に思っていました。 高校でサイエンスを習ったとき、 「日本人的感覚でいえば、 言葉にするのを気づかないぐらい明白な論理。 言葉にするのを躊躇するぐらい明白な論理。 言葉にするのが気持ち悪いぐらい明白な論理。 そんな論理すら、西洋人は言葉にしてしまう。」 と感じたのです。 この不思議さ・不自然さは、時々、 サイエンスに関するいろんなところで感じていました。 例えば、 AならB BならC ゆえにAならC という三段論法。 たこ焼が初めてこれを目にしたとき、「えっ!」と驚きました。 あまりに明々白々な論理。「そんなもの言葉にしてなんか意味あるの?」 と思ったのです。 しかし、次の唄で表現される「無意識の構造」を持つ西洋人には、 自然なことなのかもしれません。 There was an old woman Lived under a hill, And if she’s not gone She lives there still. あの丘のふもとに お婆さんがござった。 もしも去なんだら まだ住んでござろ。 (同書、33〜34ページ) この唄へのゴールドスミスのコメントは、 「これは自明の陳述であり、それこそ真理の本質をなすものです。・・・」 そして、このコメントへの平野氏のコメントは、 「ゴールドスミスの注釈のまじめくさったおとぼけぶり・・・」 実は、もしかすると・・・ ゴールドスミスは、あまりとぼけてはいなかったのかもしれません。 もしかすると、この唄は、彼らにとってごく自然な論理感覚なのでしょうか? この唄を、「ふざけている」と理解するのか、「まじめ」だと理解するのか、 日本人と西洋人とでは全く違うのかもしれません。 (3)世界観 There was a little green house, And in the little green house There was a little brown house, And in the little brown house There was a little yellow house, And in the little yellow house There was a little white house, And in the little white house There was a little heart. 小さな緑のお家があって、 小さな緑のお家の中に、 小さな金茶のお家があって、 小さな金茶のお家の中に、 小さな黄色いお家があって、 小さな黄色いお家の中に、 小さな白いお家があって、 小さな白いお家の中に、 小さな心がただ一つ、ただ一つ。 (同書、11〜12ページ) この唄は、つまり・・・・・ There was a little object, And in the little object There was a little molecule, And in the little molecule There was a little atom, And in the little atom There was a little proton, And in the little proton There was a little quark、 And in the little quark There was a little … quarkの先に彼らが見るのは、 彼らの ただ一つの心、 彼らの ただ一つのGod、 ・・・・・なのかもしれませんね。
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