[掲示板: ゼロからスタート!まずは10万語! -- 最新メッセージID: 10127 // 時刻: 2024/11/24(03:03)]
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お知らせ
いつも世界史クラブをご愛読いただいてる皆さま、(いるのかしら)
このたび、SSS世界史クラブは、自主的に部室を移転することになりました。
次回の活動からは、「SSS趣味の広場」へ引っ越させていただくことといたしました。これまで入門の広場・下方部分を占拠してすみませんでした。
尚、この移転は、クラブの自主的な判断による移転であり、
掲示板管理人からの強制退去ではありません。
入門の広場は、SSSサイトを初めて訪問される方に広く紹介されている広場でありますから、
英語多読から著しく逸脱した内容も含まれる部活動が、
この広場で長期的に継続することは不適切ではないだろうか、と、
世界史クラブが自主的に判断いたしました。
管理人様におかれましては、これまで自由な部活を黙認していただき、
ありがとうございます。
いずれ「英語多読で世界史」へと繋がるよう、
SSSとの関連を念頭に置いた活動を心がけたいと思っておりますので
(ホントにできるかなぁ。部長、頼みますよ!)
どうぞ今しばらくの間、お見逃しのほど、よろしくお願いします。
また、見学、飛ばし読みの皆様、
有益なアドバイスありましたら、新しい部室の方へお越しくださいませ。
世界史クラブ
部長 杏樹
女子マネ ako
------------以下、部室「入門広場」さいごの部活-------------
〉で、クラブ活動。
〉この辺がどうしても気になって。
〉私、国境線というものはヨーロッパ人が発明したものではないかと思います。
〉よく考えるとアジアではそういった国境はなかったといっていいでしょう。
〉多民族・多宗教・多言語が混在しているのが当たり前ですから。
!&%★?☆※*!!
そうか! それだ! それなら説明がつく!
近代以降は、世界中が西欧勢の植民地化して、
世界史地図の色分けが明確になりますね。
しかし、それ以前の時代のワケワカランことと言ったら!
「どこからどこが、何て言う国」というのがはっきりしていないと、
なかなか出来事の中に入っていけない時がありました。
何となく違和感を感じて「は」いたんですが、
その違和感の正体、判明しました。
国境で線引きしようと考えようとすること自体が、
近代以降の欧米の学問が、日本人に刷り込んできた史学観、
というか世界観だったということなんですね。
地理の学習などで、アフリカの国境線に人工的な直線が多いのは何故かということを学習する際に、
植民地支配による人工的線引きのことを学びますから、
こちらは、こちらのこととして、比較的よく知られていると思いましたが、
おおよそ同じことを、ユーラシア大陸の歴史に適応してもいいのかも、
(清王朝時代の満州族支配圏、あるいは漢民族支配圏についてはちょっと不明ですが)ということは気がつきませんでした。
杏樹さんってやっぱり凄い!
ちなみに、中東の国境も相当に同様ですよね!
シリア・イラクあたりにも直線国境がありますが、
あれは、アラビアのロレンスの時代に、
(あぁ、オマー・シャリフ、大好き)
西欧列強が分割したものですね。
そうだ!
もしかして世界史嫌いになる高校生のネックの一つはここにあるのでは!
最初から、まず国境という概念自体を疑う姿勢を学習したいものですね。
やはり、東京都中野区本町と東京都渋谷区本町の関係は深い・・・
〉ヨーロッパでは昔から戦争を起こしては国境争いしてましたから。ドイツとフランスの境界地域、アルザス・ロレーヌ地方などそうですね。戦争のたびにドイツ領になったり、フランス領になったり。アジア・アフリカで領土争奪戦を繰り広げて勝手に国境線を引いて紛争の元を作ったのも欧米列強。
『最後の授業』ですね。
10代の時にあの話を読んだ時、何か感じた記憶だけは残っているのですが、
国境や所属国家が変わるということが、コドモの自分には、
よく理解できていなかったです。
少しずれますが、アルザス語って聞いたことありますか?
アルザスの位置から言って当たり前ではあるのですが、
ドイツ語にそっくりなんですよ。でもドイツ語とは違う。
ヨーロッパ少数言語についてのシンポジウムをTVでやっていて、
その時に一度だけ聞いたんです。
カミナリマークでした。
〉中国ではそれぞれの王朝の時代、漢民族の主な境界線がありますが、それ以外に歴史地図では「最大支配領域」といったあいまいな点線が引かれています。それはとりあえず中国の王朝の支配を「認めた」程度のことで、独自の文化を保って自治が行われていました。また、中国は中華思想で周りの国々が朝貢をしてきます。それは「中華の徳を慕ってきた」ことだから、貢物よりはるかに多い「下賜品」を与えます。そうやって支配しているわけでもない、ゆるやかな結びつきの国もありました。
世界史好きにとっては、
「あいまいな点線」カンケイあたりが、
実は一番面白いところだったりしますね。
〉また、古代ペルシアのアケメネス朝とギリシアはよく戦争をしていましたが、勝ったか負けたかが問題で、国境紛争には至っていなかったはずです。
カミナリマーク発令!
カミナリマーク発令!
考えたことなかった!!!
〉少なくとも固定的な国境線があるとか、細かい線引きでもめてるわけではなかった。
そーか!
「線引きでもめる」ってこと自体、近代以降の戦争かもしれない。
クラウゼヴィッツ、読み直します!!!
〉そしてアレクサンドロスが出てアケメネス朝を滅ぼしてしまい、どんどん東へ支配をのばしていくと、「国境」もどんどん東へ移動していきます。しかしアレクサンドロスが死ぬとその帝国は一気に瓦解しいくつかの国に分かれてしまう。もう固定的国境線など存在しません。
世界史の中でも、ヘレニズム時代というのは、非常に魅力的な時代でしたね。
教科書では簡単に、コスモポリタニズムと書かれていますが、
自分をナニジンと自覚するか、という感覚の問題だと考えると、相当にすごい時代です。
多くの人が、国際結婚によるバイリンガルまたはそれ以上の複数言語人間であり、
居住習慣についても、必ずしも定住とは限らず、
宗教も、キリスト教やイスラム教といった圧倒的多数の信者を持った宗教がなくて、多様な多神教の新興宗教だらけでしたでしょう?
いったいどういう社会だったのか・・・
日本でしか暮らしたことの無い自分には想像もつきません。
現代なら、ラテンアメリカが一番近いかな〜と思いますが。
(もっと言えば、スターウォーズの世界に近いように思ってます。)
アレクサンドロス大王は、ペルシア人女性とつきあってたんでしたっけ?
部下にも、国際結婚を奨励したそうですから、相当に混血が進んだ時代ですね。
〉イスラム教が起こったときも、イスラムの支配は東西へどんどん伸びていきました。その中でササン朝ペルシアも滅ぼされますが、おもしろいのはこのペルシアという国は滅ぼされても滅ぼされても「なくならない」。アケメネス朝が滅んでからも再びペルシア帝国が生まれ、ササン朝が7世紀に滅んだあと、16世紀になってから再びサファヴィー朝によるペルシア帝国が誕生します。ペルシアという国は滅びてもペルシア語もペルシア人のアイデンティティーはその地にずっと生き続けていたんです。
この「○○朝△△」が非常に多いのが世界史ですが、
およそ△△のところに入る民族で、ユーラシア中心部の争奪を繰り返してきたわけですね。
ペルシアが、独立国家イランとなって生き続けているのは素晴らしいですね。
そもそも、民族としては存在するのに、国家が無い集団がかなりありますからね。
クルド人は三千万人もいるのに、国なき民ですしね〜。
英雄のサラディンだってクルド人なのにぃぃ。「国籍上イラン人」となっているクルド人、「トルコ人」となっているクルド人は相当数のようです。
〉またイスラム教は急激に信者を増やしましたが、それでもイスラム帝国内にはゾロアスター教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒もいました。
そーなの、そーなの。
パレスチナは今、非常にひどい状況ですが、
アッバス朝やオスマン朝時代に戻れば、
ユダヤ人とアラブ人が隣同士で住んでいたような時代もあったわけですから、
(これも、スターウォーズの世界に近いように思ってます。)
いかに近代以降が不寛容になったか、ということを痛感します。
欧州でも、ハプスブルク帝国時代は、相当にゆるやかな多民族国家でしたし。
以前、「イントレランスの時代」というフレーズで、近代を説明する歴史の記述を読んだことがありますが、そのおかげで、この英語を覚えたんだった・・・
と言って、何もかも「帝国」支配がいいとは言えないのが、
歴史の難しいところなんですが。
〉中国の王朝や広大な帝国が多民族国家を形成していたのがアジアで、そこには細かい国境線も国境紛争もなく、勝った者がその地の支配権を手に入れる、負けたものは支配される。勝った者の支配も永遠には続かず、新しい支配者が現れる。その繰り返しでした。
おごれるものは(「も」だったっけ)久しからず・・・の世界ですが、
それが、ユーラシア全体史をダイナミックなものにして、世界史そのものの魅力となっている、というワケですね。
空海のようなスゴイ日本人が、大陸に留学したのも、そういう魅力がすご〜〜くあったからかなーーと思ってます。
〉国境線とは単に行政区域の区分にすぎません。単一民族幻想の強い日本人は民族の単位と国家の単位を混同しがちです。でも人間は移動して混ざり合うのが普通なんです。「鉄のカーテン」が引かれてもそれを越えようとする人は後をたたず、ほんの小さな風穴が開いたとき、そこをめざしてたくさんの人が押し寄せてそれが結局ベルリンの壁とソ連の崩壊につながりました。どこの地域でも国境が自由になると人や物がどんどん交流するようになります。国境線は単なる行政区域の線引き、と割り切る考えがこれからは必要になってくるのではないかと思います。
今のEUは、まさにそういう状態ですね。
フランスのアルジェリア人や、ドイツのトルコ人もそうですが、
これからは、東欧のEU加盟でますます混合が進みそうです。
イギリスは、入国審査が厳しくなるようですよ。
これからは雇用をめぐって、相当な対立が起きそうで、ヨーロッパも恐いです。
ロシアと中国の国境地帯も同様のようですから、日本も決して他人事とは言えなくなってきそうです・・・
〉♪私は夢見る 国境のない地図〜(なんて歌、まさか知ってる人はいないだろうな…)
知らない・・・
〉そういえば、絵本で「マドレーヌ」シリーズは知っていますか。「英語以外」の広場で英仏語比較して投稿したことがあるんですけれど。
〉これを書いたルートヴィヒ・ベーメルマンスはチロル生まれで後にアメリカへわたり、そこでイラストレーターになり「マドレーヌ」シリーズを書きました。それで、スカイソフトからのMLでこの本が紹介されたときに「イタリア系」って書かれていたんです。実はベーメルマンスが生まれた時はそこはオーストリア領でした。この人の名前もドイツ語風です。しかしベーメルマンスがアメリカへ渡ってから二度の世界大戦があり、現在はそこはイタリア領になっているのです。だから「イタリア系」と言われてしまう…でもそれは違うような。国籍、国境って絶対的なものではないんですね。
「マドレーヌ」という絵本はまだ知りません。(知りたい!)
ベーメルマンスという姓も、ルートヴィヒというファーストネームもドイツ系ということはわかります。
ベーメルのところって、ドイツ語文字のオウに点々のアレですね。
〉大阪ではさすがに「帰省」はそれほどはいませんが、「いなかはどこ?」と聞かれて「?」となったことがあります。
大阪生まれや、京都生まれというのは、
正に本当の日本の都会生まれですね。
〉〉突厥に突撃、午後に(552)しよう、よし覚えた。
〉すばらしい。こちらのミスにもめげずに立ち直る姿。年号ってそうやって覚えたんですか?
日本史でも、「鳴くよウグイス平安京」と「いい国作ろう鎌倉幕府」とか、
基本中の基本がありますよね。
こういうのばかり載ってる歴史年代暗記法のような受験参考書があって、
「世界史が好き」という一心でしたから、
そんなのを丸暗記するのも楽しくて、随分おぼえました。
社会契約論は何年に書かれたか、ってのまで覚えましたが、それって○ホかも。
年代暗記は、非常に嫌われる分野ですし、
歴史研究としてはまったく本質的でないことってわかってるんですが、
何しろ高校生のすることですから、
自分でアレンジしたり、パロディ作ったりして遊びました。
akoが作ったワケではないのですが、
「白紙に戻した遣唐使(894年)」なんかは、
当時でも「吐くよげろげろ遣唐使」という方が仲間内では人気で、
そういうの作っては、爆笑受験勉強でした。
だから世界史だけは、受験も楽しかった〜。英語とはエライ違い・・・
〉〉中学生で、唐詩で中国に!! 渋すぎ!
〉…そうか、渋いか…。今まで自覚がありませんでした。
〉それは国語の先生の説明がうまかったからです。
いい先生との出会いは大きいですね。
(チクワさーん、聞いてますかぁ?)
〉弧帆の遠影碧空に尽き
〉唯見る 長江の天際に流るるを
〉といえば、中国の川は向こう岸が見えないほど広くて、船の陰がポツンと浮かんで、それがどんどん見えなくなっていって…
〉という説明をしてくれて、その情景を思い浮かべました。
素晴らしい!!
あの〜、杏樹さん、『素読のすすめ』(講談社現代新書)という本をご存知ですか?
漢詩を、読み下しにせず、漢字の音読みのまま声に出して素読することを、子どもの教育に薦める先生の本です。
カンカ カン といった、素読だそうなんですが。
音読みでは、あたしゃーさっぱりわかりません。
江戸時代までは、武家の子ども教育では必ず行われていた家庭学習であったと書いてありました。
子どものうちは、意味もわからず、毎回同じような漢詩を暗記するまで声に出して繰り返させられるのですが、これが成人してから、その意味がわかるようになり、
人生のさまざまな困難や迷いの時に、暗記してしまった漢詩、漢文(論語や老荘なども含んだでしょう)を、何も参照せずとも言えるため、あらゆる状況に対応できる人間を養えるというものだったんだそうです。
中国の古典は、人が遭遇するあらゆる状況がすでに網羅されていますものね。
(akoも、『エースをねらえ』はかなり覚えてるんですが・・・)
私はこの本を読んだ時、ヨーロッパでは、キリスト教の礼拝で、聖書を、司会者と会衆が交互に音読したり、イスラム教では、子どもの頃からコーランを音読して暗記させる教育があることを思い出し、
どの文化も、その文化が積み上げてきた成果を、次世代に教育する方法として共通のことをしているのだなぁ、と感じ入ったものでした。
(私の場合は『たとい我、死の影の谷を歩むとも・・・』なんていうのが、浮かんできちゃいます)
〉それから「中央アジア」というと渋くなるかもしれませんが、「シルクロード」というロマンチックな言葉があるんですね。
私はこの言葉はそれこそ手垢がついてしまった割りに実態不明な言葉なので、歴史の専門分野としては使いたくないんですが。
でもこの言葉ならポピュラーですよね。
杏樹さんが、「杏樹さんはシルクロードのことに詳しい!」と言われて、
嬉しいのかどうか、聞きたいなぁ。(掲示板では言えなさそう・・・)
〉〉フランス革命もオスカル様も、中央アジアに勝てなかったのですね。
〉うう、そうなんです。フランスも大好きなのに。初めてフランスへ行ってパリの街を散策したときは、もう浮かれて浮かれて
ハイになっていたのに。
高校生のときにパリのガイドブックを買って、それ以来地図の上でパリの街を散策して地理もばっちり!なぐらい好きだったんですけどねえ。
すごすぎ・・・
〉ふむふむ。魔女や異端審問は、それこそ多民族、多宗教が当たり前ではなくキリスト教のみが絶対だという思想の産物ですね。
その通りと思います。
キリスト教を信仰する人に素晴らしい人物がいることと、
歴史的に不幸なことが起きたことは、別のこと、と思わないと
悲しくてやってけません。
〉仏独はおもしろいですが、日中、日韓は難しいですね。
遠い欧州のことならば、「面白い研究対象」としやすいですが、
身近なことになると、うかつな発言はできませんしね。
つまり、ドイツ人が、ナチス時代を研究するのは大変なことであるし、
フランス人が、ヴィシー政権のことを研究するのも、大変に困難。
今は、スペインでフランコ政権の回顧(懐古?)が話題だそうですが、
果たして歴史の評価がどのように変わるのか、変わらないのか・・・
日本は、日露戦争100年で、どういう議論が出るか。今年から来年の焦点です。
〉〉杏樹さんは、ファンの人物いますか? あ、また長引く・・・
〉私のいとしい人は…マルコ・ポーロです。それも「マルコ・ポーロの冒険」の。おかげで東方見聞録も読みました。
おぉ、マルコ様、、、ご覧になっていましたのね。
あれのおかげで、どれほど色々知ったか。
汗血馬もそうですし、暗殺者教団の村についても同様。
でも一番思い出すのは小椋圭(←この字不明?)の歌です。
♪『今、この街も〜、いいことばかり〜 なぜ〜また〜旅支度〜』
ココが一番好きです。
〉あとは諸葛孔明様。中国ドラマ「三国志」でやられました。ああもう「軍師さま〜〜〜」です。
晩年アホの劉禅に振り回されて、それでも忠義を尽くす姿が痛々しい、おいたわしい。
うっ、また杏樹さんが理性を喪失・・・・おまけに「ア○」等と・・・
でもわかります。諸葛孔明なら、理想の男性像にふさわしい・・・
私はそのイメージなら、タレーランかな。
うーん、それよりユスーポフ大佐か・・・・(すぐフィクションへ・・・)
(アイルランド関係)
〉〉はっきり言って、英語なのに英語だっていうことがすぐにわからなかったです。
〉ということは、ゲール語なまりですか?
そうなんだろうと思います。
でも、ゲール語話者は、どんどん減っているそうです。
〉〉それではおやすみなさい・・・ なんかないかなー ハッピーヒストリーとか、うーん、それはダサい。うーん、今日はあきらめます。
〉うーん、難しいですね。私も思いつきません。akoさんはHappy Readingに戻ったようですが。
今日も諦めます。
引越が済んだらゆっくりと考えましょう!
それではこれにて、当広場での世界史クラブ部活動を終わります。
ここまで読まれた奇特な方がおられましたら、
心より御礼申し上げます。
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