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637. Re: Down and out in Oxford
お名前: 杏樹
投稿日: 2003/5/15(00:58)
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ショックを受けている酒井先生にどう言えばいいのかと思いますが…。
〉で、打ちのめされたのは知識の量がちがう!
〉個人的に頭の質がちがうとは思いたくないし、
〉日本人とイギリス人でちがうはずもないし、
〉やっとこじつけた知識量のちがいの原因は
〉英語を読む速さ、その結果として読んだ量のちがい、
〉ということでした。
酒井先生のおっしゃることはわかります。確かにそういう部分もあるでしょう。おそらく日本の受験勉強的な勉強を大学に持ち込み、学者になってもそのまま来ている人もいるでしょう。
でもそこまで悲観することはないと思うのです。
ショックが大きいのは、酒井先生が英語の先生だからかもしれません。だって、イギリス人は生まれた時から英語に囲まれ英語を使って生活しているんですから、イギリスへ行けば読書量や知識量が違うのは当たり前ですよね。「そんな問題ではない」と言われるかもしれませんが、私の専門分野に照らし合わせるとまた違った見方ができます。
英語の先生は英語そのものが研究対象ですが、私の専門である歴史では、外国語は「手段」です。先日の迎撃オフ会に行く前に会っていたのは、古代ペルシア史が専門の先生でした。私が多読法で英語を読む練習をしている話をすると、その先生は英語は不自由なく読めるということでした。また、発掘でよくイランへ行きますし、専門分野でもありますのでペルシア語もできます。一応東洋史の範疇なので中国語も少しできます。つまり研究を進めるために外国語の文献を読む必要があるから読むわけで、外国語そのものを研究するわけではありません。
また、大学の時の西洋史の先生も英語の文献を読むのは「当たり前」だということでした。しかし歴史の文献は読めるけど、文学作品は読めないといっていました。目的に特化した外国語の使い方をしているわけです。
ですから、歴史の場合ですが、外国語の文献を読むのは必要な情報を得るためなので、辞書を駆使してあーだ、こーだ、何ヶ月もかかって解釈しているとは限らないのです。歴史の論文では参考文献のところに外国語の文献がたくさん載っています。私はそれを見ると、英語が読めないからとても専門の研究者にはなれないなあと思います。
東洋史ですと漢文史料も読まなくてはなりませんし、歴史学者はものすごい量の文献を読んでいますよ。歴史は文献を読む学問です。特に東洋史では日本人は漢文研究の歴史が長く、研究の蓄積がありますので西洋人より絶対有利です。
〉翻訳についてだって、欧米の連中はキリスト教の聖書の
〉正統性を保ちたいから、すでにもう何百年も議論している。
〉そこに、ぼくみたいにたかだか数十年(?)わずかな翻訳を
〉して、そのあいだに考えたことがまとまっていないような人間が
〉入っていっても、ほとんどなにも言えない!
〉くやしい。
やっぱりそれは「英語」だからでしょう。漢文の解釈なら日本人は千数百年もの蓄積がありますよ。「翻訳」ではなく「読み下し」という方法ですが、意味をわかって読んできたんです。
〉でも、このままじゃいやだから、「快読!」にも書きましたが、
〉これからの若い人は大学にはいったら欧米の大学生と同じ本を
〉同じ理解度で読めるようになってほしい。そのために残りの
〉人生を使うことにしよう。
これは賛成。
原書をどんどん読める学生が増えるべきでしょう。
私は学生時代は自分は英語が読めるようにはならないと思っていました。さっきの西洋史の先生の授業で英語の文献を読まされましたが、ぜんぜんわかりませんでした。自分の専門は東洋史だから別に英語が読めなくてもいいや、と思いきや、そうはいきませんでした。カロシュティー文書の解読と翻訳が英語で行われていたのです。私は英語のほうを読むのはあきらめて、日本の学者がそれを読んで書いた本を読んで済ませました。多読でPBが読めるようになったら歴史の文献も読めるかな?本当はドイツ語の「古代クチャ」が読みたかったけど、ドイツ語はとても、とても…。でも、今ではもう古い文献ですし、最近は中国での研究も進んでいるし、中国語の最新研究が読めたらいいか、という気持ちになっています。
〉ぼくは息子に、英語と、日本の古典と、中国の古典をやっときなさい。
〉それであと「書くこと」がちゃんとできれば欧米に負けないからと
〉言ってるんです。(勝ち負けなんて、いつも言ったことないのに・・・)
〉ちょっとこだわりすぎかなあ・・・
古典は大切です。漢文が受験科目からはずされ、授業をしない高校もできてるそうですが、東洋史専攻の私としては嘆かわしいことこの上ありません。
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