[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/24(07:27)]
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お名前: Tallinn
投稿日: 2006/8/31(12:38)
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皆さん、こんにちわ。
前の質問との関連がここではわかりにくくなってしまいましたが、仕方がありません。でも、何かわかったような気がします。
私がやってきた学習の対極にSSS式はあるのはたしかだと思います。私は英語の力を上げないと将来的に仕事に影響する可能性が十分にあります(これまでもありました)。一応の段階に来たので私は新たに方向性を自分なりに探しているわけです。
多読には2種類あることが今回わかりました。ここの多くの人は勘違いしているように思いますが、大抵の参考書は最後には多読せよと書いてあることが多いです。ただ、SSS式の多読は薦めていないということだけです(というよりなかった)。
私は読書を趣味にしたり、英語を職業にする気はありません(読まないということでも、読んで楽しいことがないという意味でもありません)。ほかにも十分趣味はあり、愉しんでます。新たに加える余裕はありません。
さて、SSS式を学習法として活用しようと思って尋ねたのが前の質問です。残念ながら、目標への確かなルートは見つかりませんでした。
これはこれまでのアプローチとの関係で問題があっての話だろうか?全面的にSSS式にすればその道は見えるのだろうか?
そこで、もう一度SSS式は何ぞやと考え直しました。正確なところはわかりませんが、SSSでは参加者たちがいろいろな本を書評なども加味して、各レベルの担当者らしき人が適切な分類をして、皆に提供しているものと思います。学習指標のようなものはどうもないようです。もし、グレード分けが学習指導的な役割をしているなら、その根拠を作るもとになる読書量はどうだろうかと思ったわけです(SSSは読んだ量とグレードしかないようですから)。私は少ないと思いました。亡くなられた山田和男先生は驚くだろうと思います。人にある英米作家を薦めるときはその著書数十冊は読んでからにしろと言っていたのを思い出したらからです。
古川さん> 実際にはまらないとわかってもらえないでしょうね。
日本語でも同じと思います。私はむしろ日本語の古典があまり読めないので恥ずかしい思いをしたことがあります。海外の役職の人は教養が高い人が多く、日本文化に興味を持って訊かれることがあります。理解があればなと。
映画も観たいし、オペラも愉しみたいとも思います。でも、全部はできません。時間を作るにも限界があります。今年は少し楽ですが、あまりの忙しさに呼吸器系をやられたことのある人間としてはもう無理をする気はないです。
これまでの皆さんの意見を読みますと、まず出てくるのはSSS式多読は趣味であるということ。趣味の会の一つなのだという考えでよろしいでしょうか?
つまり、学習法としてのものではないと。
SSSは新しいムーブメントでしょう。通常、こういう場合、参加者が増え、組織化が進み、体系化がなされていくと思います(今の英語学習法だってそうですから)。それがいつになるのかわかりませんが、いましばらくはかかるようで、多読するにしても、私は個人で直接原書を選別して読んでいくしか道はないようです。できれば従来型の方法からの移行もできるような方法も確立してほしいですね。
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