[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/22(09:48)]
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英語の色の発達の歴史について
1 一般に,未開の文明は,外界の世界の色の種類について,最初は,白と黒を見分けることくらいから始まり,だんだんと,識別する色の種類を増加させていく。
現代でも,白と黒に毛の生えたくらいの種類の色の言葉しか存在しない文明もある。
しかし,少しの色の差異が認められれば,別の色と認め,別の名前をつけて区別することは,可能であるから,色についてうるさい民族は,区別分けの言葉が,増加する。
これは,「水と湯と氷」を,ひっくるめて,一つの言葉しかない文明があるし,「水と湯と氷」の3種を区別する文明があるし,「水と湯」は,一つの言葉であるが,「氷」は別の言葉とする文明があるがごとくである。
2 英語も,同じように,古くは,whiteとblackの2種類の言葉しかなかったが,その次に,redという識別ができた。
redができる前は,現在のredの色は,whiteの範疇に入っていたようだ。
blackでない色は,whiteであったといえよう。
redの次には,greenと,yellowが,生まれた。
blueという概念は,なかった。
blueは,greenと認識されていた。
greenとyellowの境界は,曖昧であった。
yellowは,現在のyellowのみならず,輝くものとして,golden,暗い黄色として,amber,それに,ややくすんだ色として,ivory,明るい黄色として,creamなどを含んだ。
当時の人々は,現在のように,区別しなくても,生活に困らなかった。
生活の進化が,区別の必要を生むのである。
マレー語が,現在も,水と湯と氷を,ひっくるめて,一つの言葉しかないのは,それで生活に困らないからである。
区別したければ,別の形容詞となる言葉を付加した方が,便宜なのである。
古期英語時代に,yellowの次に,blueという言葉が分化した。
3 ノルマン人は,1066年,イギリスを征服した。
その後,1500年くらいになるまでに,いろいろな色の識別の言葉が生まれた。
英語は,中期英語時代となる。
イギリスの人々は,なぜ,この中期英語の時代に,色の区別を欲したのであろうか。
そこに,生活に必要な社会の進化があったからである。
たとえば,イギリスの社会は,それまで一緒くたにyellowと認識された色について,14世紀ころ,golden,sallow,saffron,weldを産んで,それらの色は,それぞれの名称で呼ばれるようになり,yellowとは,呼ばれなくなった。
yellowは,16世紀には,cream,ivory,amberを区別するようになり,さらに,18世紀には,canaryを区別し,19世紀には,lemonを区別するようになった。
レモン色は,レモンという果物から転用された言葉である。
amberは,琥珀という樹脂から転用された言葉である。
新しく作られた色の言葉は,鉱物,植物,動物など既存の物体から生まれた場合が多い。
4 現在の英語の世界で,古代のyellowから派生し,現在のyellowとは区別される色の注釈をすると,golden(金色),cream(クリームのような白みがかった黄色),lemon(レモン色),sallow(血色の悪い,青白い黄色),ivory(象牙色),saffron(サフランの花の色),amber(琥珀色),canary(カナリヤ色,鮮やかな黄色),weld(キバナモクセイソウの色)などがある。
5 たとえば,goldenは,yellowに含まれるというような考えをする人がいたら,その人の考えは,私に言わせれば,歴史の発展を無視した,奇天烈な考えである。
ただし,本を読むと,ある個人の作者が,通例と違う使い方をする場合があるから,間違えないようにしなければならない。
個人の感覚の違いは,次の例をみてもわかる。
日本人は,太陽の色を何と見るか。
ダイダイ色かな?
それとも,「真っ赤な太陽」という歌があるように,赤いと答える人もいるだろう。
私は,ある人から,太陽が黄色く見えたと聴いたことがある。
何でも,夜通し,女性と一戦を交え,寝ないで,朝,仕事に出発したら,道で太陽が黄色く見えたのだそうだ。
外人が,それを聴いて,日本人は太陽を黄色と見ていると思ったら,それは誤解だろう。
たまたま読んだ本に,金髪をyellowと表現したとしたら,そこに作者の「黄色い太陽」のような何らかの意図があると考えた方が妥当だろう。
6 英語の世界では,今述べたように,10世紀といえば,まだほとんど,色の分化の概念がない。
日本は,10世紀には,様々な色が,言葉として,区別して存在していた。
紫式部の源氏物語には,実に,いろいろな色の言葉が出てくる。
日本は,色について,細かいというか,うるさい国民であったようだ。
色について,細かいのは,その後の日本に,連綿として続いた。
日本人は,色のちょっとした違いに気がついて,別の名前をつけて,愛(いと)おしんだ,
色を愛(め)でたと評価できるであろう。
江戸時代には,華やかな色も好まれたが,ねずみ色など渋い色のちょっとした違いにも,名前をつけて,愛用した。
「四十八茶百鼠,しじゅうはっちゃひゃくねずみ」である。
7 もちろん,古往今来の全ての日本人が,繊細な色の感覚を持ち合わせていたわけではない。
しかし,日本人は,概して,ほかの民族に比較し,色という点について,色の繊細さを重んじる人々であったことは,特記されてよいであろう。
8 衣類のアメリカのベネトンのような原色の単純な組み合わせで美を表現するというような感覚は,日本人には,なかったように思われる。
また,イタリアの色の組み合わせも,日本人には,生まれなかったと思われる。
しかし,日本には,日本独特の美がある。
日本独特の美は,色彩の区別や,色彩の取り合わせに,大いに発揮されている。
9 色について,言語は,いろいろな感情や比喩などを表す。
日本人が,黄色い声と表現する様子を,yellowで表現しようなどと考えるのは,赤っ恥を掻くのがオチで,よっぽどの文化音痴である。
赤っ恥も,redを使わないことくらい,すぐに分かる。
そもそも,英訳に,色を使えないであろう。
逆に,born in the purpleという表現を日本語に訳す場合には,紫という色の言葉を入れるのは,いくら高貴の出の人であっても,難しい。
日本語と英語の色についての感情の違いや比喩の違いは,それぞれの歴史や伝統に基づくものである。
その歴史や伝統を理解するうちに,日本の文化と英語の文化,さらに他の言語の文化を理解し,その相互理解の深化が,大きく言えば,平和につながるといえる。
10 また,英語も,歴史の推移で,色の好みに,違いがある。
たとえば,yellowは,14世紀ころまでは,好ましい色であったが,その後は,年老いた,衰亡した,顔色が悪いなどの好ましくない意味の表現に使われることが多くなった。
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