Re: 「文法」をめぐる分かれ道

[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/24(06:53)]

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2017. Re: 「文法」をめぐる分かれ道

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/3/6(19:56)

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yamasinaさん、こんばんは。

〉おつきあい、ありがとうございます。

いえいえ。こちらこそ。

〉〉要するに言いたかったのは、
〉〉「スポーツ(競技)に『ルール』の習得が必要であるように、言語にも『文法』の習得が必要」、とは言えない、
〉〉なぜなら、「ルール」と「文法」は全く違うものだから。
〉〉前者は「規則」で、後者は「(学者が抽出してみた)規則性」だから。
〉〉ということです。

〉完全に同意であります。

ダンケシェ (ドイツ語でそう言うらしい)

〉〉それを「文法」として学ぶ必要があるのかどうか、という話をしています。
〉〉これこれの状況のときに「アイラヴュー」と聞こえることを言ってるな、などと、
〉〉経験から把握するほうが、言葉の獲得としていいんじゃない?って話です。

〉なにがいいんでしょうか。いいわるいというのは比較ですよね。それとも、比較のない絶対善なのかな?

さあ。なにがいいんでしょうね。ひとつの価値観というか、考え方でしょうね。
論理の問題ではないと思います。
体重の減量法に似てますかね。(また比喩で恐縮ですが・・・)
各人が、なるほど、その方法は「いい」、と思えば、そうすればいいのであって。
おすすめする人が、その方法を「いい」と思って、いいと思わん?と言うのも、
別にかまわないと思います。

私の感覚に過ぎませんが、多聴多読で、言葉がわかっていく感じっていうのは、
とても「いい」感じで、おそらく、生き物としての言葉を把握するには、
文法で意識的に学ぶよりも「いい」んじゃないかな、という勘がしています。

〉〉〉そして、「文法を抽出、整理して教える」のが、よく使えるようになるために先人が思いついたアイデア。
〉〉それがほんとに、よく使えるために役立つかどうか、が問題です。

〉そうですね。役立つか役立たないか、また比較です。どんなものさしで比較しましょうか。それを決めないとその問題をまともに話し合ったりできないんですよねー。せっかくの問題なんですが、残念なことに。

ものさしは、別に要らないんじゃないかなと思います。
いろんな議論読んだり、考えたりして、各人が、自分にはどうかなーと感じればいいのであって。
これまた人それぞれなので、白黒つけたりできるものではないなと思います。

〉(たぶん、それを決めてないから、古川さんと酒井先生けんかしちゃったんじゃね?)

まー、一時はハラハラしましたけど、けんかもまた良しなんじゃないかと、
今は思ってたりします。冷たいんですかね。(笑)

どんな方法が絶対的に良いなんてことは決められないでしょう。人それぞれなんだし。
いろいろ言う人がいて、その中で、自分はどうするか、って決めたらいいと思います。
んで、「文法」捨てて多聴多読で言葉がわかるこの感覚はいいよ〜、おいで〜、
と勧誘している人たちがいると。そんな甘言にはまどわされないぞ!と思えば、
断固拒否すればいいのであって。(笑)

そんな感じですかね。


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