[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/25(03:36)]
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appleさん、こんにちは。
〉英語が優れているかどうかを調べるのに、
〉なんで、英文和訳や和文英訳をさせるのだろう?
〉日本語を介さなければならない理由って?
〉なぜ、英語のままで理解するのではいけないのだろう?
〉そもそも、日本語の文章と、英語の文章が、
〉1:1になんてなりっこない。
〉ぴったりしない文章だってあるはずだ。
ごもっとも〜〜!「あるはず」どころか「ほとんど」だと思います。
〉英単語が日本語化(カタカナ化)されるとき、
〉複数のカタカナに変わっていたりする。
〉元の英単語は一緒なのに、まるで、別の用語みたいだ。
ふむ、ふむ、たしかに。
これはやはり学校英語で点数をつけるための勉強だからでしょうね。
前にどこかで書いたことがあるのですが、中学のとき、「未来形」willを習ったとき。
willがついてたら「私は明日、○○へ行くでしょう」というふうに訳すよう教えられました。
私は「そんなの、ヘン!」と思いました。日本語では、明日決まっていることなのに「でしょう」なんて言わないじゃないですか。でも試験ではそう書かないと、先生がその生徒が未来形を理解しているかどうか判断できないんです。
同じように過去形、過去完了形、現在完了形など、日本語に訳すときの決まった言い方があって、そういう訳文を書いて理解しているかどうかを調べるのです。
多読が進んで英語のまま読めるようになってくると、日本語訳がいかに理不尽なものかがわかってきます。しかし学校では点数をつけるための勉強ですので、点数をつけやすいような勉強の仕方が強要されるのです。そして学校英語にどっぷり浸かった先生と生徒は、その方式こそが語学を勉強する方法だと思い込んでしまうのです。
たぶん、私が高校で英語が落ちこぼれたのはそういった勉強法が性に合わなかったというのもあるんだろうな…と、今になって思います。教科書に書いてあることが理解できなかったので、自分のアタマが悪いんだと思ってましたが。
それでは…。
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