[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/23(10:57)]
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1696. Re: (改訂版)理解につながる生きた文法力って…?(また長いです)
お名前: fiona
投稿日: 2007/12/9(23:15)
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オレンジさん、酒井先生、こるもさん、アーニャさん、みなさん、今晩は。
どうして、多読をして本をより細かく読めるようになったのか。あれから2日考え、もう一つ変化した要素があったのではないかと思うようになり、「理解につながる語彙力って…?」の続きを書くことになってしまいました。
初めから、新しくスレッドを立てて書けば良かったのですが、行きがかり上このような形になってしまいました。
オレンジさん、何度も占領してしまってごめんなさい。
多読を通して、英語の本が細かく読めるようになったのは、「語彙の深さ」が広がっただけでなく、「生きた文法力(のようなもの)」が向上したためではないかとも、思うようになりました。
それは、言葉(単語)からどのようにして物語生まれるのだろう、そこで文法(のようなもの)が何か役割を果たしているのでは…と言うところから生まれたのですが…。
最初に、言葉(単語)が一つの物語になるプロセスを考えて見ました。
本を読むと、読んだ言葉の作り出すイメージが複雑に絡み合って、一つのイメージやイメージの流れが作られ、これが物語りとなります。だから、言葉(単語)の作り出すイメージが豊かだと、作られる物語のイメージも豊かになる、つまり、細かに読めるようになる、と思っていたのですが、
でも、どうやって個々の言葉(単語)のイメージから、物語のイメージが作られるのだろうと、ふと疑問に思ったのが最初でした。
そこで、本を読んだ時、頭の中で、どのようなことが起こっているのか(推測をまじえて)考えてみました。
1. 本に書かれている単語を読むと、その単語のもつイメージが頭の中で思い起こされる。(単語の持つ、ひとつひとつのイメージが頭の中にモヤモヤっと、雲のように現れる)
2. 頭の中で、単語の持つイメージ同士がつながり合う。(イメージの雲同士に結びつきができる)
3. 単語同士がつながり合うことで、単語の持つイメージが限定される(文脈のなかで、単語の意味が限定される→イメージの雲が小さく固まって行き、ある小さな決まった形のイメージになる(イメージの結晶化?))
4. この限定されたイメージがつながり合った、イメージの網の目のようなもの(ネットワーク)ができる。(形のはっきり決まったイメージ同士が複雑に絡み合い、イメージのかたまりが結び合った網の目模様のようなものを作り出す)
5. このイメージのネットワーク全体が、一つの明確なイメージやイメージの流れを指し示す。(「少しくたびれた服を着ている、小柄、優しそう、にこやか、男の人、日に焼けている」などのイメージの結びつきから、一人の人を想像するような感じのこと。また、イメージのつながりから、ストーリーの流れを感じるようなこと)
6. この、明確なイメージやイメージの流れが認識できることによって、本を読んで「わかった」と思う。
(頭の中では、モヤモヤっとした個々の言葉(単語)のイメージの雲が、スーッと結びつきながらかたまり、キラキラした、イメージの結晶がたくさんつながり合った網目模様の美術品みたいなもの(物語)が(想像上は)できているのですが、分解(分析)して書くと、こんな分かりにくいものになってしまった)
このとき、単語のイメージ同士の結びつきに規則性を与えているのが、いわゆる「文法」ではないかと思いました。いわゆる「文法」が、イメージが結びつく際の交通整理のようなことをしているのではないか。つまり、どのイメージとどのイメージが結びつくのか、イメージの結びつきの上下や方向性などはどうかと言うことを決めているのではないか、と思ったのでした。
これを含めて書き直すと、
1. 本を読むと、単語一つ一つのイメージが雲のように現れると同時に、そのつながり方を示す文法的な指示も(読み取って)感じとる。
2. イメージの雲同士が、読み取った文法的な指示に従って結び付けられる。
3. お互い結びつくことで、イメージの雲が小さく固まり(結晶化?)、決まった形になる。
4. はっきり形の決まったイメージ同士が、文法的な指示で結びついて、一つの網の目模様を作り出す。
5.6. イメージのネットワークが、明確な一つのイメージやイメージの流れを作り出すことで、理解が得られる。
となります。
(2.3.4.は順に起こるのではなく、同時に起こっていると思われます→イメージの雲が、文法的な指示に従って結びつきながら、小さく決まった形に縮小して行く。最終的にはっきり形の決まった、イメージのネットワークができる)
要するに、言葉(単語)に結びついているイメージが、文法(のようなもの)で規則的に結び付けられ、これが一つの物語と言うイメージになる。…と思ったのです。
長々と書いたのですが、この、文法的な指示を読み取ったり、文法的な指示によって単語のイメージを結びつける能力も、多読によって養われ、その結果、より明確に読めるようになったのではないか、と2日間考えて思うようになりました。
(この能力が不十分だと、言葉(単語)のイメージ同士が上手く結びつかなかったり、間違った結びつきをする。その結果、ぼんやりとしたイメージのネットワークや歪んだイメージのネットワークができてしまう→理解が曖昧になったり、間違ったりする)
理解力は、前回で書いた語彙力だけでなく、この文法的な指示の運用能力(生きた文法力)でも決まる。両方が揃っていて、初めて明確な理解ができるのではないでしょうか。
この「生きた文法力」と言うのは、「文法の知識」ではなく、条件反射的に文章から文法的な指示を読み取り、その指示通りにイメージを結びつける(構成する)力で、やはり、多読をしないと養えないものではないかと思いました。
今回の話は、語彙力に比べて抽象的で、書いた本人もいま一つわからない感じがするのですが、語彙力だけでは本を読んで「わかる」と言うのが説明できないので、あえて考えたことを書いてみました。
長々と、Part2までお付き合いありがとうございました(Part3の予定はありません)。
ではでは〜。
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