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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/3/14(23:31)
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しつこくお邪魔…
「ネイティブ・チェック」で少し思ったことなど書き散らします。雑談として聞いてください。
先日酒井先生が福山講演会で英語のコミュニケーション教材とともに外国人の日本語教材を配っていました。そこに書かれていた会話は…
鈴木:山下さんはあさ何時におきますか。
山下:七時におきます。
鈴木:はやいですね。わたしは八時ごろおきます。よるは何時ごろねますか。
山下:十一時ごろにねます。
一体これは何の会話でしょう?
さらに…
鈴木:会社は何時にはじまりますか。
山下:九時にはじまります。
鈴木:何時ごろおわりますか。
山下:六時ごろおわります。
鈴木さんはひたすら質問をし、山下さんは素直に答えるばかり。
そしてこの会話のオチは…
鈴木:毎日会社へいきますか。
山下:ええ。
鈴木:土曜日にもいきますか。
山下:いいえ、いきません。土曜日はやすみです。
鈴木:あ、もう駅ですね。ここで失礼します。
山下:さようなら
なんと、駅へ行くまでの道すがらの会話だったんですね。身上調査でもしているのかと思いました。しかも質問ばかり浴びせて、突然「駅ですね」と言って別れてしまう鈴木さん。
で、この文章を外国人が日本人に見せて「ネイティブ・チェック」をしてください」と言ったとしたら…?
確かに日本語は間違っていません。直すところはありません。
しかしいくら「言葉」が間違っていなかったとしても、不自然さの漂う「作られた会話」です。
英語の文例の「ネイティブ・チェック」にも同じことが起きているかもしれません。ですから「ネイティブ・チェック」を受けているから大丈夫、と安心しきっていていいものか、と思いました。
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お名前: 古川@SSS http://www.seg.co.jp
投稿日: 2007/3/15(00:02)
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"杏樹"さん こんにちは!
〉英語の文例の「ネイティブ・チェック」にも同じことが起きているかも
> しれません。
まさにその通りですね。
英語の先生の中には、Nativeの人に、"不自然なところは直してください”
頼んで、本当に直す人もいますが、
一方、英語の先生の中には、”文法的に良いか?”とのみ聞き、
Native の人が”間違ってはいないが、不自然だと思う”といっても、
”間違っていなければ、OK”という人も多いのは事実です。
ですので、Native Check というだけでは、どちらのチェックか
わからず、それだけで安心はできません。
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お名前: yhiroaki http://hilog.net/eigo/
投稿日: 2007/3/15(21:46)
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杏樹さん、こんにちは。
そうですね。単語本のnative checkにも同じことが
起きているかもしれないと僕も思います。
#5420でも書いたとおり、DUO3.0は少ない例文で
多くの単語・熟語を覚えることができるとappeal
しているので、通常の単語本以上に不自然な例文に
なっている可能性もあると思います。
でも、まあそれを言い出したらキリがないというのが
今の僕のstanceです。
ある例文を自然だと思うnativeもいるし、不自然に
思うnativeもいる。
実際にアラベスクさんから「ダーリンは外国人」の
ダーリンが、DUOの例文について不自然だと言って
いたとのコメント(#5388)ももらっています。
単語本にでてくる例文は多くの場合、杏樹さんの
挙げている例で言うと、
>鈴木:会社は何時にはじまりますか。
>山下:九時にはじまります。
くらいの長さなので、不自然さよりも、使われる
場面が浮かばないcaseのほうが多いかもしれません。
その短い例文でも別枝の"We must respect the
will of the individual."の議論のように不自然さ
を感じるかたもいます。
native checkがあるから"安心"とは僕も思わないです。
でも、無茶苦茶な文でもないんだろうなという期待は
もっています。そして、少々不自然なくらいは
それこそ多読を通じて矯正していけばいいと思って
います。
まあ、僕にとっては多読を続ける上での精神安定剤の
ようなものかもしれません。
また、英語力向上におけるrisk hedgeのための学習法
のportfolioの一部なのかもしれません。