はじめまして&100万語通過報告

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6495. はじめまして&100万語通過報告

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/3/1(18:40)

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1.名前の由来
 主催者の皆さん,読者の皆さん,こんにちは。「主観の新茶」です。略して「新茶」と呼んでください。寺田寅彦の俳句に,「客観のコーヒー,主観の新酒かな」というのを,「主観の新茶かな」と記憶間違いしていた。間違えたまま使用します。

2.主催者への義務及びお礼としての情報提供
 昨年11月24日開始し,67日目,本年1月29日,Dahlの「チャリチョコ」で通過,合計約450冊,うち,外国人向けか否かで区別し,国内向けである児童書が,約350冊(78%),外国人向けであるGR約100冊(22%),うちケンブリッジCER約40冊(9%)であるが,語数は,児童が,約45万語,CER約43万語,CER以外のGRが約12万語と概算される。児童本は,ICR0,1,2で新宿SEGにあるもの,Nate The Greatの相当巻,Dahl(概ね語数が少ない順に読む)が多い。
ケンブリッジは,書き下ろしで,それなりにおもしろいので,概ね易しい順にして,最終的にレベル5が,1冊,ALL I WANTを読んだ。その他のGRは,ペンギンなどで,1000語〜2000語程度の易しいものが主である。申し訳ないが,YLは,記録していない。児童書も2分して記録していない。

3.多読の条件
 多読期間中,思わず,多読の条件を考えてしまった。
 それは,多読しようとする意思が必要であるほか,
 (1) 多読を阻害するに足る精神的障害がない。
 (2) 多読を阻害するに足る肉体的障害がない。
 (3) 多読を遂行するだけの金銭的余裕がある。
 (4) 多読を遂行するだけの時間的余裕がある。
 (5) 多読を妨害しない程度の物理的環境がある。
 (6) 多読を妨害しない程度の外的圧力しかない。
 思いの外,大変である。これらの条件が一応存在するだけでも,恵まれていると感謝すべきではないか。
 あるいは精神疾患に悩み,あるいは,肉体的苦痛に喘ぎ,あるいは,食べるだけの収入しかなく,あるいは,仕事その他に忙殺され,あるいは,本を読む空間がなく,あるいは,脅され,邪魔され,人間関係に疲弊するなどの環境にあれば,多読どころではないだろう。今の日本では,多読に適しない条件の人がすこぶる多いし,とはいえ,多読の条件に恵まれている人も,数にすれば,案外多いのだろうと想像する。

4.多読の期間の状況
 1日平均1万4000語強読んだことになる。主に精神的肉体的理由で,読まないか,ほとんど読まない日が,数日あった。
 67日間の内訳は,概略,順に,児童中心が,15日,次いで,GR中心で児童多少が,7日間,さらに,GR中CER中心で児童多少が,25日,そして,CERで語数増やしつつ,児童書の多読20日である。児童書は,再読したものが少なくない。

5.多読の感想
 100万語程度では,客観的に,どうしても読書にばらつきがあるので,感想を述べるに,語数が少なすぎる。私が読んだ限りでは,GRは,本当に英語らしいものではないから,できれば,児童書を読んだ方がよい。児童本は,絵がすばらしい。表現も,日本語の発想では出てこないものが,簡潔に表現されている。また,文法,文化も,意識されている。ただし,児童本は,GRに比し,相対的に,読書の進度が遅々として進まない。

6.私の英語環境,勉強歴
 高校時代,英語と数学は,机上の勉学の中心だった。大学に入り,どちらも,しなかった。遊ぶのに忙しかったし,専門の勉強に入ったことにもよる。爾来,30年余,公私にわたり,英語,数学とも,ほとんど全く使用しない。多忙だった仕事以外に,日本語は,勉強した。5年ほど前,不十分ながら,これ以上日本語の勉強をしているわけにはいかないと思った。今日の世界を歴史的に理解すべきだと思った。そこで,専門外ながら,国内・国際政治経済,マクロ・ミクロ経済,金融,証券,会計,リスク,福祉など,基本的な大学教科書程度のものその他を読み漁り,数学,統計学なども,少し手を染めた。これらの本に,専門用語に()して,英単語が並べて書いてあるので,日本語なら本を読めると思っていたのが,そうでないと知り,英単語も覚えながらスムーズに日本語の本を読みたいと思ったことが,英語再勉強当初の偽らざる動機である。また,最近の雑誌は,カタカナ英語であふれている。これも,わからない。過日,文部科学省が認知度調査したカタカナ語は,当時,多くを知らなかった。

7.100万語までの具体的勉強
(1) 高校時代,研究社の英和辞典1冊しか買ったことがなかった。そこで,2003年,ジーニアス英和1冊を購入し,一時期,接頭語と接尾語をかなり網羅的にノートに書き写した。これによって,接頭語の意味及び語形変化,接尾語の役割である動詞化,名詞化,形容詞化及び副詞化等を知った。次に,ラテン語系等の語源について書いた市販の啓蒙書数冊を購入し,つれづれに眺める程度のことをし,かなり字が違っていても語源が同じ単語があることをはじめて発見した。高校時代は,何となく,INがつけば,否定だなとか,かなり字が違うのに,意味が似ていて,ひょっとしたら,同じような言葉かなと思っていたこともあった。しかし,接頭辞,接尾辞という言葉すら,明確に知らなかった。また,語源を習った覚えも全くない。高校在学だった私の子供に聞くと,今や,それを学習するのは当たり前であるというらしいから,昔が遅れていたというべきか。私が不覚だったか。
(2) 接辞語,語源がわかっても,単語が音として読めなければ仕方がない。2005年,ベストセラーの英単語CDを購入し,一時期聞いた。しかし,聞き取れなかった。学生時代,リスニングは,なかった。口の先で出すはずの,p,b,h,f,θは,ごくわずかの口の差だと思うが,単語のはじめにあると,聞いたとき,区別が付かない。k,gは,口の奥で,d,tは,口の中間で,舌を操作するはずだが,やはり語頭,gとdが区別が付かない。たとえば,当該発音者のせいかもしれないが,greenが,dreamに聞こえる。語尾も,発音が省略されるのか,聞き取れない。その症状は,今も同じだろう。
(3) その後,2006年出版の実践ロイヤル英文法を,2007年3月から5か月かけて通読した。高校時代,学校に指定がなかったので,1冊の英文法書も持たなかった。はじめて英文法書を購入し,かつ,通読した。大変だった。なお,実践ロイヤル英文法ではなく,同じ著者のロイヤル英文法は,酒井先生が,批判しておられる。
(4) その他,英語学習法の本購入などあるが,大勢に影響がない。
(5) そして,2007年11月20日過ぎ,街で「親子の100万語の本」を偶々見かけ,11月24日,新宿SECに加入した。100万語の多くは,新宿SEGの図書室の本である。
(6) なお,その後ペースは落ち,ORTのオールスターズ,Mr.putterなどを読み,現在,約120万語である。おって,私は,100万語を読み終え,2回目として,実践ロイヤル英文法を再読した。英語部分は,約3万語と推計計算した。英文法の本も多読の要領で読めないか。また,語数の判明しない英語の本は,しり込みすることなく,合理的に推計計算して算定すればよいと思う。自分なりに計算すると,合理的であれば,自然に,古川先生が執筆されている算定法となるので,迷ったら,随時,確認するとよい。推計計算した本の多読により,合計読書数の誤差は,原則として,平均へ回帰し,少なくなるはずであるから,語数の計算に時間はかけないほうがよい。

8.100万語読書とのトレードオフ
 日本語の本を読む余裕がなくなる。専門書やビジネス書の世界では,古典的名著は除外し,西暦2000年以前の本は,読むに耐えなくなってきているし,2000年以降に出版された本も,2訂,3訂を重ねる日進月歩の時代である。日進月歩は,グローバル時代が到来した「平和の配当」の落とし子であり,変化しないで安穏でいられることとのトレードオフともいえる。2か月余りで多読しようとしたら,日本語の本は,ほとんど読めない。通勤その他で読んでおり,机上で落ち着いて読んでいないから,英語の読書スピードは,毎分80語くらいかもしれなかった。

9.立ち止まらず100万語読む英語とは何か。
 いくつか,単なる個別的感想を述べる。
(1) 熟語は,覚えない。後戻りしない。I would like toも,熟語ではない。過去形の助動詞+一般の動詞+toにすぎない。wouldは,過去だが,過去に発生していない事実を過去として述べるから,願望,仮定になるし,toは,方向を示すから,将来のことを述べるか,場合によっては,方向に行った結果を示す。そうすると,I would hate toも,自然である。児童書に,鬼の子供同士の会話で,I’d hate to see you without freckles と,あばたもえくぼで,そばかすを賞賛する行があった。普通に考えるから,would likeの間に,likeを修飾する意味で,ratherもくるし,entirelyなども来ると思われる。アンデルセンの裸の王様が,製作中の服を見たくて,I would certainly like to know how much they habe wovenと言った行があった。have toも同じである。多読中,このくだりがでると,狩猟民族が家畜などを強いて掴むcapという意味のhaveと,方向のtoという意識しかないときがある。had betterも同じで,betterの次に動詞や名詞など修飾するという感じになる。動詞の場合,当初は,動詞が2つ連続するのは,原則としておかしいから,had better toだったと思われる。
(2) 児童書,GRとも,ever,evenが,多用される。しかも,昔高校で習った使用法を超えている。日本語は,語尾の動詞に付加して,いろいろごちゃごちゃ微妙な感情を言えるが,英語は,動詞が先に来るから,動詞で,細かい感情を表現できない。そこで,everなどが使われるのではないか。細かい感情には,日本語以上に,抑揚の高低も,必要である。up,offなど副詞の使用法も,一部,日本語の語尾で操作できる感情表現と,意味合いが同じではないか。
(3) very+名詞。習った記憶がない。忘れただけか。ICRで,子供のハリーが紛失した図書カードを再発行してもらい,I put it in a very safe place. Now I can’t remember where.というのがあった。
(4) 児童書は,仮定法が,内容及び形式とも,多彩である。子供の世界は,仮定だらけだし,大人は,子供を穏便に脅迫して教育するのに,仮定法を使う。また,What if〜などというのも,昔は,なかった気がする。また,子供の世界は,遠慮がないので,過去,将来ないし他人との比較も盛んであるから,仮定法に比較が絡むといった表現も少なくない。
(5) thatは,「あれ」という指示で統一する。関係代名詞などは,すべてthatの前の語句を,次に説明するに過ぎないと考える。後戻りしないためには,そう考える方が便利である。what,where,whichなども,「何」「場所」「どちら,それ」など本来の意味で,前の語句を説明すると感覚で考えて,後戻りしない。
(6) なぜ,この名詞が,冠詞aがつくのか,複数なのか,と一瞬不思議に思うが,多読である以上,立ち止まっていられない。aは,個別独立の要素と考えると,英語人は,周りから区別する個の基準をどう捉えているのだろうか。また,児童書は,anyの肯定形も,散見される。つまり,文法的に例外に見えて,頻出する使用法であろう。
(7) ingは,その時点の現在を示すと考える。普通は,現在の行動等は,一定時間,継続する。現在分詞か,動名詞か,その役割は何かと詮索しない。しかし,意味的に掴む必要はある。そうすると,たとえば,This is me being sad.というのは,詩人シルバースタインの児童本にあったが,文法の構造も,正確な意味もわからないから困る。英語は,おそらく語旬と単語の意味が相関して文全体の意味を構成するので,単語の意味がわかっても,文法の構造がわからないと,全体の意味が正確につかめない。「私は,今,悲しみの状態が続いている」というようなことはわかる。しかし,その心は,I am sad.とどう違うか。また,I am being sad.という言い方もできるのか。先の文章は,続いて,Really I’m sad but pretending I’m happyとなる。ここのingの感覚も,今一歩である。気の利いた表現だと直感するから,目に留まるのだろうが。
(8) ICRのローベル「蛙とがま」に,the two aloneという趣旨のものがあり,2人だけと使うかと,いぶかしく思った。その後,酒井先生の本に,その旨指摘されていて,うれしかった。そうなると,aloneは,「私たちだけ」でも使えるし,宇宙物語なら,宇宙人との対比において,「全人類だけ」にも使えるだろう。同じ著者,「Owl」の冒頭には,暖炉の前の椅子に座った絵の中の彼の言として,How good it feels to be sitting by this fireというのがあった。原則が将来のtoと原則が現在のingの併存は,私の見解では,一見矛盾する。これは,現在+将来であって,今現在暖炉にあたっているし,このまましばらく暖炉にあたるであろう,ゆったりとした状態が,なんと快適なのだろうという気持ちを表現した文法構造だと思われる。to beを除外した文章も,可能なはずだから。
(9) ダールは,いまだに,適合する児童ものの全容がわからないので,当面,読み続けるつもりである。しかし,彼の話は,勧善懲悪ものが多いが,世の中はそういうものでもない。また,彼は,国家,市場における個人の発達に思いを寄せることなく,個人と,親・学校との相克を説いてのみ,個人の発達を説く。食物略奪のキツネの話は,たとえ家族の食い扶持に限るとしても,労働して市場に参加する農産物を生産し,同じく労働して市場に参加する人たちとの交換を目論む農民を一方的に悪者にするのである。もっとも,カメの頻繁交換による求婚物語は,happy ever afterと,真実を知らないこと,真実を知らせないこととのアイロニーを説いて,一日の長がある。ダールが,人によって毀誉褒貶が激しいのも,頷ける。
⑩ 日本語でも,たとえば,「〜を推進させざるをえないというわけにはいかないというものでもないと考えざるを得ないのではないでしょうか。」などという,もってまわった文章は,心の中で,知らずしらず反復し,適宜,不要な文章を省略したり,言い直したりして,理解している。多読の英語も,後戻りをしないといっても,過去完了や,否定形などは,適宜,修飾の単語を省略したり,現在形の英語に直したり,肯定形にしたりして,読み直すくらいは,当然,許されてよいのではないか。
⑪ 私は,日本語の文章も,テレビでシャドウイングしてみると,簡単な会話はさておき,ニュースなど,そのままをシャドウイングできない。早すぎてついて行けない面がある。ある程度話を聞いて,意味を解釈し,自分なりの言い回しに,簡潔に言い換えてしまうという面もある。英語では,どうシャドウイングすべきであろうか。

10. 今後の目標
 今をときめく神田昌典氏によれば,何事も同じだが,英語上達にも明確な目標が必要であるのに,明確に目標を立てるのは,100人に3人にすぎないという。脳学者茂木健一郎氏は,英語などの勉強を含め,全ての行動は,脳内に快楽物質ドーパミンを出そうという作業であるという。学習のうまい人は,ドーパミンを出す習慣や技術に優れているというのである。死と痛みの苦痛を伴う殉教者でさえ,動機を有する場合には,ドーパミンが流れているのである。一方,ロシア語講座の黒田達之助の近著「語学はやり直せる」によると,辞書いっぱいを部屋に広げるくらい夫婦共々語学好きな黒田氏の動機は,「語学をしているとカッコいい」という他者との差別化である。語学のファッション化でもないが,そこに,国家,市場及び個人のグローバル化したトライアングル関係の中で息づく人間の動機は,ない。他方,公認会計士かつ経済評論家で働く女性の環境に腐心する勝間和代氏は,グローバル化によって,英語を始め情報のある人間が,情報のない人間を,意識するしないは別として,搾取する時代であるという。労働が価値を産むが,情報の多寡で単位時間あたりの価値に差が出て,収入の差を生む。ものやサービスは有限ですべて希少資源であるというのが経済学の基本的立場であるから,情報の差が,収入の差を媒介し,消費や投資の差を生む。その差は,等差級数ではなく,等比級数になる時代だという。また,消費や投資の差が,言論の自由さえ左右し支配しかねないという。私見によれば,1944年7月話し合われたブレトンウッズ体制の下,日本は,西側諸国の一員としてキャッチアップの精神で生きてきたが,1971年ニクソンショックに由来するブレトンウッズ体制の崩壊は,電子技術の発達とともに,ロー・ポリティックスに従属させられていた経済をハイ・ポリティックス化し,個人においても,この最大限の追及が第1の目的である人々さえ出現させたのである。もっとも,国家,市場,家庭・近隣社会の三角関係において,独立した個人を育てるのは,集めた税金で教育に干渉する国家の関与があるとはいえ,主として,個々の家庭に負うところが多い。消費によるドーパミンの流出ではなく,子供を育てる一環として,英語を親子で学ぶという形で,消費兼投資によるドーパミンの流出を誘う家計部門の支出は,もとより,これを放棄し又は軽視して自己の消費に走る人々と比較するまでもなく,目標となる事柄であって,SSS,SEGという市場に所属する部門を通じてスムーズに行われることは好ましい。しかし,私は,子供もかなり大きくなってしまったので,これを動機付けに使えない。では,目標はどうするか。
(1)日本語の本に出てくる英単語をあらかじめ知る。
(2)カタカナ語化した英語を知る。
(3)普通の表現に,ビッグワードをちりばめ,年少時に知る童話や思春期に知る性的暗喩隠喩を含め,上げたり下げたり自在に表現する。
(4)ビジネス会話に特化する。
(5)日常会話に特化する。
(6)言葉は,人間の思考そのものであり,思考の延長のため,死ぬまで外国の言葉も覚える。
(1)と(2)は,100万語到達すると,中間目標の1つにすぎない。(3)になれば,ネイティブでも,知的エリート層に属すると思われる。最終目標だろう。(4)と(5)の特化は,おもしろくないだろう。(6)は,抽象的である。ならば,さらなる中間目標をどう設定するか。
 英語ができることから日本人の社会で村八分的に不愉快な思いをした先の神田氏は,これまでの日本人の少なからぬ数は,仲間内で英語を知らないほうが幸福であったのであり,これがまだ有効な社会であるが,これからはそうは問屋が卸さないと息巻く。神田氏は,また,英語の向上を待たないで,収入に直結する英語を,直接外人にぶつけろと主張する。また,どんな英語をしないかを説く。では,私は,何をしないと一応設定するか。 
(1)日本語なら読まないような内容の本は,読まない。
(2)試験のための勉強をしない。TOEICは,内容形式とも,全く知らないので,当面,受けない。。
 何をしないかも,もう少し考える必要がある。しないと決定したことも,融通を持たせる。例外のない原則はないというのが,原則である。

11.さしあたって100万語の次は,何を読むか。
 4月から,東京から離れる予定であるため,新宿SEGを利用できない。2か月で読む必要も,そこにあった。自分で買うか,おそらくあまりないであろう,かの地の図書館をしばらく利用するか。
 さしあたって,購入したものは,(1) 古典・デズニーの童話の本 (2) その他の児童もの (3) 国際政治経済,リスクなどの本 (4)問題集がない,英語で書かれた文法本 である。
 
12.日本語の勉強との類似性
 私は,良い学び方というのは,英語においても,標準があるとしても,人によって異なると思う。私は,自分で日本語を習得したのと同じような方法で,日本語に特化された大人の頭脳を修正しながら学び直すのがよいと,今は考えている。私は,日本語も,多読以外に,辞書類による知識の整理が,重要であった。私は,現在,以下のように,日本語の辞典等を使っている。
(ア)平凡社 字統 白川静
 白川氏は,漢字の語源を正しく精緻化した。たとえば,用という漢字の語源は,円筒型のバスケットである,マは,取っ手である。円筒は,空洞だが,円柱まで援引できる。ここより,桶は,木で作られた籠であり,兵馬俑の俑は,円柱型の生け贄の人形であり,蛹は,円柱形である虫のさなぎを意味する。このようにして,漢字を体系化し,漢字形成した古代国家の自然に対する態度の神秘にふれ,真の漢字の獲得を説く。
(イ)小学館 故事ことわざ大辞典
 量が多く,ないものはないといって良い。知っている故事ことわざ,知るべきそれ,知らなくて良いそれに分けると良い。
(ウ)日本実業 四字熟語博覧辞典
 (イ)にはない四字熟語をまとめている。
(エ)平凡社 中国の故事と名言500選
 原典から学べる。(イ)と(エ)に欠けるところを補う。
(オ)小学館 大活字難解難読蘊蓄字典
 知らない難解漢字をなくせる。
(カ)講談社 中国古典名言事典 諸橋轍次
 故事と名言を補う。
(キ)洛陽社 漢文研究法 小林信明
 漢籍を白文で読む基礎となる。
 上記のように捨てずに持っている字典等を確保するには,小学生用の字典など,いくつも初歩から学び,重複不要な字典を捨てた。英語も,同じではないか。

13. 終わりに
 最後まで読んでいただいたことに感謝するとともに,ともに100万語を媒介し,所期の目標が達せられ,進歩することを祈念します。
 読む人のことを考え,無駄な時間の労を省くため,かなり推敲し,わかりやすく内容のある文章,リズムのある簡潔な文脈,格調のある文章を目指していますが,時間と能力の制約がありますので,不明な点,誤字脱字は,ご了解ください。


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