[掲示板: 〈過去ログ〉親子で多読を楽しむ -- 最新メッセージID: 4028 // 時刻: 2024/11/23(14:22)]
------------------------------
MOMA親爺さん、こんにちは。
〉〉〉1. 発音記号を教えないこと
〉〉でもそれも根気がなく、結局「電子辞書・・・しかも発音つき!!」を購
〉〉入!わたしの強い味方となっています。
〉〉英語に精通された方々には、邪道だと言われるかもしれません。
〉〉でもそのおかげで、発音を聞きながら発音記号も見るようになり、
〉〉結構読めるようになってきたんですよ。
〉 いや、いろんな方法が今はあるから、よろしいのでは。そりゃ、
〉 電子辞書の方が発音記号よりもはるかに良くできています。そうですね。
〉 今では不要なんだ。不要なことに気がつきませんでした(笑)
「不要」っていうのはすごいですね。そう言う時代になったとは…。
私が中学一年のときは英語の教科書に発音記号がありませんでした。2年から出てきました。でもあまり学校では詳しく習いませんでした。私が覚えたのは塾でです。
〉 似たような話で最近感心したこと。漢文です。いや娘の学校では漢文が
〉 大流行でして、たくさん漢詩を覚えてくるんです。これは結構なこと。
〉 ただ、私たちの頃のように読み下し文ではないんです。もう、直接漢字を
〉 上から下へ読んでいくんです。私は抵抗がありましてね、「そんなんじゃ
〉 だめだよ!」ちゃんと読まないと・・・と教えたんですね。
それ、どう読んでるんですか?順番に読んだら日本語としておかしくなるのでは。まさか音読みでですか?だったらやっぱり意味がわからないんじゃ。
〉 例えば「いじょうのちょうう、けいじんをうるおす」etc,etc
〉 でも、年末に秋男さんの投稿だったかな、すごい事を読んでしまった。
〉 この読み下し文というのは、まったく日本独自のもので、「中国語ができ
〉 ない日本人」のための、間に合わせに過ぎなかったということなんです。
〉 今なら中国語を習って、その流儀で読むのが正しい読み方。中国語を学ぶ
〉 ことが、正しい漢文の読み方になるわけで、言われてみればあたりまえ。
〉 私たちがノスタルジーに浸る、あの流麗を極める漢詩の朗読は全く根拠の
〉 ない、独りよがりの読み方だったということなのです。これは、ショック
〉 だった。今の学校の先生は、その辺のことは当にご存じなんですね。
〉 あの昔ながらの漢詩の読み下しは、もう存在しないものになっている
〉 わけです。
秋男さんの投稿の本はちょっと極端です。(なんでか、すぐ消しちゃったようですが)。現在の学校教育の現場はともかく、読み下し文はまだまだ健在です。漢詩の本では必ずついてます。そもそも中国語と日本語では構造が違うので、それを日本語にあわせて順番をひっくり返して返り点をつけて読むというのは、それはそれですごい発明なんですよ。
漢詩は中国語の音韻に基づいて作られているので、中国語で読まないと音の響きは全くわかりません。日本語の音読みでは韻はわかりますが、上がり下がりの調子がないのでダメです。ですから原語で味わうのが本来の姿には違いありません。でも中国語を習わないと意味がわからないじゃないですか。中国語を習わなくても日本語として読める、というのが読み下し文のいいところです。
で、その「いじょうのちょうう、けいじんをうるおし」って今の学校ではどう読んでるんでしょうか?
「英語以外」の広場で紹介した「唐詩三十首」というCDつきの本があるんですが、それは中国人の編集なので読み下し文はなしでした。原文と日本語訳だけ。それを見ると、読み下しはなくてもいいんだ、とけっこう目からウロコでした。
ただ、読み下しを否定すると問題は「定訳」がないこと。読み下しに頼って、日本語としてそのまま読める翻訳が行われてこなかったことです。漢詩の本についている訳はどうしても読み下しの補助としてしかおこなわれていませんでしたから。また漢字を順番どおり読んでもわかりやすい日本語にはなりませんよね。原文抜きで、日本語訳のみの漢詩集が出て、誰もが意味がすっとわかる詩として広まるようになったらいいなーと思っております。井伏鱒二が「超訳」をやったりはしてますが。
英語の詩も韻をふんでいますが、日本語訳にするとそれがなくなってしまいます。外国語の詩を味わうには音と内容とどちらを優先するか、ですね。日本語の詩として味わえる訳ができる人がいればいいんですけど。ヴェルレーヌを訳した上田敏みたいに広く行き渡るような。
こんなところにだけ反応してたっぷり語ってしまってスミマセン。
▲返答元
▼返答