[掲示板: 〈過去ログ〉親子で多読を楽しむ -- 最新メッセージID: 4028 // 時刻: 2024/11/24(17:49)]
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: キャロル http://carrollcafe.hp.infoseek.co.jp/
投稿日: 2004/3/22(15:21)
------------------------------
おむすびさん、みなさんこんにちは。キャロルと申します。
皆さんのお話をお聞きしながら、うちの場合について考えてみました。
うちには2歳3ヶ月の息子がおります。
そもそも私が英語をもっと出来るようになりたいと思ったのは20代半ば。
学生時代は高校最初の5文型でつまづき、それ以来ずっと苦手でした。
20代半ば頃のある時、自分のことをふと振り返る機会がありました。
それまでの自分はあまりにも人目を気にして「よい子」に生きていて、自分の意思をはっきり持たず、
大きな失敗もないかわりに大きな充実感もないという人生を送ってきた、これはまずいんじゃないか?
もっと自分の人生を自分で考えて進んで味わいつくさねば!とちょっとしたきっかけから強く思うようになりました。
そこで、自分の人生を広げるためのテーマを「人に会う」「本を読む」「外に出かける」の3つにしました。
それまでは本もあまり読まなかったですし、出かけたり友達に会ったりするのさえ億劫に思うこともありました。
でも、これじゃ将来人生を振り返った時なんにも残ってないじゃないか、と不安になっちゃったんですね。
「英語」というのも自分を広げるためのツールとしてその頃からいろんなものに手を出し始めたわけです。
英会話学校に通ったり、ラジオを聞いたり、まあほとんど早々に挫折しましたが。(苦笑)
勢いでイギリスにホームステイとかも行っちゃいましたが、コミュニケーションがなかなかとれず結構辛い思いをしました。
根っからの引っ込み思案もありましたし、上手に話せないことから気後れもしてしまい、
とっても大人しい人として過ごしてしまったわけです。
あれはもったいなかったと今でも後悔しています。
「英語がペラペラになったらかっこいいな」という憧れの裏返しとして
「ちゃんとした英語でないとかっこわるい」と
思ってしまっていたようです。
でも、実際のコミュニケーションで大事なのは話したいという気持ちだったり、伝えたいことがあるかどうか、
相手から吸収したいという思いがあるかどうか、あまり語学力がなくてもいろんなことに飛び込んでいく度胸が
あるかどうかだったりするんだと後になってからしみじみと思いました。
そんな自分の経験から息子にはネイティブの発音は望んでいません。
「英語」を道具とした時、良いものを持たせてあげるより、道具の使い手としての息子自身が
それを上手く扱おうと思える「意欲」を育ててあげたい。(←それが難しい・・・?)
でも、英語との初めての出会いで、その意欲をそがれるような出会い方は
して欲しくないなあとは思っています。
来年幼稚園に入園予定で、課外活動に英語教室があるかもしれないのですが、
その前にまずは私の膝に乗せてORTとか、時々一緒に聴いて歌うマザーグースといったような、
日本語の絵本や歌との出会いと同じような形で触れさせておきたいと思っています。
今は息子の希望でもっぱら日本語のもの中心ですが、
無理に読んでも喜んでもらえなくちゃ意味ないですし、こっちも楽しくないので
英語とは程ほどのお付き合いしか出来ていません。でも、手の届くところには
置いておいたり、時々歌やビデオを流したりはしています。
(オズワルドのビデオ買っちゃいましたー。まことさん、のんたさんありがとうございました。)
世界中には日本語じゃない言葉があるんだよー。ってことを伝えたり、
それがわかるようになったら面白いことがいっぱい増えるねー。ってことが伝わるといいなと思っています。
今はそのくらいの雰囲気で行こうかと。
子どもの年齢が上がってくればまた少し変わってくるでしょうし、つねに模索中ではあるんですが・・・。
私としてはみんながそれぞれのやりかたで、それぞれの親子が楽しくいられたら良いのではないかと気楽に思っています。
うちの場合はこんな感じ、というのをまとめてみようと思ったんですが
作文が上手くないので思うままにつらつらと、という風になってしまいました。
長くなってしまってごめんなさい。では。
▲返答元
▼返答