Re: 多読の力を再確認した出来事

[掲示板: 〈過去ログ〉親子で多読を楽しむ -- 最新メッセージID: 4028 // 時刻: 2024/11/25(15:40)]

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1202. Re: 多読の力を再確認した出来事

お名前: プリン
投稿日: 2004/1/20(11:31)

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emmieさん、皆さん、こんにちは。
プリンです。

直接は関係ないかもしれませんが、
ちょっと以前から思っていたことがあるので書かせていただきます。

これは、自分自身がそうなのですが。
今、巷ではたくさんのカタカナ英語が氾濫していますよね。
そこで、そのカタカナ英語の(ある1つの)イメージが
頭の中にこびりついてしまっていて
困ったことが多々あります。

例えば、
departmentという単語がありますよね。
そうすると、私の頭の中では「百貨店」のイメージが先に出てくるんですよね。
本当は、組織が分かれてできている部門とか、課とかそんな部署みたいな
ところを言うのですよね。
これは、仕事をしているときに省庁関係の言葉で出てきて「そうなんだ!」って
この歳になって、驚いたことなのですね。
まあ、私ぐらになるともう頭が子供と違って固まってしまっていますから、
なかなか、そのイメージが崩せない。

今、世の中にはたくさんのカタカナ英語が氾濫していて、
パソコン用語でもたくさん使われていますよね。
dragとかclickとか。
それから、例えば、建築に使われている材料など、
そういう工業製品にしてもたくさんそのまま使われています。
お恥ずかしいことに、多読をはじめるまでは
あまりそれらに気づいていなかったのですが、
最近、すごく気になっています。

そんな言葉が本の中に出てくると
そのイメージが邪魔するということが多々ありました。
今、それを多読によってぶち壊しているところ
と言っていいでしょうか。
多くの発見があって、飽きません。

ですから、小さいときからそういう日本語になってしまった
カタカナ英語に、その言葉の持つ本当の意味を知らずに触れつづけていると、
1つのイメージだけが定着してしまい、
それを打破するのはなかなかたいへんなのでは?
と思ったんですね。

ですから、emmieさんの娘さんのように、
小さいうちから、英語の本に親しむことによって、
日本語に置き帰ることのできない、英語という言語そのものに
触れていくことは大事ではないかと思いました。

〉kind っていう言葉に、一単語では表わせきれないものがあることを
〉自然と理解しているわけで、多読の力おそるべしです。


 ここの部分に気づくことができるということが
大切なことなのかなと思いました。

〉日本の教育を受ける以上、英単語と日本の意味を一対一で結びつけちゃうってことからは、逃れようがありませんけど、多読を続けることによって、
〉本来使われている言葉のイメージを掴んでいくことが大切なんだと、再確認した次第です。

同感です。

多読も英語もはじめてから
(こんなに英語に触れるのは学生時代以来です)
日も浅いし、特にあまり深く考えないで本を読んでいるだけなので、
あまり、多くを語ることはできないのですが、
感じたことを書かせていただきました。


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▼返答


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