[掲示板: めざせ100万語! -- 最新メッセージID: 25677 // 時刻: 2024/11/25(02:27)]
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お名前: ako
投稿日: 2005/6/12(14:25)
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杏樹さん、すらまっだった〜ん(だっけ?)
〉〉〉一体何万語になってるのかな〜。ナゾの人、akoさん。果たして100万語まであと何年?
〉でも、なんだかペースが上がってるみたいなんですね。そのうち加速装置がついて、ちょっとよそ見してる間に100万語報告が入ってないか、ハラハラしてます。
実は、このところ、WEBばかり読んでまして、カウントが…汗。
しかしこんだけSSS多読やってて100万語報告を書かないではいられないし…
英語学習とは思いっ切り関係ないことで葛藤できる自分がウレシイ…
(解説:むかし、英語ができない、何やっても上達感がないってことにばかりに気持ちがとらわれていたことを思うと、彼我の違いに感無量…という意味(笑))
〉〉来た〜〜〜〜!!
〉〉杏樹さん解説コーナー、好きなんです。
〉いやまあ、akoさんだと思うからこそシツコク解説してしまいますので…。でもできるだけ簡潔に、と思って書きましたが、akoさんから聞かれるとさらに細かくお返事レスをしてしまいます。
ね、ね、みなさーん(^^)、杏樹さんて冷静な薀蓄文体をかく人だけど、
実はカワイイ人でしょ〜〜?
知らないことは、知りませんって言ってくれるので、安心してどんどん質問だしちゃいましょ〜〜ね〜〜
〉beefが出たついでに。
〉これらの動物たち、肉になるとこれまた呼び方が変わるんですね。beef、pork、mutton。
コッチは同じ一つのものと思っているものに、
アッチの人たちにはいろいろ語彙があるってこと、
ここ数日考えてますが、
きっとそれが英語の人にとっての、分類するだけの重要な何かがあるんでしょうね。
〉もひとつついでに、ヨーロッパでは乳製品に関する言葉も細かいです。もともと日本にはバターもチーズもなくて、英語をそのまま使ってるぐらい。でも英語ではバターやチーズを作るのに牛乳が分離して上澄みと底に沈んだものを表すためにcurdとwheyという言葉があります。そういうものを作らない日本には生まれようがない言葉。
ひゃ〜 知らないことばかり。杏樹さんの脳味噌、akoにそのまま移植させて(爆)
〉飛鳥時代に大陸から「醍醐」というものが入ってきたようですが、定着しなかったようで。(言葉だけ残ってるというのも面白い)
醍醐味…ですよね。
こういった日本語の探索を始めたら、もう、面白くて何年生きてても足りないですねー
〉「月にウサギ」は中国の伝説ですから、欧米にはないと思います。その代わりマザーグースでは月から落ちてきた男などがいます。
おお、マザーグースで!? その作品はまだ知らなかった! 要確認>自分。
〉〉〉中国語でもこの二つは全く別の言葉です。中国ではclockを人に贈ってはいけません。watchは大丈夫。
〉〉おおーー、あとでそのへん詳しく教えて。
〉省いたのにやっぱり聞かれてしまった。
ふふふ。とらえた機会は逃がしません。
〉中国語ではclockは「鐘」といいます。腕時計は「表」「手表」といいます。
〉で、「送鐘」は「送終」と発音が同じなんです。「送終」は最期の別れ、つまりお葬式のお見送り。だから縁起が悪いんです。
な〜〜〜〜る!
まず、中国語にも、日本語の「時計」にあたる総称がないってことになりますか?
それは面白いですね。
英語も、どうやら「時計」という英語はないらしいのですが、
総称する言葉がないという点で、英語と中国語が一致してるってのが実に面白いです。
英語にないってことは、欧州言語一般の有無も気になるところですね。英語以外方面での多読で、よろしく〜。ユーラシア大陸全体の言語比較の話の糸口になりそう〜〜
ところで中国語も、同音異義語に意味付けをするんですね!
これも面白い! ヒトってやっぱ同じこと考えるんだなーと思って。
〉watchは懐中時計も腕時計も両方指します。懐中時計の方が先に発明されました。おそらく日本に文明開化の時代に西洋から懐中時計がまず入ってきて、「懐中時計」という訳語を考え出し、その後腕時計ができたときに「懐中」というわけには行かないので新しい言葉として「腕時計」という言葉を考えたのかもしれません。
懐中時計のことは気づきませんでした〜
てりまかし〜
〉〉おお、もし言葉の存在に理由があるなら、英語の人はどうして、
〉〉legとfootを分けて呼ぶのだろおおお。きっとここには何かある…
〉実は中国語もなんです。legは「腿」footは「脚」です。
むむ! またまた中国語と英語に共通点が?!
ど〜〜〜してなんだぁ〜〜〜〜〜?”?”???”?”←コーフンのあまりデタラメにキーを打ってしまった
〉〉〉それから、世界にはあいさつすら対応しない言葉があります。
〉jalanは「歩く」とか「道」とかいう意味なので、去っていく人に言う言葉です。残る人には「slamat tinggal」といいます。tinggalは「残る」という意味です。ですから取り違えるとすごいトンチンカンなことになります。
クレヨンしんちゃんが、「ただいま〜」を言うべき場面で、
「おかえり〜」って言うようなモンですね。
しめた! これはユーモアになりえる!
インドネシア行って、ワザと使い間違えしてウケを狙う…という手も(^m^)←まさか本気でやってみよう等とは思ってません…
〉〉いやぁ〜、文化が違うってほんとに面白いですねえ。
〉でしょー?言葉の世界に迷い込むと、おもしろくて抜けられません。
そうですよねー、掲示板の投稿往復もいつまでも〆(シメ)られなくて、管理人さんにご迷惑かかるばかり(爆) この投稿にはご返答なしでいいですので〜(笑)
〉学校だけでなく、誰かに呼ばれたときに返事する言葉が「here」ですから。
Here〜 ひゃぁ〜 (一応、突発的日英混交オヤジギャグ…さむ)
〉「ご飯食べた?」「食べました」
〉「あの映画見た?」「見ました」
〉yes,noを使わなくても会話できるでしょう?中国語の場合、「食べる」とか「見る」とか、単語が漢字一文字の単音節なので、yes,no、「はい「いいえ」なみの短さで終わるから、それが「はい」「いいえ」と同じになるんです。
おお゛〜 実に、正確な会話ですな。
日本人同士の日本語会話でさえ、「はい・いいえ」だけの返答では、
どっちなのかが伝わらない事がありますが、これなら正確。
〉「対不対?(いいですか?)」→「対」(はい)「不対」(いいえ)
〉「是不是?(そうでしょう?)」→「是」(はい)「不是」(いいえ)
〉「去不去(行きますか?」→「去」(はい)「不去」(いいえ)
〉とかね。
中国語はしらない立場(※)からの印象ですが…
「不」って、どうやら、相当、便利な言葉みたいですねー。
※Thank you, Hello, Sorryの3つだけは一応しってる程度。
〉従来型では頭で覚える、つまり意識の表面で覚えることが「勉強」でした。でも表面の暗記よりも「深いところ」で覚えたことのほうがずっと身につきます。でもそういうことはなかなか理解しにくいので、なぜ多読は効果があるかという質問に対してなかなか納得してもらえないところです。でも多読すればわかるんですよ。自分の中に英語の蓄積が無意識にたまっていくことが。そしてたまっていけば、「知らないうち」に表面に出てきます。
まさにそれ!
よく多くのヒトが「学校時代に勉強した事は全部わすれちゃった」と言いますが、
原因はこれですね。脳の表面だけで覚えた事なんて、数年も経過したら(…というか、大学に合格した瞬間に(笑)忘れてしまいましたーーーー
そういう経過をたどること自体が、そもそも問題ですね。
日本の中学高校というのは、大学受験のために左右されてしまってて、
(教師の知人がいますので)ほんとにお気の毒なくらいです。
〉〉〉それでは…。
〉〉 ↑ 出た! いつもの「それでは…。」 杏樹氏は渋く去っていった。去り行く後姿を見送って、あんにょんひがせよ〜(見送る側専門のサヨナラ(笑)
〉すらまっ てぃんがる…
〉と、言わなければならないような気が…。(韓国語は知らないので…)
てりまかし〜 さまさま〜(←こういうことは英語以外の広場でやって下さい…ですな…)
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akoさん、こんにちは。
涼音さんの所から自分のレスに戻ってきました。
さて、中国語のレッスンで判明したことがあるので遅ればせながら報告です。
中国語ではウサギ一般を「兎子」と言いますが、むしろ「家兎」「野兎」ということが多いそうです。「家兎」は飼ってるウサギ。「野兎」は野生の飼われていないウサギ。これが英語のrabbitとhareに対応するものかどうかはわかりませんが、「飼われている」「飼われていない」で動物を区別する考え方があるんですね。
中国もヨーロッパも牧畜が盛んで肉食をしますので、そういった区別が頭の中にできているのかもしれません。
そういえば、大学の文化人類学の講義で、アフリカの狩猟民族のフィールドワークをした先生がスライドつきで説明してくれましたが、向うに住んでいるうちに動物を見ると「=肉」という感覚になってきたそうです。狩りで仕留めた動物を見ると即「食べ物」だと思うようになるそうです。
ですから牧畜をしていて肉食をする民族も家畜に対して単に「動物」というだけではなく肉とか乳製品とか皮とか具体的に生活に役に立つものを結びつける感覚があるのかもしれません。そういったところから、飼っている動物、飼っていない野生の動物、を区別する感覚も生まれてくるのかもしれません。
最後にここだけお返事を…。
〉ところで中国語も、同音異義語に意味付けをするんですね!
〉これも面白い! ヒトってやっぱ同じこと考えるんだなーと思って。
中国人はとっても縁起を担ぎます。ですから同音異義語で縁起を担ぐことがたくさんあります。例えば魚の絵は縁起がよくて喜ばれます。「魚」と「余」が同じ発音なので、「有り余るほど豊か」ということを表すからです。
また、中華料理店などで「福」の字がさかさまになっているのを見たことはありませんか?これは「福」をひっくり返す=「倒福」→「到福」=福に到る、という意味です。
また、こうもりの絵も縁起がいいです。なんでこうもりが…と思うでしょうが、こうもりは漢字で書くと「蝙蝠」…つまり「福」の字に似ているからです。
それでは〜。