[掲示板: めざせ100万語! -- 最新メッセージID: 25677 // 時刻: 2024/11/23(14:12)]
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お名前: はらぺこあおむし
投稿日: 2003/2/14(16:27)
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ミヤビさん、こんちは〜。
はらぺこあおむしです〜。
〉〉手元にあってこその本。
〉〉むらむらっときたときにそこにあるというのが大事なんだよなぁ〜。(単にわがまま?)
〉私もそう思います。もちろん。
〉買えばなぜか安心、とか読めない本も欲しくなるとか、そんなことは無視です。
〉おそらくレベルが10以上の本をカゴに入れたのも、必要にせまられたからです。
〉何かの。
わかります。何の必要性かわからないけどクリックしてしまった、
「いつよめるんだ?」という本が「カゴ」にも「ウィッシュリスト」にたまるだけ
たまっています。底なし沼のようです。(^^)
〉〉子供バイブルって、365日、毎日1話みたいなやつかな。
〉まさにそんなの読んでます。
〉365 Read-Aloud Bedtime Bible Stories
おーミヤビさんでしたかーー。
〉全部で367ページです。これは対象: 4-8歳児なんですけど、
〉最初の10数ページ読んだところでは、確かに英語はとても簡単。
〉英語が簡単ということは、話の略され率も上がっているだろうな
〉と思って他のも探していますけど、手頃なのがなくて。(1000円までがベスト…)
367ページ!!おー1日1ページですね。
いわゆる聖書は邦訳読んで最初の、なんだかの子はなんだか、のところで
挫折しました。(^^;;
子供のもあれってあるのかしら・・
〉今まで邦訳でも聖書関連の本を読んだことなかったので、
〉登場人物の名前が全く難解です。
〉一つのストーリーなワケでもないので、今まで出て来てない人物がいきなり出てきて
〉把握に困ります。。
いやぁわかるなぁ〜。
〉聖書関連の本はサーチしても膨大で、逆に困ります。
ほんとに。bibleなんて単語で引っかけると
全く関係ない本までぞろぞろでてきますしね。
〉小説聖書みたいなのが子供用であればいいのですが。
ウォルターワンゲリンのThe Book of Godですよね。
これは聖書で出てくる順番と話を入れ替えたりして
かなり大胆にリメイク(っていうんですかね?)
しているらしいですね。
情報ありがとぅございます〜!
Happy Reading!!
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お名前: sumisumi http://bookshelf.hacca.jp/
投稿日: 2003/2/14(20:40)
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ミヤビさん、はらぺこあおむしさん、こんばんは
〉〉〉手元にあってこその本。
〉〉必要にせまられたからです。
〉〉何かの。
名言。
〉いわゆる聖書は邦訳読んで最初の、なんだかの子はなんだか、のところで
〉挫折しました。(^^;;
〉子供のもあれってあるのかしら・・
普通は子供用にはついていないと思います。少なくとも我が家のにはないみたい。
実は私も旧約聖書、おんなじところで挫折しています。
しかも、教会学校の年配の先生が、「やっぱり、旧仮名遣いが最高」
と言うのに影響されてわざわざ旧仮名遣いを買ってしまったので、
めちゃ読みにくかったです。苦行でした。
「え〜〜〜、一体いつまでこれが続くの」と、閉じて、
それ以来、二度と開きませんでした。
まだ若かったので、つまらないところを飛ばすことができなかったのです。
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お名前: 秋男
投稿日: 2003/2/15(00:55)
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ミヤビさん、はらぺこあおむしさん、sumisumiさん、こんばんは。秋男です。
〉〉いわゆる聖書は邦訳読んで最初の、なんだかの子はなんだか、のところで
〉〉挫折しました。(^^;;
〉〉子供のもあれってあるのかしら・・
〉普通は子供用にはついていないと思います。少なくとも我が家のにはないみたい。
〉実は私も旧約聖書、おんなじところで挫折しています。
新約聖書ですね。わたしもこの冒頭、うんざりするな〜と思ってました。
ところがよく見ると変なんです、この部分。
「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。」はまあいいとして、
「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、・・・」に始まり、どんどん
世代が下がっていきます。
そして最後、「・・・マタンはヤコブの父、ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。」
となります。
つまりここにえんえんと並んでいるのは、マリヤの夫であるヨセフの方の御先祖だっ
たんですね。
マリヤは処女懐胎してイエスを生んだので、ヨセフとイエスの間に血縁はない。
したがって新約聖書冒頭には、イエスとは血のつながりのない、関係のない人々の
名前がズラーッと並んでいるというわけなんです。ちょっとけったいでしょ。
わたしは呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫)を読んで、このことを知りました。
聖書もよく読んでみると、いろいろと面白いらしいですね。
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お名前: sumisumi http://bookshelf.hacca.jp/
投稿日: 2003/2/15(01:30)
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〉つまりここにえんえんと並んでいるのは、マリヤの夫であるヨセフの方の御先祖だっ
〉たんですね。
すごい。
私のアルツハイマーも。なにせ聖書はすでに処分してしまいましたから…
旧新約というのだったから、てっきり旧約のはじめで挫折したものとばかり
思っていました…過去のことは美しく思えてしまうということで
ごかんべんを!
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お名前: 秋男
投稿日: 2003/2/15(02:11)
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〉〉つまりここにえんえんと並んでいるのは、マリヤの夫であるヨセフの方の御先祖だっ
〉〉たんですね。
〉すごい。
〉私のアルツハイマーも。なにせ聖書はすでに処分してしまいましたから…
〉旧新約というのだったから、てっきり旧約のはじめで挫折したものとばかり
〉思っていました…過去のことは美しく思えてしまうということで
〉ごかんべんを!
八神純子(字、合ってますか?)を思い出したもので。
いい歌が多かったなぁ。いまだに涙出そうになります。
また話をそらしてますね。。。
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10973. Re: 思い出は〜、美しすぎて〜♪(チャチャいれです)
お名前: 間者猫 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/6250/
投稿日: 2003/2/15(15:21)
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〉八神純子(字、合ってますか?)を思い出したもので。
〉いい歌が多かったなぁ。いまだに涙出そうになります。
八神純子さんと言えば”ポーラースター”を思い出します。懐かしいです。
ところで、八神純子さん、一文字間違うとえらいことになってしまいます。
ここで、にやりとされた方、私宛までメール下さい。
あと谷山浩子さんも好きだったな。
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お名前: ペギー双葉山
投稿日: 2003/2/15(17:29)
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こんど出張があったらホテルの聖書を読みたいです。
(一応読書の話をしておいて)
〉八神純子さんと言えば”ポーラースター”を思い出します。懐かしいです。
間者猫さん、八神純子ファンですか!
もう今日は黙ってようと思ったけど、これは見過ごせません。
私、ベストヒット集CD持ってますよ。
〉ところで、八神純子さん、一文字間違うとえらいことになってしまいます。
〉ここで、にやりとされた方、私宛までメール下さい。
知りませんがだいたい想像がつきます。
〉あと谷山浩子さんも好きだったな。
あまり聴いたことがないですが、
部屋を暗くして、聴くと凍みそうですね。
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11003. つばさひろげてー、フーフーフー♪(テイカチャンステイカチャンス)
お名前: 秋男
投稿日: 2003/2/15(23:46)
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副題:われわれは「小ネタ三兄弟」か?
〉こんど出張があったらホテルの聖書を読みたいです。
あ〜、ぜひ読んでみてください。(な〜んて)
〉〉八神純子さんと言えば”ポーラースター”を思い出します。懐かしいです。
〉 間者猫さん、八神純子ファンですか!
〉 もう今日は黙ってようと思ったけど、これは見過ごせません。
〉 私、ベストヒット集CD持ってますよ。
ゲっ、すごい!! わたしも欲しい!! 今でも売ってますかねえ?
「ザ・ベストテン」でよく見てたな〜。「水色の雨」でピーーーーピーーーーッて
笛吹いたはりましたね。
小柄で、独特の色気がありましたよね。こどもながらワクワクしつつ見てたのを憶え
ています。そういえば久保田早紀にもドキドキしてたなあ。
〉〉ところで、八神純子さん、一文字間違うとえらいことになってしまいます。
〉〉ここで、にやりとされた方、私宛までメール下さい。
〉 知りませんがだいたい想像がつきます。
わたしも知りませんがかなり想像がつきます。
黒木瞳なんかも いじられやすい名前ですよね。
〉〉あと谷山浩子さんも好きだったな。
〉 あまり聴いたことがないですが、
〉 部屋を暗くして、聴くと凍みそうですね。
わたし、この人しりません。八神純子と同じぐらい有名な人ですか?
暗い歌、いいですね。前にカラオケで「暗い歌特集」をやりました。
森田童子の「ぼくたちの失敗」とか、もっと古いところでは「黒い花びら」とか、
暗い歌しか歌ってはいけないのです。
「テレサテン特集」もやったなあ。なつかしい。
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お名前: はらぺこあおむし
投稿日: 2003/2/15(21:51)
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はらぺこあおむし@ハリポタ3巻目、です。
こんにちは、秋男さん。
〉〉〉いわゆる聖書は邦訳読んで最初の、なんだかの子はなんだか、のところで
〉「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。」はまあいいとして、
〉「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、・・・」に始まり、どんどん
〉世代が下がっていきます。
なんだかの父はなんだかの父。ってのが正しかったんですねぇ〜。
〉マリヤは処女懐胎してイエスを生んだので、ヨセフとイエスの間に血縁はない。
〉したがって新約聖書冒頭には、イエスとは血のつながりのない、関係のない人々の
〉名前がズラーッと並んでいるというわけなんです。ちょっとけったいでしょ。
うひゃひゃひゃ。
ほんとだーー。
〉わたしは呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫)を読んで、このことを知りました。
〉聖書もよく読んでみると、いろいろと面白いらしいですね。
なんつっても、「本の中の本」the book of booksとかいうらしいじゃないですか。>聖書
雑誌を読むにせよ、本を読むにせよ、映画を見るにせよ、欧州を旅行するにせよ、
彼らの精神世界の原典を知っておいて損はないかな、なんて。
仏教の世界もかじると深いですし、世界情勢を見るに、コーランもかじってみたいし。(野望だけはでかい)
そいや、「イエスの遺伝子(マイクル・コーディ著)」って、
たしかディズニーが映画化の権利を獲得した、って書いてあった気がしますが(何年前だ?)、
映画化されていないですよねぇ・・・
「最後の誘惑」と同じ類の物議でも醸したんでしょうか?
Happy Reading!!
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お名前: 杏樹
投稿日: 2003/2/16(01:41)
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こんにちは。
旧約聖書にも系図みたいな記述はあります。誰が何歳まで生きて、(それも何百歳単位。すごい長生き)その息子は何歳まで生きて…っていう記述。
でも旧約聖書の始まりは天地創造なので退屈ではないと思います。
でも聖書をそのまま読むのは大変なので、読みやすい「聖書物語」を探した方がいいでしょう。
ホテルの聖書は日英対訳なので英語を読んでみるのもおもしろいのでは。
黒木瞳は福岡県八女郡黒木町出身。福岡県出身の五木寛之が出身地にちなんで芸名をつけました。
聖書もコーランも持ってる杏樹でした。
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お名前: sumisumi http://bookshelf.hacca.jp/
投稿日: 2003/2/16(10:06)
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〉こんにちは。
〉旧約聖書にも系図みたいな記述はあります。誰が何歳まで生きて、(それも何百歳単位。すごい長生き)その息子は何歳まで生きて…っていう記述。
杏樹さん、よかった。そこだ。何百歳。
よかった。新約と間違えていたんじゃなくて…
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お名前: 秋男
投稿日: 2003/2/16(10:32)
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〉〉こんにちは。
〉〉旧約聖書にも系図みたいな記述はあります。誰が何歳まで生きて、(それも何百歳単位。すごい長生き)その息子は何歳まで生きて…っていう記述。
〉杏樹さん、よかった。そこだ。何百歳。
〉よかった。新約と間違えていたんじゃなくて…
あ、旧約にもそんなのがあるんですね。(ほんまに物知らずなのです。。。)
てっきり、「あ〜、sumisumiさんたら間違えてはるわ。。。まあ人間、魔がさす
こともあるから」とか思ってたのですが、sumisumiさんの魔がさすどころか、
自分の間が抜けていました。ハハ。。(力無く)
それにしましても、いや〜、いろんな分野に得意な人がおられますね。きっと、
それがこの掲示板の面白さなのでしょうね〜。
などとごまかして失礼いたします。。。
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11067. Re: sumisumiさん、すみません。。。
お名前: sumisumi http://bookshelf.hacca.jp/
投稿日: 2003/2/16(17:30)
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Don't worry!
…ところで、Frog and Toardの聞きすぎで、かなり
シリアスなシーンでも、このセリフが出ると、声が
Frogになってしまう。困った。
それよりも面白い話が聞けてよかったです(^^)
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お名前: ミヤビ
投稿日: 2003/2/17(00:17)
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しめかかっていると思われるレスなのに
またまた横はいりです(^_^;)ミヤビです。
皆さん詳しい!と感嘆して眺めていました。が、
聞かぬは一生の恥なので勇気を出して質問です;;;
新訳聖書と旧約聖書って、結局なにが違うのですか?
恥ずかしいっ。
素人というより、英語に触れていなければ聖書を一生読まなかった人です。
聖書がどうして二種類…。
ちなみに私の持っている子供バイブル、旧約みたいです。
何百歳とかいう記述もなかったですけど、天地創造してました。
〉Don't worry!
〉…ところで、Frog and Toardの聞きすぎで、かなり
〉シリアスなシーンでも、このセリフが出ると、声が
〉Frogになってしまう。困った。
想像するとおかしいですね〜!
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お名前: sumisumi http://bookshelf.hacca.jp/
投稿日: 2003/2/17(12:26)
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ミヤビさん、こんにちは
〉新訳聖書と旧約聖書って、結局なにが違うのですか?
詳しくは、色々と教義内容的にも違いがあり、私などにはわかりませんが、
信者でないものとしてのおおまかな認識としては、
旧約はキリスト前、新約はキリスト後です。
映画「十戒」なんかは旧約聖書で、
受胎告知、生誕、ユダのうらぎり、復活などは新約です。
〉ちなみに私の持っている子供バイブル、旧約みたいです。
〉何百歳とかいう記述もなかったですけど、天地創造してました。
ご安心を!大抵、子供用には両方から、有名な部分を抜粋して
載せているはずです。親切な本はページのはしっこか巻末に、
聖書のどの部分からかが書いてあることがありますから、もしついていれば、
それで調べれば、読みたいところだけ原典読むこともできるかと思います。
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11119. Re: 新約と旧約の違い。詳しい人は補足してね
お名前: コンロイ
投稿日: 2003/2/17(13:06)
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ども、sumisumiさん、ミヤビさん、コンロイです。 詳しくはないので、ちょっとだけ... 〉〉新訳聖書と旧約聖書って、結局なにが違うのですか? 〉詳しくは、色々と教義内容的にも違いがあり、私などにはわかりませんが、 〉信者でないものとしてのおおまかな認識としては、 〉旧約はキリスト前、新約はキリスト後です。 〉映画「十戒」なんかは旧約聖書で、 〉受胎告知、生誕、ユダのうらぎり、復活などは新約です。 これで大体あってます。 キリスト前後ってことからわかるように、旧約はユダヤ教の聖典、 新約はキリスト教の聖典です。 旧約は、ユダヤ教の中で守り育てられた伝承からなります。 新約は、キリストの弟子(使徒)が後日記憶を頼りにキリストの 言行録を編纂したものをベースに、色々くっついたものです。 よく耳にするアルマゲドンっていうのは、この新約付属のヨハネの 黙示録を典拠にしたものです。映画「オーメン」で有名になった 獣の数字(666)もこの黙示録に書かれています。 思想的にややこしい上、諸説紛々なので、キリストとユダヤ教の 関係は置いておきますが、キリスト教成立の背景にユダヤ教がある ので、キリスト教でも旧約を聖典として扱っているようです。 ちなみに、キリストが十字架に掛かった意義が人類の贖罪である という解釈は、何世紀だったかの教会会議で正式に決められた もので、それ迄は、神の子キリストが処刑された事実をどう咀嚼 すべきなのか色々悩みや議論や闘争があったようです。 以上、ご参考まで。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2003/2/18(00:37)
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まず
「旧約」とは「古い契約」
「新約」とは「新しい契約」
の意味です。神と人間との間に結ばれる契約です。
旧約聖書はユダヤ教の経典で、いつか救い主が現れてユダヤ人の王となる、という伝承を伝えています。それが「古い契約」です。
そしてキリストがその「救い主」です。
「救い主が現れる」という契約が成就したので「古い契約」になったのです。
そしてキリストによって新しい教えが説かれ、「キリスト教」として独立しました。ですからキリストの教えを書いたものが「古い契約」に対して「新しい契約」と言われ新約聖書になりました。
ユダヤ教徒はキリストを救い主と認めず、旧約の教えを守ってずっと「救い主」の出現を待っています。ですからユダヤ教徒にとっては「旧約」はまだ「古い契約」ではないので、「旧約聖書」という言い方はしません。もちろん新約聖書は使いません。
旧約聖書は「創世記」に始まって「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の最初の5つが「モーセ五書」と言われます。天地創造から始まってユダヤ人がエジプトへ行き、モーセの指導によってエジプトから脱出し十戒を授けられた歴史、特にモーセの生涯について詳しく書かれています。
それに続く書ではユダヤ人の歴史が述べられたり、信仰の篤い人の事跡が述べられたりします。有名な人ではダビデ王やソロモン王がいます。そしてイザヤやエレミアなど多くの預言者(未来を予言するのではなく、神の言葉を預かる者の意味)の言葉を記したものや詩を集めた詩篇などがあり、さまざまな書が集まって「旧約聖書」という一つの書物を作っています。原典はヘブライ語で書かれています。
新約聖書はキリストの伝記を記したもの、使徒の事跡、信者が残した書簡類が主です。伝記はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人がそれぞれバラバラに書いたものが順番に並んでいます。書かれた順番とは異なります。例の系図はマタイの冒頭です。系図は飛ばして差し支えありませんので、飛ばしてキリスト誕生の次第へ飛んでください。
書簡類ではパウロの書いたものが最もたくさんあります。最後に「黙示録」が来ます。この世の終末について書いてありますが、読んでもよくわかりません。原典はギリシア語で書かれています。
キリスト教徒は新旧両方とも経典として尊重していますが、旧約よりも新約を信仰の基準にしています。
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お名前: jun
投稿日: 2003/2/18(10:16)
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違っているかもしれませんが、旧約聖書はイスラム教の聖典でもあると思います。
イスラム教:旧約聖書+コーラン
ユダヤ教:旧約聖書+タルムード
キリスト教:旧約聖書+新約聖書
と理解しているのですが・・・。
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イスラム教ではユダヤ教もキリスト教もイスラムのルーツだと解釈しています。
旧約聖書の時代のモーセやイザヤなどを神の言葉を伝えた預言者として認めています。またキリストもイスラム教では預言者の一人としています。(キリスト教ではキリストは神の子であり救い主)。
ムハンマド(マホメット)は大天使ガブリエルから神の言葉を授かりました。ムハンマドは最後の預言者です。
旧約聖書も読むかもしれませんが、あくまでも最後の預言者であるムハンマドの言葉(正確にはムハンマドが神から授かった言葉)を書き記したコーランが基本でありコーランに絶対的信頼を寄せています。
コーランは長らくアラビア語以外の言葉に訳す事が許されていませんでした。アラビア語で読んでこそ本当の意味が伝わるからです。多読をしている人なら英語と日本語では表現の違いがあることがわかりますよね。またアラビア語のコーランは声に出して朗誦しても美しい言葉です。イスラム教徒ならたとえ自国語のコーランがあってもアラビア語を勉強することが多いです。
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11206. sumisumiさん、コンロイさん、杏樹さん、 junさん、ありがとうございます
お名前: ミヤビ
投稿日: 2003/2/19(00:41)
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まとめてレスで失礼いたします<(_ _)>
皆さん、ありがとうございます!
とても分かりやすくて、子供バイブルを読む気持ちが変化しました(^^)
sumisumiさん、
映画「十戒」、確か家にあったような…。旧約なんですね。見てみようっ。
子供バイブルから Genesis 2:20-3:7 やら Joshua23:1-24:33 など発見しました。
おそらくこれで原典から見つけれるのですね。
sumisumiさんの仰るとおり、新旧両方入っていましたよ〜。
コンロイさん、
ユダヤ教とそんな関係だったなんて。そしてアルマゲドン!
黙示録や666なども耳には馴染んでいましたけど新約付属なんて初めて知りました。
何よりキリストの十字架に掛かった意義が、
後から“これなら神の子の最後として納得いく理由だ”みたいに
決められたものなんて、とても印象的でした。
“キリストって本当に実在したの?”など思ってしまう私ですけど;
杏樹さん、
目から鱗が落ちました!考えるとユダヤ教なので当たり前なのですけど、旧約は
ユダヤ人の話だったんですね。
今読んだところ(かなり最初の方)に出てきたアブラハムも
ユダヤ人なのか、としみじみ。
新旧の概略がとても分かりやすくて、これからの理解の助けになります!
十戒やモーセやダビデ王、ヨハネなどの話もこれから読むのが楽しみです。
junさん、
イスラム教も関係あるんですか!
むむむ。すごいです…
アマゾンで子供(やっぱり子供用;)百科事典を探してみようかと
思ってしまいました。
やはり宗教、奥が深いです。掲示板で質問して良かった〜。
皆さん親切で、難しすぎることなくちょうどの塩梅で答えくださって。
そして皆さんの言葉を読みながら、神妙な気分になりました(単純)(笑)
興味が俄然湧いてきました。
まず子供バイブル367ページをがんばって制覇します!
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11238. Re: sumisumiさん、コンロイさん、杏樹さん、 junさん、ありがとうございます
お名前: jun
投稿日: 2003/2/19(17:32)
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わたくしは宗教と縁遠い人間ですが、
旧約聖書は一神教のルーツなのだと思います。
世界の宗教の中では一神教というのはきわめて例外的なもので、八百万の神とか、アニミズムとかいうほうがずっと普通なんだと思います。
それで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という一神教はすべてその源を旧約聖書というかそこにえがかれたエホバ(ヤーヴェ)にもつということではないでしょうか?
英語(欧米語)には主語が必須であるというのは、一神教と深くかかわっているのではないかと思うのですが、違いますでしょうか?
多神教であるローマのラテン語には主語は必須ではないですよね。
八百万の神の日本語では当然「日本語に主語はいらない」ということになるわけです(そんな題名の本が去年でたような)。
日本人が根本的に英語が苦手なのは、発想が一神教的でないからということがあるのはないかと思っていますが、考え過ぎですかね?
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お名前: 杏樹
投稿日: 2003/2/19(22:52)
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こんにちは。
〉世界の宗教の中では一神教というのはきわめて例外的なもので、八百万の神とか、アニミズムとかいうほうがずっと普通なんだと思います。
そうでもありませんよ。イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒を合わせると、世界の人口のかなりの部分を占めるはずです。
〉英語(欧米語)には主語が必須であるというのは、一神教と深くかかわっているのではないかと思うのですが、違いますでしょうか?
〉多神教であるローマのラテン語には主語は必須ではないですよね。
〉八百万の神の日本語では当然「日本語に主語はいらない」ということになるわけです(そんな題名の本が去年でたような)。
ラテン語も英語もインド・ヨーロッパ語族です。ラテン語に主語がないのは、動詞の活用を見れば主語が特定できるからです。人称によって動詞が変化するので、主語を特定しなくては動詞が使えません。主語は「ない」のではなく「省略されている」のです。スペイン語も同じ理由で主語を省略します。
〉日本人が根本的に英語が苦手なのは、発想が一神教的でないからということがあるのはないかと思っていますが、考え過ぎですかね?
ミもフタもないお答えになりますが、インド・ヨーロッパ語は理路整然とした体系を持つ言葉です。それに比べると日本語はあいまいな部分があります。それは日本語だけの特徴ではなく、アジアの言葉にはそういうものが多いような気がします。中国語やインドネシア語などもあいまいで、理屈よりも感覚で理解するようなところがあります。
ヨーロッパ人にとってもキリスト教はもともと外来宗教です。ケルト神話や北欧神話などキリスト教以前の神話伝説がありますし、そういった神話の神々を信仰してきたヨーロッパ人にキリスト教を広めるために、中世初期のヨーロッパでは土着の信仰や風習を取り入れながら布教が行われました。カトリックの聖人信仰など、私はほとんど多神教に近いと思います。
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お名前: jun http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/
投稿日: 2003/2/20(00:21)
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杏樹さん どうもありがとうございます。
〉〉世界の宗教の中では一神教というのはきわめて例外的なもので、八百万の神とか、アニミズムとかいうほうがずっと普通なんだと思います。
〉そうでもありませんよ。イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒を合わせると、世界の人口のかなりの部分を占めるはずです。
そうですね。でもその3つの宗教はともに旧約聖書的世界観なしには成立しなかったという点で、大きくみれば一つの宗教なんで(乱暴かな(^^))、宗教の数としては一神教的なものは少ない、例外的といえるのではないでしょうか?←滅茶苦茶な議論ですね(^^)。
〉〉英語(欧米語)には主語が必須であるというのは、一神教と深くかかわっているのではないかと思うのですが、違いますでしょうか?
〉〉多神教であるローマのラテン語には主語は必須ではないですよね。
〉〉八百万の神の日本語では当然「日本語に主語はいらない」ということになるわけです(そんな題名の本が去年でたような)。
〉ラテン語も英語もインド・ヨーロッパ語族です。ラテン語に主語がないのは、動詞の活用を見れば主語が特定できるからです。人称によって動詞が変化するので、主語を特定しなくては動詞が使えません。主語は「ない」のではなく「省略されている」のです。スペイン語も同じ理由で主語を省略します。
昔一学期だけやったラテン語で、amo amamus なんたらというのをやったように思います。ただ省略できるというのと、省略できないというのでは決定的な違いがあるということはないでしょうか? ラテン語などではむしろ ego amo (すみません。ラテン語全然知らないので、I love のつもり)などというのは例外的いいかたで、amo というのが普通だとすると、主語をあらわす人称代名詞が言語上必須である言語とはかなり言語意識が違うということはないでしょうか。でもスペイン語では省略されるとするとわたしの言っていることは、どうも根拠がないですね(^^)。
〉〉日本人が根本的に英語が苦手なのは、発想が一神教的でないからということがあるのはないかと思っていますが、考え過ぎですかね?
〉ミもフタもないお答えになりますが、インド・ヨーロッパ語は理路整然とした体系を持つ言葉です。それに比べると日本語はあいまいな部分があります。それは日本語だけの特徴ではなく、アジアの言葉にはそういうものが多いような気がします。中国語やインドネシア語などもあいまいで、理屈よりも感覚で理解するようなところがあります。
そこのところをぜひおききしたいのですが、日本語(あるいはアジアの言語)があいまいに見えるのはインド・ヨーロッパ語を基準に考えるからそう見えるのだということはないでしょうか? これまたいい加減なことを書きますが、学問的な文法体系が整備しているのはインド・ヨーロッパ語だけで、その文法体系から日本語をみるからあいまいに見えるのであって、日本語は日本語として明晰な言語である、ということはないでしょうか?(本当にいい加減なことを書いてすみません(^^))
〉ヨーロッパ人にとってもキリスト教はもともと外来宗教です。ケルト神話や北欧神話などキリスト教以前の神話伝説がありますし、そういった神話の神々を信仰してきたヨーロッパ人にキリスト教を広めるために、中世初期のヨーロッパでは土着の信仰や風習を取り入れながら布教が行われました。カトリックの聖人信仰など、私はほとんど多神教に近いと思います。
橋本治の「宗教なんかこわくない!」で、部派仏教と大乗仏教の違いを説明して、大乗仏教の方にたくさん拝む対象があるのは布教の過程で現地の神々を吸収していったからだ、だから大乗仏教は多神教の要素があるといっているのと同じようなことでしょうか? もっとも橋本治はキリスト教は現地の神を滅ぼしたのでそれがオカルトになって祟るのだといっていますが。
知りもしないことで、勝手なことを言ってすみません。
片岡義男氏の「日本語の外へ」に書かれている、日本人のしゃべる英語には主語という意識がないという話や、金武さんの「日本語に主語はいらない」がとても面白かったので、なんとなく思いつきで書きました。どうもすみませんでした。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2003/2/21(00:58)
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junさん、こんにちは。
お付き合いいただきありがとうございます。
〉昔一学期だけやったラテン語で、amo amamus なんたらというのをやったように思います。ただ省略できるというのと、省略できないというのでは決定的な違いがあるということはないでしょうか? ラテン語などではむしろ ego amo (すみません。ラテン語全然知らないので、I love のつもり)などというのは例外的いいかたで、amo というのが普通だとすると、主語をあらわす人称代名詞が言語上必須である言語とはかなり言語意識が違うということはないでしょうか。でもスペイン語では省略されるとするとわたしの言っていることは、どうも根拠がないですね(^^)。
ラテン語はamoと言えば一人称ですよね。二人称や三人称、複数になると変化しますよね。ということは、主語は省略したとしても、実際上の主語が何であるかを特定しなければ動詞が使えないわけです。日本語では主語がなければその場の状況や前後のつながりによって意味を判断することになります。しかしラテン語は動詞を見れば主語は一目瞭然です。一目瞭然なので「わかりきったことは省略する」のです。そこが日本語とラテン語の違いです。
ヨーロッパの言葉の多くは人称によって動詞が変化します。三人称単数現在にSをつけるだけの英語は例外です。フランス語やドイツ語は主語は省略しませんが、ヨーロッパの言葉の多くは動詞の活用が必須です。
〉 そこのところをぜひおききしたいのですが、日本語(あるいはアジアの言語)があいまいに見えるのはインド・ヨーロッパ語を基準に考えるからそう見えるのだということはないでしょうか? これまたいい加減なことを書きますが、学問的な文法体系が整備しているのはインド・ヨーロッパ語だけで、その文法体系から日本語をみるからあいまいに見えるのであって、日本語は日本語として明晰な言語である、ということはないでしょうか?(本当にいい加減なことを書いてすみません(^^))
インド・ヨーロッパ語が世界的に広く使われており、文法体系や言語同士の関係も研究が進んでいるのは確かです。そしてインド・ヨーロッパ語を基準にすると日本語があいまいに見えるという側面も確かにあります。
しかしやはりインド・ヨーロッパ語は理論的に構築された言葉であるのに対し、アジアの言葉は情緒的な面が多いように思います。例えば主語がない、ということについては主体がはっきりしないということになり、つまり上で述べたように前後の意味や状況を考えて意味を取る必要があるわけです。私はアジアの言葉をたくさん知っている訳ではありませんが、中国語を習い始めた時そういった感覚を持ちました。英語よりも「雰囲気」で解釈するような面が多いと思いました。また、インドネシア語をかじった時は言葉の構造や意味がヨーロッパ語のように明確ではなく、その場の雰囲気やニュアンスを重視するのでかえって習得するのが難しいように思いました。「接頭語」などというものがあって、どういう時に付けるのかというと、いくら説明を読んでもはっきりしません。使いながら感覚で覚えるしかないようでした。
日本人が外国語を習得するのが難しいのは、確かに学習法にも問題はあります。しかし日本語は世界でも孤立した言葉であるというのも原因ではないかと思います。インド・ヨーロッパ語は実にたくさんの言葉があり、その中でもラテン系やゲルマン系、スラブ系、ペルシア系など細かい分類があります。それらの相関関係は詳しく研究されています。その中の言葉同士では基本的な構造が似ている上、語彙も共通のものがありますから勉強しやすいはずです。
しかし日本語ははっきり同系統と言える言葉がありません。韓国語は構造がほとんど同じで単語を置きかえれば通用するぐらいだと言いますが、語彙が全く違うので同系統とは言えません。もし日本語と韓国語で同じような語彙があるならそれは昔中国から取り入れた漢語でしょう。
またトルコ語やモンゴル語も構造が似ています。しかし同系統と断言できるほど近くはありませんし、語彙も異なります。南インドのタミル語が日本語のルーツだという説もありますが、定説には至っていません。
ですから日本人は外国語を勉強しようとすると同系統の文法や語彙を見つけることができず苦労するのです。
「日本人は英語が苦手」というのは、単に学校で習った英語が使えないだけで、英語だけが特に難しい外国語というわけではないのです。100年以上前はフランス語が世界語の地位を占めていました。もしフランス語が世界語のままだったら、中学一年になったとたん不規則動詞や規則動詞の活用を丸暗記させられることになり、名詞が出てくるたびに男性名詞が女性名詞か覚えなくてはならず、もっと落ちこぼれが増えていたかもしれません。そうすると「日本人はフランス語が苦手」と言われていたでしょう。英語はヨーロッパ語の中では単純化されて入りやすい方だと思います。ただ、英語で困るのは発音でしょう。英語の発音は難しいですから。おまけにつづりと発音が一致しないのでつづりや読み方を覚えるのが大変。
ヨーロッパ語で発音が簡単なのはスペイン語とイタリア語です。母音が日本語と同じで五つしかありませんし、つづりの通り読めばいいんですから。ただRの巻き舌ができないとつらいです。
〉 橋本治の「宗教なんかこわくない!」で、部派仏教と大乗仏教の違いを説明して、大乗仏教の方にたくさん拝む対象があるのは布教の過程で現地の神々を吸収していったからだ、だから大乗仏教は多神教の要素があるといっているのと同じようなことでしょうか? もっとも橋本治はキリスト教は現地の神を滅ぼしたのでそれがオカルトになって祟るのだといっていますが。
宗教というものは広がっていく過程で現地の信仰に左右されるものです。仏教も中国では中国風に解釈されましたし、その中国仏教が日本に入ってきたので、日本の仏教はもともとの原始仏教と大きく変わってしまっているのです。
キリスト教はもともと中近東の宗教です。ローマ帝国でも最初は迫害され、後に国教になりました。しかしゲルマン人がローマ帝国を滅ぼして西ヨーロッパにやってくると、ローマ・カトリックはゲルマン人に布教を始めることになりました。またもう少し後には北欧でバイキングが暴れ出します。こちらにも布教を行うことになります。その際、布教がしやすいようにゲルマン人の土着の信仰や風習を取り入れていったのです。ですからヨーロッパではいろいろな国や地域で独自の風習やお祭りがたくさんあります。現地の神は滅ぼされないで、形を変えてキリスト教の衣を着せられて残っているのです。
また、カトリックの聖母マリア崇拝や聖人崇拝ももともとのキリストの教えにはないものです。キリスト教では偶像崇拝は禁じられているのに、マリア像や聖人像を作ったり聖人の遺骨や遺物を拝む聖遺物崇拝が行われました。マリア崇拝は地母神崇拝に通じますし、聖人崇拝は偶像崇拝であり多神教に近いです。この聖人にお祈りすれば病気が治る、とか、商売繁盛する、とか。神話伝説の神々の像が聖人・聖女に置き換えられていった結果です。
長々と講釈をしてすみません。
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お名前: jun http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/
投稿日: 2003/2/23(12:27)
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杏樹さん、詳細なお返事どうもありがとうございます。
お返事から拝察するところ、語学・宗教学などの専門家でいらっしゃるのでしょうか? あるいは比較文化学といった方面でしょうか?
専門家にいろいろと教えていただける機会がこういう場で得られるということは本当にありがたいことです。
素人の疑問をもう少し書き連ねてみたいと思います。もう少しお付き合い願えれば幸いです。
あまりにも初歩的な疑問で、そんなものは成書にあたれというのものあるだろうと思います。その時は無視してください。
〉ラテン語はamoと言えば一人称ですよね。二人称や三人称、複数になると変化しますよね。ということは、主語は省略したとしても、実際上の主語が何であるかを特定しなければ動詞が使えないわけです。日本語では主語がなければその場の状況や前後のつながりによって意味を判断することになります。しかしラテン語は動詞を見れば主語は一目瞭然です。一目瞭然なので「わかりきったことは省略する」のです。そこが日本語とラテン語の違いです。
ラテン語で cogito といった場合、これは英語では I think だと思いますが、ラテン語において一人称単数の主語が省略されているのではなくて、cogoto という語がそのまま I think と等価であるということではないでしょうか? 動詞の活用形を見れば何が主語かわかるから、主語が省略されるのであれば、ドイツ語やフランス語でも省略の方向にいくのではないでしょうか? Ich や Je がそれでも必要な語意識というのがあって、それは人称代名詞の主語が省略され得る言語の語意識とは何か決定的な違いがあるように思うのですが。
人称代名詞の主語がなくてもいいのか、それが必須であるかが一神教と関係があるのはないかという思いつきみたいなことを最初に書いて、どうもこれは見当違いであることはよくわかってみました(^^)。
〉インド・ヨーロッパ語が世界的に広く使われており、文法体系や言語同士の関係も研究が進んでいるのは確かです。そしてインド・ヨーロッパ語を基準にすると日本語があいまいに見えるという側面も確かにあります。
〉しかしやはりインド・ヨーロッパ語は理論的に構築された言葉であるのに対し、アジアの言葉は情緒的な面が多いように思います。例えば主語がない、ということについては主体がはっきりしないということになり、つまり上で述べたように前後の意味や状況を考えて意味を取る必要があるわけです。
つまりアジアの言語は状況依存的・文脈依存的ということであると思うのですが、これは情緒的ということとは違うように思います。状況や文脈が理解される場においては明晰な言語でありうるのではないでしょうか? 状況や文脈がはっきりすれば、主体をはっきりさせる必要がない、主体がはっきりしなくても間違って理解されるおそれはない、ということではないでしょうか?
インド・ヨーロッパの言語というのは言語自体で自己完結しなくてはいけないという要請が強いように思います。ですから「すべてのクレタ人は嘘つきであると、あるクレタ人が言った」というような文章が大問題になってしまうわけです。でもアジアの言語観からいったら、こんな文章は問題にもならないのだと思います。このクレタ人がどういう状況でそれをいったかが分からなければ、この言葉だけとりあげて議論することは無意味である、ということで終りではないでしょうか?
>私はアジアの言葉をたくさん知っている訳ではありませんが、中国語を習い始めた時そういった感覚を持ちました。英語よりも「雰囲気」で解釈するような面が多いと思いました。また、インドネシア語をかじった時は言葉の構造や意味がヨーロッパ語のように明確ではなく、その場の雰囲気やニュアンスを重視するのでかえって習得するのが難しいように思いました。「接頭語」などというものがあって、どういう時に付けるのかというと、いくら説明を読んでもはっきりしません。使いながら感覚で覚えるしかないようでした。
でも英語でもどういう時にthe がついて、どういう時にはつかないかなどというのは、最終的には習慣でそうなっているとしかいいようがない部分があって、使いながら覚えていくしかない部分も多いのではないでしょうか? これはどの言語でも同じだと思うのですが・・。
〉「日本人は英語が苦手」というのは、単に学校で習った英語が使えないだけで、英語だけが特に難しい外国語というわけではないのです。100年以上前はフランス語が世界語の地位を占めていました。もしフランス語が世界語のままだったら、中学一年になったとたん不規則動詞や規則動詞の活用を丸暗記させられることになり、名詞が出てくるたびに男性名詞が女性名詞か覚えなくてはならず、もっと落ちこぼれが増えていたかもしれません。そうすると「日本人はフランス語が苦手」と言われていたでしょう。英語はヨーロッパ語の中では単純化されて入りやすい方だと思います。ただ、英語で困るのは発音でしょう。英語の発音は難しいですから。おまけにつづりと発音が一致しないのでつづりや読み方を覚えるのが大変。
わたくしは日本人が英語が苦手であるのは、単に文法体系が日本語が孤立しているからというレベルの問題ではなく、日本語が主語がなくても成立する言語であるのに対して、英語は主語がなければ絶対に成立しない言語であるという、言語が規定する文化構造の違いそのものに由来するのではないかと考えています。
片岡義男氏が「日本語の外へ」(筑摩書房)のなかの一文で、あるアメリカのテレビの討論番組にアメリカとの通商交渉の日本代表のような人がでて(とりあえず日本人としては英語ができるひと)しゃべった英語をとりあげています。その人の英語は英語の正用法にかなっていないものだったといいます。以下若干引用。
「正用法とは、たとえば、主語のとりかただ。主語を立てて語り始めたなら、そこには論理への責任がともなう。主語はその文章ぜんたいにとっての論理の出発点であり、責任の帰属点でもある。主語は動詞を特定する。動詞はアクションだ。アクションとは責任のことだ。・・・。いったん主語を選んだなら、それにふさわしい動詞の働きによって、論理的な結末にたどり着かなくてはいけない。・・・。彼ひとりに限定することなく、彼のような人が英語でしゃべっていくのを聞いていて、いたたまれなくなるほどのきまりの悪さを覚える理由は、さらにいくつもある。そのなかで最大のものは、センテンスのなかばあたりで主語を忘れてしまっている気配がある、という恐るべき事実だ。・・・。主語を忘れているからには、動詞も彼らは忘れている。・・・。(しかしかれらはそんなことに)最初からまったく頓着していない。」
かれのしゃべっていることは、発想はまったく日本語による発想で、それを英語になおしただけ、なんだというのです。
ここで杏樹さんのおっしゃるインド・ヨーロッパ語が論理的であるということが重なってくるのですが、言語というのは人間間でやりとりされるものですから、人間関係の違いは言語に決定的に影響するわけで、日本人同士の人間関係と西欧における人間関係は決定的に違うのである以上、日本人が英語の発想(主語を必然として、その主語が動詞を要求する)自体を身につけることは多大な困難をともなう、それが日本人が英語が苦手な根本的な理由なのではないかと思っています。
「以心伝心」の国の人間が、言語で孤独に主張することでしか他人とかかわっていけない世界を本当に自分のものにすることができるのだろうか、と思います。
ここでの多読も、とにかくたくさんの英語と接することで、そういう英語的な文化的背景になじんでいくことが大きな目的となっているのだろうと思うのですが・・。
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〉はらぺこあおむし@ハリポタ3巻目、です。
はらぺこあおむしさん、こんにちは。
秋男@昨夜ははらぺこあおむしさんの空腹が感染、ポタポタ焼きが食いたくなった です。
〉〉「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、・・・」に始まり、どんどん
〉〉世代が下がっていきます。
〉なんだかの父はなんだかの父。ってのが正しかったんですねぇ〜。
そうみたいですね。これがすごい読みづらいんですよね。
いちいち「〜の父」と言うから、いちいち頭の中で戻るような感じ。(本返し縫いのイメージ)
「父」を省いて単に「アブラハムはイサクの、イサクはヤコブの、・・・」として
くれた方がずいぶん読みやすいですよね。(半返し縫いのイメージ)
わざと読みにくくして面白さをカモフラージュしているのか?
〉〉マリヤは処女懐胎してイエスを生んだので、ヨセフとイエスの間に血縁はない。
〉〉したがって新約聖書冒頭には、イエスとは血のつながりのない、関係のない人々の()
〉〉名前がズラーッと並んでいるというわけなんです。ちょっとけったいでしょ。
〉うひゃひゃひゃ。
〉ほんとだーー。
呉智英氏は、「要するに、聖書は、冒頭からイエス・キリストは神の子ではないことを
自ら宣言しているのである。」と断じてはります。
〉〉わたしは呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫)を読んで、このことを知りました。
〉〉聖書もよく読んでみると、いろいろと面白いらしいですね。
〉なんつっても、「本の中の本」the book of booksとかいうらしいじゃないですか。>聖書
〉雑誌を読むにせよ、本を読むにせよ、映画を見るにせよ、欧州を旅行するにせよ、
〉彼らの精神世界の原典を知っておいて損はないかな、なんて。
そうですね〜。
呉氏の上の本の「聖書の読み方」(148頁〜)は参考になりました(とか言って、
聖書読んでない。参考になってないじゃん。。)。また立ち読みでもしてみてください。
〉仏教の世界もかじると深いですし、世界情勢を見るに、コーランもかじってみたいし。(野望だけはでかい)
そうですね。「コーランをかじる」で しょうもないことを言いたいかったんですが、
ちょっと怖いのでやめました。
〉そいや、「イエスの遺伝子(マイクル・コーディ著)」って、
〉たしかディズニーが映画化の権利を獲得した、って書いてあった気がしますが(何年前だ?)、
〉映画化されていないですよねぇ・・・
〉「最後の誘惑」と同じ類の物議でも醸したんでしょうか?
へ〜。そんな物議があったんですか。(あ、常識?)
仏教関係の映画でそんな物議って聞いたことないですよね〜。なんでやろ。
Happy Reading!!