[掲示板: めざせ100万語! -- 最新メッセージID: 25677 // 時刻: 2024/11/23(14:16)]
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お名前: 杏樹
投稿日: 2003/2/19(22:52)
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こんにちは。
〉世界の宗教の中では一神教というのはきわめて例外的なもので、八百万の神とか、アニミズムとかいうほうがずっと普通なんだと思います。
そうでもありませんよ。イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒を合わせると、世界の人口のかなりの部分を占めるはずです。
〉英語(欧米語)には主語が必須であるというのは、一神教と深くかかわっているのではないかと思うのですが、違いますでしょうか?
〉多神教であるローマのラテン語には主語は必須ではないですよね。
〉八百万の神の日本語では当然「日本語に主語はいらない」ということになるわけです(そんな題名の本が去年でたような)。
ラテン語も英語もインド・ヨーロッパ語族です。ラテン語に主語がないのは、動詞の活用を見れば主語が特定できるからです。人称によって動詞が変化するので、主語を特定しなくては動詞が使えません。主語は「ない」のではなく「省略されている」のです。スペイン語も同じ理由で主語を省略します。
〉日本人が根本的に英語が苦手なのは、発想が一神教的でないからということがあるのはないかと思っていますが、考え過ぎですかね?
ミもフタもないお答えになりますが、インド・ヨーロッパ語は理路整然とした体系を持つ言葉です。それに比べると日本語はあいまいな部分があります。それは日本語だけの特徴ではなく、アジアの言葉にはそういうものが多いような気がします。中国語やインドネシア語などもあいまいで、理屈よりも感覚で理解するようなところがあります。
ヨーロッパ人にとってもキリスト教はもともと外来宗教です。ケルト神話や北欧神話などキリスト教以前の神話伝説がありますし、そういった神話の神々を信仰してきたヨーロッパ人にキリスト教を広めるために、中世初期のヨーロッパでは土着の信仰や風習を取り入れながら布教が行われました。カトリックの聖人信仰など、私はほとんど多神教に近いと思います。
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